62/「張り切りすぎたな」

 さて、来たる週末。

 アリヤはできるだけ動きやすい服装で採集に臨んだ。ちなみに薬屋ではなく街の門のところで待ち合わせているのだが、その「いつもと違う」がワクワクした気分をより高めている。


 ちょっと早めに着き、そわそわしながら待っていると、通りの彼方から見慣れた人影がやってくる。背中にかごを担いだセディッカは、アリヤの数歩前まで来て足を止めた。


「……おはよう」

「おはよう! 今日はよろしくお願いしますっ」


 ごく当たり前の挨拶でさえ幸せを感じられるのだから、恋する乙女は安上がり。


 二人並んで門を出る。目的地は北側の雑木林だと聞いている。

 魔女にも言われたとおり最初は近場で、本当に野掛けピクニックと大差がない。

 風は穏やか、薄青の空にちぎった綿毛のような雲がふんわり敷き詰められて、晩夏の陽射しを和らげてくれている。まさに行楽日和の快適な気候だ。


 気分は明るく足取り軽く、アリヤたちは木漏れ日の中に踏み込んだ。

 それからセディッカの指導のもと採集を始める。ここではいくつかの薬草に加えて、菌類きのこも何種類か採れるのだそうだ。


「この赤くて丸い茸は僧帽サンジャリ。皮膚炎の薬になる。

 こっちは似てるけど別の種類で、毒もある。これも加工次第で薬にならなくもないが、ほとんど使わないし、素手で触るとから今日は集めない」

「……どっちもおんなじに見えるよ……?」

「俺は匂いで判るけど、眼だけじゃ区別は難しいか。じゃあアリヤは集めなくていい」


 むむ。仕事がひとつ減ってしまって悔しいが、できないものは仕方がない。

 焦らず一歩ずつ進もう、と自分に言い聞かせながら、アリヤは薬草探しに専念した。


 都度セディッカがあれこれ教えてくれる。たとえばある種の薬草はあまり日の当たらない湿った日陰を好むとか、宿木によって寄生するのは決まった種類の樹なのだとか。

 そういうことを知っていれば探しやすくなり、短時間で効率よく集めることができる。

 また、あまり多く採りすぎてはいけない。その植物を食べて暮らす動物もいるし、採り尽くせば次が無くなってしまうから、必要な分だけに留めて必ずいくらか残しておく。


 樹々に囲まれて涼しいとはいえ、あちらこちらへ延々と歩き回り、這いつくばって地面と睨めっこすることも少なくない。なかなか地道な肉体労働だ。

 お昼になるころにはアリヤはけっこう疲れてしまった。それが顔に出ていたのか、セディッカが肩をすくめる。


「真剣になりすぎだ。午前中に全部終わらせる気かと思った」

「あはは……」


 苦笑いしながら適当な岩の上に腰かけて、魔女謹製のお弁当を広げる。

 包みの中には黍麦クンマの粉で作った平焼きのパンの軽食サンドイッチ菜黍麭ティクンミが入っていた。楕円型のパンを半分に切り、さらに断面に切れ目を入れて袋状にして、色々な具材を挟み込んだものだ。


 具もいろいろあって、薬草と香辛料で煮込まれた甘辛い煮豆や、チーズと胡麻のペーストにこれまた香辛料の効いた鶏の燻製肉ハム、あとはおやつデザート兼セディッカ用らしい果物とクリーム入りが数種類。

 どれも飛び上がるくらい美味しかった。思わず羽もない腕をばたばたさせるアリヤを、コウモリが驚いたような呆れたような顔で見守っている。


「……どうかしたのか?」

「あ、あのねッ、これ、すっ……ごく、おいしいぃ~~~!」

「? 人間って美味いと羽搏はばたくのか。……ムルがそんなふうにするの、見たことないけど」

「人によると思うよ!」


 たしかにあの美しい魔女がジタバタする姿なんて想像がつかないし、正直あんまり見たくない気もする。

 とにかく好意的な反応リアクションだということはご理解いただけたらしい。セディッカはいつしか胡乱げな表情をゆるめ、面白そうにアリヤを眺めていた。



 さて、美味しいティクンミと薬草茶ハーブティーで和やかな昼食を楽しんだら、再び薬草採集・午後の部だ。

 とはいえセディッカの用意したかごはすでに八分目まで埋まっている。もともと小さいのもあるが――


「朝に張り切りすぎたな。アリヤが」

「はぁい……」


 と、いうことなのでした。

 さっそく『採りすぎてはいけない』の規則に抵触しかけてしまった。反省しなければ。


「量はもう充分だから、とりあえず地形だけ見て回るか。ここは西側だから東に行こう」


 セディッカの指示に従い、周囲をよく観察しながら移動する。


 雑木林は思ったよりも広い。北部の山とザーイバを繋いでいるのだから当然ではあるが、アリヤ一人で踏み入ったら簡単に迷子になりそうだ。

 いずれは自由に歩き回れるくらいに詳しくなりたいものだけれど、それには何度も訪れる必要があるんだろう。


 山間部からの雪解け水が川を作り、それが大地を潤してオアシスを生んで、人間の街が造られた。厳密にはてんでばらばらに散っていた流れを灌漑技術で人工的に整えたものらしい。

 今も雑木林の中には細い小川が残っていて、消え入りそうなせせらぎのが耳に優しい。

 まばらな木洩れ陽を逃すまいとしてか、下生えの草は大きな葉を茂らせている。それを脛でかき分けるたびざらざらと葉擦れが笑った。


 ――ふと、二人の足が止まる。


 何を言うでもなく顔を見合わせていた。お互い同じものを感じ取ったのだと、それでわかる。


 空気中に誰かの思念が漂っている。アリヤに聞き取れる言葉の形を為していないのは、恐らくその主が人間ではないからだろう。

 少なくとも穏やかな状態ではないようで、その誰かの感情には、恐怖や苦痛めいた刺々しい色が滲んでいる。


「これ……」

「……、こっちのほうだ」


 アリヤよりもはっきりとその悲鳴を感じ取れるらしいセディッカの背を、焦燥とともに追いかけた。


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