51/「魔女のためだけに存在していればいい」

 やっぱり彼女はお見通しで、話題を変えたふりをしただけかもしれない、と思う。コウモリの小さな魂が、じりじりと焦げ付いていることも知っているのかと。


 多くの獣は春に繁殖する。夏に仔を産めば、秋にかけて食糧に困らないからだ。

 コウモリも同じだが、例外というか……一部の種では秋にも繁殖期がある。天敵が少なく数が減りづらい代わりに、繁殖能力が低いためらしい。

 つまり年二回、セディッカの身体は自身の意思とは無関係に発情してしまう。


 コウモリとしての生態そのものは人の姿を手に入れてからもあまり変わらない。生活こそムルに合わせて昼間に活動したり、衛生に気を遣ってはいるが、魔力を得たところで身体の構造自体は変化しないからだ。

 ただ人型でいるほうが衝動が抑えられるので、この時期は無理にでも変身し続けている。それでも去年まではそれほど苦痛ではなかった。

 それに聞くところによれば、妙齢の女性を前にすると落ち着かない、というのは人間の男でもある程度は同じらしい。期間サイクルが違うだけで人にも繁殖に適した時期があるのだろう。


 ところが今年の秋に至っては苦しい。――ことアリヤに対しては。

 彼女が無意識に放っている媚臭フェロモンは、他の女学生たちのそれとは種類が違うようにさえ感じる。


 人間、そしてシャマンティンのような生物との関わりが深い精霊はどうやら、単につがいを作ることを恋と呼ぶわけではないようだ。

 愛することと求めることは似ているが、少し違う――セディッカはそれを正しく理解できてはいないが、そうらしい、という認識はしている。どこがどう異なるのかわからないのは、まだ人の言うところの「恋」を経験していないからだろう。

 そして自分がアリヤを特別視していることも自覚していた。というより、特異点を他の人間と同列に扱えというほうが無理があると思うが。


 だから今の自身の状況を客観的に説明するなら、『彼女を己のつがいにしたい』という欲求がある、と言っていい。

 そしてこうも思う――恐らくそれは、人間が「恋」と呼んで尊ぶ感情とはかけ離れている。

 正確なところはわからないけれど、きっとそうなのだろうと考えている。


 魂の恋とか運命の相手だとか、そんな気取った言葉が似合うものではない。

 獣としての雄の本能が雌を欲しがっているだけだ。アリヤはたまたま一番近くにいるムル以外の人間の若い女で、ともすれば特異点の特性で、余計に惹きつけられるのかもしれない。


 だから距離を置いたほうがいい。可能なら同じ空間にいたくない。

 それでしばらく避けていたが、流石にあからさますぎて悲しませてしまったようで、ムルのすすめに従って欲求を抑える薬を飲む羽目になった。けれどもセディッカはそれをさほど苦痛には思っていない。

 アリヤに不用意に触れて、傷つけてしまうほうがずっと恐ろしいのだ。ただでさえ苦痛にまみれた彼女の人生をこれ以上甚振るわけにはいかない。


「……いいんだ。俺はもうコウモリじゃないとしても、人間になったわけでもない。つまり誰とも違う者だ。それなら誰かとつがう必要もないはずだろ」

「それは、あなたの本心かしら?」

「当然。そもそも使い魔なんだから、俺は魔女のためだけに存在していればいい」


 きっぱり言い切ると、いくらか気分が楽になった。

 言葉には力がある。ただ頭の中で思うよりも、声に出すことでその音は言霊に変わる。そこに魔力を伴うのなら呪術の体を成す。

 つまりこの瞬間、セディッカは自分にまじないを施した。自身の考えを改めるか、同等の魔力によって破られるまでは、ずっとその効果は続く。


 本当ならコウモリに人間の感性なんて要らなかったのかもしれない。何も考えず、ただ魔女のためだけに動く生きものであったなら、あれこれ思い煩うこともなかった。

 ムルのことで悲しんだり、アリヤのために苦しまずに済んだろう。


 そう思うと人間というのは変な生きものだ。日々こんなにも煩雑な思考を抱えて暮らしているなんて、よく嫌にならないものだと思う。

 生まれついてそうなら慣れてしまうのだろうか。


「……、いずれ魂があなたを導くでしょう。妾が、あの恐ろしい樹上の吸血鬼アサンボサムと惹かれ合ってしまったように、宿命そのものに抗うことはできないわ。

 けれど、すべての結実はあなたの決断次第。どうか後悔のないようにね」

「わかってる。……ありがとう、シャマンティン。話してたら少し気が楽になった」

「まあ良かった。最初に挨拶したとき、あなた、なんだか悲しそうな顔をしていたから」


 奥方の微笑みに見守られながら、コウモリに戻る。小さな身体は荷物の運搬には不便だし、何より奥のほうがざわついて苦しいが、ずっと人間の姿でい続けるのも楽じゃない。

 荷物は今のセディッカの体格の倍ほどはある。その口の結び目を検めつつ、シャマンティンは歌うように言った。


「さて、荷を軽くしてあげましょうね。日が暮れて夫が戻らないうちに……気をつけてお帰り、坊や」

「どうも」


 精霊の手から荷物を受け取る。言葉どおり、見た目に反してほとんど重さを感じないそれを首から提げて、使い魔は飛び立った。


 シャマンティンとアサンボサムの森からザーイバまでは、人の足で歩けば三日ほど。飛んでいけば二日もかからないし、魔力に頼れば一晩くらい休みなしでも平気だ。

 もちろんそれなりに疲れはするが、帰りついてから休めばいい。


 空は鮮やかな茜色に焼けている。あれは朝陽だから、このまままっすぐ飛べば明日の昼すぎには帰りつけるだろう。

 ……つまりアリヤに出くわさないで済む。

 セディッカが帰ってきたと知ったら、律儀な彼女のことだから、わざわざ挨拶しようとするだろう。自分が補習を終えたときみたいに。


 あの日、茶葉を選ばせてやったくらいで腑抜けた笑顔を浮かべていた。今はそれを思い出すと胸が苦しい。

 無邪気に笑いかけたりしないでほしい。

 何もできず、支えにもなってやれない――無力な使い魔には、あまりにも不相応だから。



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