64/「ただいま」

 二人は並んで歩いていく。

 心地よい日陰の支配する雑木林を抜けると、一気に青空が広がった。雲の切れ間からは太陽が覗いていて、天空神の灼熱の瞳に見下ろされながら、砂漠とオアシスの境にまだらに広がる荒野を進む。

 秋でもまだまだ暑い。ざらついた向かい風が吹き抜けては、身体に砂粒がいくらか残って、きらきらと陽光に応えていた。


 この道は、なんだかアリヤの恋に似ている。


 初めは穏やかなものだった。柔らかな雲や大きな樹々に守られて、空の色が見えないうちは太陽の苛烈さをも知らずにいられた。

 それで満足していれば、ある意味ではずっと幸せでいられたのかもしれない。


 一歩外に出れてみれば、高すぎて手の届かない大空の下に、寂しい荒野と砂漠がどこまでも果てしなく続いていた。物言わぬ獣の白骨が路傍に佇んで、魔女たらんとする者に道案内をする。

 そこで初めて世界の広さと残酷さを目の当たりにした。

 眩い陽射しは樹々を育てるけれど、熱の激しさゆえに水を去らせ大地を砕き、そこに生きる命を奪いさえする。

 ただ照らしているだけで毒になる光。大切に想うほどに、愛おしいはずの相手の魂をなぶってしまう――……。


 そこへ諫めるような雨が降った。数多の祈りを受け止め続けた泉はとうとう溢れて、ひび割れた大地をわずかながらに潤した。

 けれどそれっぽっちで荒地に緑は戻らない。


 幾度となく熱い風が吹く。涙を乾かしてやろうと言うように。

 優しい人たちが気遣ってかけてくれた言葉の数々が、運ばれた砂のようにアリヤの心のあちこちで瞬いている。

 だから立ち止まったりしない。荷物は全部、ぎゅっと両手に抱き締めて、追い風に抱かれながら歩き続ける。


 手は握れなくてもいい。つかず離れず、同じ速さで進んでいけるなら、辿り着く場所も同じだから。

 魂で繋がる方法なら、もう知っている。


 やがて蒼碧の塔が見えた。愛する故郷、砂漠に抱かれたオアシス都市、ザーイバ。

 その見慣れた門を、二人は同時にくぐった。



 街を砂風から守るために、日干し煉瓦の壁がぐるりと四方を囲っている。

 その壁際には、壊れたり脆くなった箇所の点検と交換をしている職人たちがいて、そのうち一人がアリヤに気づいて声を掛けてきた。

 生まれも育ちもずっとザーイバだから、顔見知りはけっこう多い。今日出逢ったその相手は、父の昔からの知り合いという人だ。


「アリヤじゃないか。そっちから来たってことは街の外に行ってたのかい?」

「うん、北の雑木林で薬草採りを教えてもらってたんだよ。薬屋の魔女さんに持っていくの」

「へえ」


 隣のセディッカをちらりと見る。アリヤの視線に気づいた彼は、ちょっと面食らったようながら、煉瓦職人に会釈をした。


「……どうも」

「ええと、薬屋んとこの子かい? 魔女によろしく言っておいてくれ。うちのかみさん、よく世話になってんだよ」

「……、わかった。あの、ええと、……子どもじゃない。使い魔だ」

「へ?」


 意味が汲めずに首を傾げる職人と、どう言えば通じるのか困惑し始めたセディッカを見比べて、アリヤは思わずくすりと笑う。

 一般市民は使い魔なんて言葉は聞き慣れないのだから、話が噛み合わないのも無理もない。


 こうして彼の世界を広げる手伝いこそ、優しい魔神が望んでいた見習いの仕事だ。ようやく務めを果たせられそうな気がする。

 あくまでまだ最初の一歩。話はこれから。

 彼が迷ったとき支えられるように、怖くないように、アリヤも一緒に隣を歩く。それを許してもらえるように、強く優しい魔女になろう。


 破顔しているアリヤをセディッカが複雑そうに見返してきたのすら、愛おしい。


「ふふっ……。

 あ、そうだ、怪我してる子がいるから、わたしたちはもう行かなくちゃ。おじさん、お仕事頑張ってね」

「そうだった。……それじゃ」

「おう、またなぁ」


 どうしてだろう。後ろに、手を振りながら見送ってくれる人がいてくれると、それだけで心が温かい。

 まだ振り返すのはアリヤだけだけれど、セディッカも顔だけはちらりと振り向いていた。



 そのあとも何度か声を掛けられて、似たような問答を繰り返した。

 終いにはセディッカが不服そうに呟いて曰く――おまえと居ると、やたらそこらの人間に寄ってこられるんだな。

 確かに今日は妙に知り合いにばかり会う日だった。アリヤとしても早く帰って小鳥を手当てしてもらいたいのにと、途中からちょっと困惑してしまうくらいには。


 違うの、あのええと、いつもこうってわけじゃないんだよ? と自分でもよくわからない言い訳をしながら、ようやく薬屋の扉を開けると。


「まあ、おかえりなさい」

「おかえり~」

「あら、ずいぶん早かったわね」


 もはや聴き慣れた三重奏に出迎えられて、アリヤとセディッカは思わず顔を見合わせる。お互い両眼がまんまるだ。

 それから二人して肩を震わせ、ちょっぴり口の端を緩めながら、声を揃えてこう返した。


「「ただいま」」




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