66/「がんばるから」(結)

 大きく息を吸う。急に襲ってきた胸の早鐘を堪えるのに精いっぱいで、うまく言葉を繋げない。

 アリヤの変化に気づいたセディッカが、驚いたように魔力を揺らした。優しい蒼碧色がふわりと彼の周りで膜のように――いや、翼のように拡がって、その端がアリヤにも届く。

 触ったものかどうか躊躇っているその気遣いも愛おしい。


 包まれたいと願うのは、きっと悪いこと。

 抱き締めてほしいと望むのは、きっととても悪いこと。


「……セディくんが、好き、です」


 なるべくはっきり言いたかったのに、声が震えて途切れとぎれになってしまった。顔が、というより、もう頭全体が熱くてぼわっと眩んでいる。

 戸惑い揺れる泉色の瞳をすがるようにして見つめながら、ぎゅっと手を握り込んで続ける。


「突然ごめんね。でも、前からずっと、言いたかったの。知ってほしかったの……」

「あ、……俺は、……」

「迷惑だったら忘れてくれていいから。でも、あのね、わたし、つまり……セディくんと一緒にいられたら、それだけで幸せになっちゃうんだ。何でもがんばりたくなっちゃうんだよ。だからぜんぜん、無茶なんかじゃないの、……わたしにとっては、だけどね」


 熱を帯びた眼頭を指先でぬぐいながら、へへ、と笑う。

 セディッカはしばらく無言だった。魔力が見たことのない形にふわふわ蠢いているから、きっとあれこれいっぱい考え込んでいるんだろう、とわかる。

 急に告白したりして、困らせないはずはない。わかっていたから焦りはしないけれど、それでも心臓がひっきりなしに騒いできりきり痛み、とめどなく血を吐いている。


 蒼碧の魔力がもう一度、今度はさっきよりもはっきりとアリヤを包む。その意図が汲める見習いの少女は、なんの抵抗もなく受け入れた。

 膜の内側から幾つもの細い繊毛が生え伸びて、アリヤの心臓の中に入ってくる。少しひんやりして、それから漆黒の主の影響なのか、少しぴりぴりと痺れる感じがした。


「……同じだ」


 セディッカはぽつりとそう言うと、戸惑いがちに手を伸ばす。細長い指が頬に触れた。


「俺の中にあるのと、同じ音が、アリヤからも聞こえる……俺はずっとこれが何だかわからなかった。普通のコウモリは持ってない音だから。

 そっか、そうだったのか……」

「……えと、セディくん……?」

「人間はこれを『好き』っていうのか。これが恋なんだよな? あぁ……森の奥方シャマンティンの言うとおりだった!」

「――ひゃっ」


 よくわからないが、何か感激したようすでひとしきり呟いたあと、セディッカはいきなりアリヤを抱き締めた。

 突然なうえに、通りの真ん中という誰に見られてもおかしくない状況だ。嬉しさと恥ずかしさがアリヤの中で走馬灯のようにぐるぐる駆け巡る。

 頬を擦り合うようにしながら、明るい声音でセディッカは言う。


「今かなり心が痛い」

「えっ……だ、大丈夫?」

「ああ、悲しくて痛いんじゃないんだ。どちらかというと繁殖期の倦怠感に似てる……つまりこれを、俺の……コウモリ流に言うと――」


 ――つがいになりたい。

 いかにも動物らしい、いくぶん生々しい言葉がアリヤの耳朶をくすぐった。かすかに甘い、囁くような優しい声音は、いつだったか魂を繋げて聞いたそれと似ている。

 頭が真っ白になって固まる見習いの耳元で、使い魔はぼそぼそと続けた。


「次の春……いや、アリヤが学校を卒業して……それにまだ十六歳だったよな。次の誕生日まで、ちゃんと待つから」

「え……えと……、それ、それって……ッ」


 おかしい。告白したのはこちらだったのに、恐らくたぶん間違いなく逆転している気がする。

 アリヤは困惑しながらも、言われたことを一つずつ咀嚼した。


 ……たぶん両想いってことでいいんだよ、ね?


 つがい、というのは恋人の意味だろうか。でも卒業とか年齢とか、妙に具体的な条件が並んでいるのはなぜ……と少し考えて、夕方にファーミーンが婚約を発表していたことを思い出した。

 それに次の春。セディッカ、つまりコウモリにとっての『春』といえば。


 もともと紅かった頬がもっと熱くなる。アリヤが黙り込んだので、セディッカがようやく身体を離してこちらの顔を覗き込んだ。


「……嫌か?」

「や……じゃないですッ、ただちょっと、びっくりした、だけ……。あの、セディくん、それってつまりあの、……コウモリ流の、こ、婚約ってこと?」

「わかりやすく言えばそうだな。人間式に比べて社会的な制約は少ないけど……立場上、呪術的な側面は強くなる。アリヤが正式な魔女になったら主従関係と並行することにもなるし」

「そ、そっか。……」


 まだ心臓がどきどき騒いで苦しい。

 なるほど『悲しくて痛いんじゃない』のはアリヤも同じだ。そういう意味か。


「あのね、セディくん……わたし、春生まれだし、卒業するのも……その、春の予定……試験はあるけど……」


 ゆっくり絞り出すようにそう告げると、セディッカが少し項垂れて、互いの額がこつりとぶつかる。


「じゃあ、それまで待ってる」

「うん……」

「ちなみにその試験って難しいのか?」

「えっとね……今まで習ったことの総ざらいだし、もし落ちても、再試を受けられるみたい。

 でも大丈夫、……がんばるから」


 薄く微笑むアリヤに、セディッカも頷いて、それからふうっと息を吐いた。

 そこに言葉にならない感慨が滲んでいる。今まで彼がどれだけアリヤの「がんばる」に胸を痛めてきたことか。

 今度のそれは、二人のため。これからも一緒にいたい、もっと近くで互いを慈しみ合いたいという想いは、もう独り善がりじゃない。


 愛とはまじないのようなものかもしれない。

 これと心に誓ったならば、そこから無限にも思えるほどの力が生まれる。時にはのろいのように心身を蝕みもするが、それもまた、互いを深く想うがゆえ。

 ましてそれが神秘の世界に生きる者たちであるならば、二人で紡ぐのは呪術に他ならない。


 契約の証は互いの魔力。ものを食べて命を繋ぐのと同じように、口を重ねて齧り合う。


 少女は魔女の影から生まれた。

 使い魔は己を魔女のためにあれかしと願った。

 きっといつかは出逢って惹かれ合う宿命だったのだ。二転三転と拗れはしても、ここに因果は巡った――その終着点は、新たな運命の起点となる。


 二人は誓う。これからはずっと一緒だ。

 それが苦難と憂慮の棘に覆われた、傷つき続ける道だろうとも。


 魔女見習いとして。使い魔として。

 あるいは愛し合う人間の娘とコウモリとして。

 隣に立ち、手を取り合い、互いの傷をいたわりながら――どこまでも歩いていこう。




 ✴ 見習い少女は傷だらけ 了 ✴

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