58/(……な、なんか恥ずかしい)

 そろりと台所に顔を覗かせると、セディッカはちょうど竃から月麭ザルミを取り出しているところだった。焼きたての芳ばしい小麦と果物の香りがたまらない。

 彼はすぐアリヤに気づいて、話は聞いてた、と言った。


「……なんでこの状況で俺たちを残すって発想になるんだよ」


 というのはかなり小さな声だったので、たぶん独り言のつもりだろう。相槌は控えたものの、気持ちはわかる、とアリヤは思った。

 こちらとしては「なるべく今までどおりに接する」と約束したわけだから、信頼してもらっているのだと考えるほかない。


 ともかく魔女から直々の要請であれば、見習いも使い魔も応えないわけにはいかなかった。

 表には不在の札を出し、よほど必要ない気もするが、改めて施錠しておく。魔女の薬屋に盗みに入ろうなんて人、果たしてるんだろうか?

 月麭も半分ほどかごに詰めて持っていく。もともと、小さいのをたくさん焼いて周りに配るのが習わしなのだ。


 セディッカと二人で外に出ると、まるで帰りの送迎のような気分になるが、もちろんまだ日中だし進む方向も違う。

 それがなんだか不思議だ。特別な感じもして、ちょっとくすぐったい。


「こんな時間じゃ何もなさそうだな」

「ううん、朝からもう色々出てたよ。例の募金の人たちもそうだし」

「ああ。……そいつらは避けたほうがいいんじゃないのか。おまえの顔を覚えてたらたかってくるかもしれない」


 そんな、落とした飴に群がる蟻みたいに……。

 セディッカの心配もわからないではないけれど、募金活動をしている団体はいくつもあるし、場所が決まっているわけでもない。できることなんて朝と違う道を選ぶくらいだ。


 むしろそれすら杞憂と笑わんばかりに、通りはすでに人でごった返していた。

 朝の市場を思わせるような活気だ。騒がしいのはあまり得意ではないらしいセディッカは、少しうるさそうにしている。

 広場に近づくほど人気が増し、賑わいが高まっていく。二人は微妙な距離を保っていたせいで、よその人とすれ違うとき、お互いの間を遮るように横切られることが何度もあった。


 アリヤが一抹の不安を感じたのが伝わったのか、蒼碧の瞳がこちらを見る。


「……はぐれそうだな」

「うん、どうする? 手を繋ぐ……のは、たぶん無理だよね」

「ああ、……そうだ、こうしよう」


 セディッカの魔力がアリヤに向けて、蛇か紐のように細長く伸ばされた。

 しかも、見よう見まねでいいからアリヤもやれ、とのこと。とりあえずなんとか似たような感じになって……と精一杯念じると、さすがに下手くそでかなり太くて短いものの、一応伸ばすことはできた。


 にょろりと伸びた尻尾のような魔力同士が、そのまま絡み合う。


(……な、なんか恥ずかしい)


 よくわからないけれど、そう感じた。

 手よりもっと深い場所で直接触れ合っている。きっと気をつけなければ、お互いの考えていることまで繋がってしまう。

 だとしたら、アリヤの気持ちがありったけ、彼の側に流れてしまわないだろうか。


 もちろんセディッカはアリヤより何倍も魔力の扱いに慣れているから、そんなヘマはしないだろうけれど。

 わかっていても落ち着かない。赤くなって俯いた見習いを、使い魔はちょっと不思議そうに眺めていた。


 無意味にドキドキしながら、また歩いていく。

 広場の周辺は小さめの露店が多かったが、中心の近くは大きな天幕テントが目立つ。ここに出店できるのは名と資金のある大店おおだなだけだ。

 そこで見知った姿を見つけ、アリヤは声を上げた。


「ファーミーン!」

「あらアリヤ、……まあ、今日はセディッカさんもご一緒? 二人ともごきげんよう!」

「どうも」


 ファーミーンはひときわ大きく煌びやかな天幕の前に立っていた。いつもの制服ではなく色鮮やかな染織りの長衣ワンピース姿で、軽く化粧もしているので、なんだか少し大人っぽい。

 彼女は大きな宝石商の娘である。どうやら今日は店番らしい。


 天幕の下、ファーミーンの背後の台にずらりと並ぶのは、祈望祝ヤーザラーンの日にだけ売られる「月の眼」という護符。その名のとおり、満月を模した丸い石を嵌め込んだお守りだ。

 財布に入れるような小さなものから、中庭の置物として飾るような立派なものまで、大きさや形はさまざま。

 あくまで月を想定イメージしているので普通は白い石だけだが、装飾品アクセサリーでは色石を添えたものもある、


「アリヤもひとついかが? お友達価格にしてあげるわよ」

「そうだねぇ。んー、どれもかわいいし、いっぱいあって迷っちゃうなぁ……あっそうだ、よかったら魔女さんと焼いた月麭ザルミ食べる?」

「まあ、ぜひ! ありがとう〜! やっぱり祈望祝にはこれがないとね」

「ねー。味は三種類あるんだけど、どれがいい? あときっとタレイラも来てるよね?」

「もちろん。私がここを離れられないから、代わりに買い物に行ってもらってるの。そろそろ戻ってくるんじゃないかしら」


 なんて女子ふたりが話しているころ、人のふりをしたコウモリの少年はぼんやりと月の眼の群れを眺めていた。


 たしかに月は偉大なる天空の父オニャンコポンと繋がりのある天体だが、彼が人々を見守っているというのは些か都合の良すぎる妄想だ。もちろん、そこに苦言を呈しても仕方がないことくらい、セディッカにもわかる。

 ただ、今まで人間の文化に興味すら持たずに生きてきたので、そういう考え方をするのか……と単純に不思議な気持ちだった。


 護符だそうだが、呪術的な力の気配は感じられない。それらしい形をしただけの単なる装飾品だ。

 まあ薬と信じて飲めば小麦粉でも病が癒えることがあると聞くから、こういうものは作り手ではなく所有者が込める気持ちが大事なのだろう。

 あるいはセディッカやムルならこれを本物の呪具に変えられる。


 天空の父の加護は得られなくても。

 少しくらい、彼女の痛みを他に分けられるような――ラーフェンがムルに作った機構ほどの規模ではなくても、簡易な護符くらいなら。


 なんて真剣に考え込んでしまった、そのときだった。


「あれぇ、もしかして逢引デート〜!?」



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