63/「……見てたよ、ずっと」

 わかっている。その姿を目の当たりにしたら、絶対にアリヤは放っておけない。反作用のことなど度外視して助けようとする。

 そんなことは、セディッカも、アリヤ自身も、充分すぎるほど理解していた。けれど二人とも、歩みに迷いはない。


 やがて茂みの中に小鳥を見つけた。灰青色の翼の片方が折れていて、羽毛には血が滲んでいる。

 見たところ命に別状はなさそうだが、放っておけば獣に襲われるか、餓えて死ぬだろう。

 自然界では当たり前のこと。そうやって一つの魂は均衡の環を離れ、残った肉体は糧となって別の生命を養うのだ。


 しかし……もちろん。見なかったことになんて、できない。

 まだ小鳥は生きている。助けられる。そのための力も知識も持っている。

 たとえ代償に我が身が傷つくとしても、それより見殺しにする胸の痛みのほうがずっとつらい。


「セディくん」

「わかってる。……助けたいんだろ」

「うん……」

「弁当のかごを使おう」


 意外にもセディッカはすんなり頷いた。拍子抜けしつつ、アリヤは自分の手拭いハンカチで小鳥を包む。


「……止められるかと思ったよ」

「止めても無駄だろ」

「う……それは、そうかも」

「とりあえず連れて帰るけど、手当てはムルに頼む。そうすれば反作用は最小限になるから」


 その言葉に得心がいった。

 魔女に任せればラーフェンの作った機構で分散されるのだ。それなら誰かを助けても、アリヤに直接なんらかの被害が及んだり、それを見たセディッカが苦しむこともない。


 ――それで誰も、私の悲鳴に眉をひそめずに済むのでしたら。


 かつてムルがラーフェンの問いに返したという言葉が、ふいにアリヤの胸の内に灯った。今はその意味が痛いほどよくわかる。

 誰のことも悲しませない奇跡が起こせるのなら、代わりになんだって差し出せる。魔神だろうが悪魔だろうが喜んで契約したいと思う。

 それを、セディッカは望まないかもしれないけれど。


「ごめんね」


 思わず口をついて出た言葉に、セディッカが驚いたような顔で振り返った。


「わたし、やっぱり魔女になるよ。ラーフェンさんと契約する。ムルさんのと同じ仕組みが欲しいから」

「……生贄はどうする気だ」

「それはラーフェンさんと相談しなくちゃ。だけど、なるべく誰にも負担がかからない方法を探してみるよ。……つまり、わたし自身にも」

「そんな都合のいい方法なんて」

「ないかもしれないね。でも、諦めたくない」


 丸い蒼碧色の瞳が震えているのを、やっぱり美しいと思う。きっとセディッカの眼はアリヤにとっての『祈りの泉』だ。

 だから想いを捧げずにはいられない。

 どうか、もう、そこから悲しみが溢れ出すことのないように。水面には月と星とを映して、いつまでもその輝きを護れるようにと。


 アリヤは魔女になりたい。

 救いたい者たちを助けられるように。本当の意味で、もう誰のことも苦しめずに済むように。

 因果の歪みの極点で、救済の代償に自分自身を傷だらけにするのを、いつかは止めたい。


「……ダメか」


 セディッカは深く息を吐いて、それからアリヤを見つめ返した。


「『おまえは魔女に向いてない』……言葉に魔力を宿せばまじないになる。俺はそうやって、おまえをのろったつもりだった」

「えっ、あれそういう意味だったの?」

「半分は。残り半分、おまえ自身もそう思い込めば呪術は完成する。……でも、そうはならなかった」


 何を言われてもアリヤは諦めなかったから、その呪詛は不完全で、今この開示によって消えた。

 あるいは因果の歪みがそれを逆転させたのかもしれない。


 なぜならセディッカの拒絶こそがアリヤの痛みなのだから。心を鞭打たれるたび、特異点はその悲嘆を代償に誰かの幸福を作り出す。

 自分たちでも気づかないうちに、そういう魔術を作り上げていたのではないだろうか。

 でもそれなら、代わりに救われたのは誰だったのだろう?


「ある意味、おまえはもう魔女だ。魔力や知識の有無は関係ない。

 俺にとっては魔女なんだよ」


 傷ついた小鳥を寝かせたかごを抱えて。

 一緒にいろんな想いを抱き上げて。


 二人はようやく、足並みを揃えて歩き出した。

 ゆっくりと、けれど迷いなく、まっすぐに。

 立っている場所は少しずつ違っても、それぞれの視線が今は同じ方向を向いている。それより嬉しいことなんてアリヤにはない。


 風に樹々が揺れるたび、笑うような木洩れ陽がアリヤたちの上をちらちらとなぞる。足元にたっぷり茂った下生えが、励ますように葉擦れを奏でる。

 ひずんだ因果にさえ負けない魂を称えるように。


「……わたし、ずっと、セディくんに認めてほしかったんだ」


 気づけば自然とそう話していた。アリヤの声は、そよ風のように明るい。


「なんだそれ。俺は使い魔なんだから、もともとおまえより立場は下だぞ」

「ううん、そういうことじゃないの。今気づいたんだけどね、それって『ムルさんの使い魔のセディくん』に『魔女見習いのわたし』を、じゃなくて……『セディくん』に『わたし』を見てほしかったんだなぁって」


 セディッカはちょっと不思議そうな顔をして、ちらりとアリヤを一瞥する。

 けれどすぐに遠くの空に視線を移して、消え入りそうな小さな声で、ぽつりと呟いた。


「……見てたよ、ずっと」

「え?」

「なんでもない。……百舌鳥モズが苦しそうだから、早く帰ってムルに見せないと」

「うんっ」



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