第31話

 杉本の両手両足が、俺の体をガッチリ、ホールドしている。更に杉本は、真剣な眼差しのまま真っ直ぐに俺を見つめ言った。

「俺のこと好きだろ」

 バレてた?!

 体中が一気にカッと熱くなった。

 なんで?いつから?そんなに俺、態度に出てた?恥ずかしさのあまり、突き飛ばして逃げたい気持ちになった。でも、かろうじて堪えた。否定したくなかった。代わりに、俺はきゅっと唇を引き結ぶと、右手をそっと杉本の頬に滑らせた。

 その手を、上から杉本の左手が優しく包み込む。そして、杉本の顔がゆっくりと降りてきて…。

「ちょっと、待った!」

「ぶっ!!」

 俺は反対側の手でとっさに杉本の口を抑えた。

「なんだよ!」

 杉本が怒って俺の手を払いのける。

 俺にはそうなる前に、どうしても訊いておきたいことがあるんだ。同じ轍を、また踏みたくはないから。

「杉本は、俺のこと、ちゃんと好き?」

 その言葉を聞いた杉本は、これ以上はないというくらい、思いっきり目を大きく見開いた。次の瞬間、おでこに弾けるような衝撃が走る。デコピンをお見舞いされたらしい。

「いて」

「おまえな〜…」

 杉本は上半身を起こすと、俺に馬乗りになったまま俺の顔を見下ろした。少しイライラしている。

「ちょっと、元彼に毒されすぎじゃね?」

「え?」

 そして杉本は、ビッと親指をたてて自分の方に向けると、「俺は、好きなやつとしかセックスしねえっつーの!」


 次の瞬間、俺は杉本に抱きついていた。


 杉本の腕が俺の背中に回る。俺は杉本を抱きしめる腕に更に力をこめる。杉本が、チュッと俺の首にキスをする。俺は一旦、腕の力を緩めて体を放し、そっと杉本と唇を合わせる。

 杉本の不器用な手が、もどかしそうに俺の制服のボタンを上から順番に外していく…。


 ……時間がかかった。

 俺は裸でベッドに横たわったまま腕だけ伸ばし、床に落ちていた制服のズボンからスマホを取り出した。

 現在の時刻から、学校から帰った時刻を引き算する。うわ、最長記録かも。

 といっても別に、盛り上がりすぎたわけじゃない。

 もたついただけだ。

 いきなりでちゃんと準備が出来てなかったうえに、男経験初めての杉本が俺の体を労りすぎるあまり、なかなか先に進めようとしなかったからだ。大丈夫だって言ってんのに。焦らされすぎてもどかしすぎて、もう少しでキレて蹴飛ばしてしまうところだった。

 でもなんとか最後まで出来た。俺は身も心も満たされて、心地よい疲労感に包まれながら、うっとりとひとつ、深呼吸をした。

 隣で同じように裸で横になっていた杉本が、突然くっくっくっと笑いだす。なんか嫌な予感。

「なんだよ」

 俺は不機嫌な声を出した。

「いや、上條あんな声出すんだなと思っ…いでっ!!」

 言い終わる前に頭に手刀を振りおろしてやった。まったく、気分ぶち壊しだ。

「ねえ、上條」

 杉本が、こっちに向かってころんと体を向けると俺の頬に手をやって自分の方を向かせ、おでことおでこをコツンと合わせた。そして…

「俺、家に帰るね」

「はっ?!」

 驚いて引きかけた頭を、杉本にぐいと押し戻される。ちゃんと聞いて。目がそう語っていた。

「明日帰るって今日ななこさんに電話したんだ。明日から学校半日で終わるじゃん?だから、午後からまた荷物運ぶの手伝ってくんないかな」

「明日ってそんな、急に…」

 戸惑いながら言いかけた俺の言葉を、杉本がちゅっとキスで遮る。まだ、あるよ。

「あとね、明日、俺、学校行って、武センに薬のこと話すから、終わるまで上條、待っててくれる?」

「杉本…」

 もしかして今日、1人で、ずっとそのことを考えてたの?あんなに嫌がってたのに、受け入れようと1人で頑張ってたの?俺はふるふると首を横に振る。

「杉本、無理しなくていいよ!俺、ちゃんと他になんかいい方法ないか考えるから。大丈夫だから」

「おまえバカだろ?」

 は?その台詞は…俺が以前おまえに言った台詞。杉本が初めてこの部屋に泊まった夜に、床に敷いた掛け布団の間で寝ていた杉本に、まだ何もおまえのことを知らなかった俺がおまえに言った台詞だ。あのときはまさかこんなことになるなんて思ってもみなかった。

 杉本は、言ってやったって顔してきひひっと笑うと「もう限界だろ?ごめんな、俺のせいで」と言って、俺の目の端を親指できゅっと拭った。その指が、俺の涙で濡れている。

 杉本は、もう決めたのだ。これ以上の説得は無駄なのだ、と感じさせる何かがそこにはあった。

「泣き虫だなあ、お兄ちゃんは」

 杉本が俺の頭を包み込むように抱き寄せた。

「上條、時々は俺んちに遊びに来てね」

 毎日だって行くよ。そう言おうとしたけれど、全部涙で震えてしまいそうで、言えなかった。

 杉本…俺は気づいていたよ。おまえがいつも俺を救ってくれていたことを。自己紹介のとき、わざとふざけて震えてる俺からみんなの気を逸らしてくれたろ。廊下で俺がからかわれそうになったときも、俺が元彼のことで傷ついていたときも。だから今度は俺がおまえを救いたかったのに、結局、なんの役にもたてなかった。これじゃホントに俺がバカみたいじゃないか。

 涙が止まらなかった。

「麻也のことが1番好きだ」

 突然杉本が、何かを読み上げるような心の込もらない声で言った。俺はぎょっとして顔をあげる。なんで今、その言葉?以前、歩に言われてから呪いのように俺の心に突き刺さっているその言葉。それ、トラウマだよ?

 呆気にとられている俺の目の前で、杉本は不敵な笑みを浮かべてみせると、今度は心を込めて、さっきの言葉を次のように変換してみせた。

「麻也のことが、世界中で、1番好きだ」


 おまえは、俺を救いにやって来たヒーローか。


 次の日、杉本は2限目が始まる前に学校にやって来た。最近の中では1番早い。俺たちはチラッと視線を交わし合うと、杉本だけ荷物を机に置いて、すぐに教室を出て行った。おそらく、武田先生を探しに行ったのだろう。

 やがて、2限目が始まるチャイムと同時に杉本が教室に帰ってきた。

「どうだった?」

 はやる気持ちを抑えて俺が訊ねる。

「まだ。今日の放課後、時間とってもらったから、そんとき話す」

 そして放課後、俺は指導室の前の廊下で、壁にもたれながら杉本が出て来るのを待った。

 やがて指導室のドアが開き、武田先生とその後ろから杉本が出てくる。

 武田先生は、俺の姿を目に留めるとニヤッと笑って俺に近づき、通り過ぎざまに「仲良くやれよ」と言うと、肩をポンッと叩いて去っていった。

 俺が、えっ?!と杉本の方を見ると、杉本もびっくりした顔をしていて、俺と目が合うと、ちゃうちゃう!俺はその話はしていない!と顔の前で手を左右に振ってみせた。

 恐るべし、武セン。さすが教師歴…多分30年くらい。

 俺と杉本は、遠ざかっていくその頼もしい筋肉質の背中をいつまでも見送っていた。


「で、俺1人じゃなんとも言えんから、取り敢えず他の先生たちと相談してみるってさ」

 帰りの電車の中で、杉本は武セン(俺も既に武セン呼ばわりだ)と話した内容を俺に聞かせてくれた。

「そっか…大丈夫?」

「大丈夫じゃね?教師側としても生徒に留年なんかさせたくないだろうから、なんとかしてくれるだろ」

 そうじゃなくて、薬のことが他の先生たちにも広まることに対して杉本は大丈夫?って言いたかったんだけど…当の本人はあっけらかんとしていて、どうやらもう完全に吹っ切れたようだ。


 駅に着いたあと、引っ越しの荷物を運ぶためのダンボールをスーパーに貰いに行こうとしたら、「もう、ゴミ袋とかで良くね?ちょっとだけだし」と杉本が言うので、アパートに帰って、ありったけの塩おにぎりでエネルギー補給すると、45リットルのゴミ袋に軽めの物を、杉本の学生鞄や持っていたトートバックに重めの物をバンバン詰め込んで、アパートの駐輪場に停めっぱなしにしてあった、杉本んちから勝手に持ってきた自転車の前かごやハンドルや荷台や、とにかくありとあらゆるところに適材適所の荷物を取り付けると、ここに来たときと同じように、今度は逆の方向へ、2人で自転車を押して歩いた。

 布団だけはどうしようもなかったので、またビニール紐でくるんでもう一往復した。


 2人でえっちらおっちら布団を杉本んちに運び込んでいると、「引っ越し蕎麦ですよ〜」と、ななこさん(今度こそ本物)が大きめのお盆にざる蕎麦を載せて持ってきてくれた。俺んちみたいに、野菜とか洗うざるにそのまま入っぱなしにしたようなやつじゃなくて、ちゃんと蕎麦用のざるに綺麗に盛り付けられたやつだ。

 ざるが2枚と蕎麦猪口2つの2人前だったので、てっきり杉本とななこさんで食べるんだと思い「あ、じゃあ俺はこれで」と立ち去ろうとしたら、「せっかくなんで食べていって下さいな」と言われ、1つは俺の分なのだと思ったらちょっとじんときた。

「もう荷ほどきは俺1人でやるから、そのまま置いといて。和室でこれ、食べようぜ」

 と、杉本がななこさんから蕎麦の載ったお盆を受け取って「ありがと」とお礼を言うと、廊下の すぐ左側にある和室に入って行った。

 俺も続いて家に上がり込んで和室の入り口を潜る。

 暑い…。

 杉本がクーラーのリモコンを連打して、風量をMAXにまで上げた。

 カーテンをつければいいのに…西陽が直撃すぎるんだよと、噴き出す汗を袖口で拭ったが、杉本は大して気にも止めず「テレビ〜会いたかったよ〜久しぶり〜」と蕎麦のお盆を置いたテーブルの横にある液晶テレビに抱きついている。薄型の黒い画面がぐらぐらして今にも倒れるんじゃないかと心配になった。

 どうせ、俺んちにはテレビはありませんよ。今どきスマホ1台あれば何でも観られるし。テレビなんかよりカーテンでしょ、と冷めた顔をしてみていたが、2人で蕎麦を食べながら、同じものを観て同じものに感心し、くだらないなと一緒に笑い、感情を共有するのは思いの外、楽しかった。

 やがて夕方のニュースが終わってお笑い番組に変わり、テレビを持たない俺でも聞いたことのある芸人さんがネタをやるのを観てゲラゲラ笑って、1回目のCMに入ったところで「じゃあ、帰るわ」と俺は自分の食べた器をお盆の上に置いた。これ以上ここに居たら、居心地が良すぎて、お尻に根が生えそうだった。

「あ、置いといていいよ。多分、後で取りに来るから」

 洗っといた方がいいかなと言ったけど、杉本が、いいよいいよ、と言うので「ななこさんにお礼言っといてね」と廊下に出た。

 杉本も一緒に廊下に出ると、その場で「じゃあね」と手を降った。今日は外まで見送るつもりはないらしい。

 杉本なりに、気持ちに整理をつけようとしているのかも知れない、と思った。

 俺たちは、今日から、また別々に暮らす。

 俺は杉本に歩み寄ると、少し長めのキスをして、「じゃあ、明日」と微笑んだ。

「起きれたらね」

「いや、起きろよ」

 いつかの会話を再現して、笑い合う。

 そして、杉本の家を出た。いつもよじ登っていた塀ではなく、反対側へ歩いて、堂々と正門から出た。

 杉本は、自分の意志で家に帰った。

 「よし!」自然と声を出す。

 俺にもこのあと、ちゃんと向き合わなくてはいけないことがある。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る