50/「魂の恋を捨てるのと同じよ」

 ザーイバから山ふたつほど離れた、深く豊かな森の奥。

 その支配者たる森の奥方シャマンティンは、大抵のことは知っている。こちらが話していないことまで見透かされているように思うこともしばしばだ。

 とくに、彼女の熟れた果実のような丸い真紅の瞳に見つめられると、なせだか嘘を暴かれたかのような羞恥心に襲われる。なにかやましい隠しごとがあるわけでもないのに。


「ムルは例の娘を受け入れたのね。とても彼女らしいわ」


 予め頼んでいた品々が、大きなヤシ類の葉の上にずらりと並んでいる。

 蔓草で縛ってまとめられているのは数種類の獣の牙や毛皮、爪。眼球や臓器に体液などの生ものは瓶詰めで、あとは丸ごと日干しにされた小動物などもある。


 見慣れるまでは少々おどろおどろしい光景の向こうで、奥方は胡座をかいていた。

 その姿はおおむね人に似ている。しかし蔓草や木の葉を継ぎ合わせた衣装なんて、紡績技術の進んだ今日こんにちでは、よほどの僻地でもなければなかなか見られなくなった。

 ましてや彼女のそれはいる。季節を告げる花々が鮮やかに咲き誇り、時にはそこへ不用意に傍寄った羽虫が、粘液のついた蔓に捕らわれるのが見える。


 対峙しているセディッカは人型になり、持ってきた返礼品――こちらも飲み薬や貼り薬など種類はさまざま、数があれば重さも相応――を布包から出しながら相槌を打った。


「まあ残念ながら。……そういえばアリヤのことはあんたも知ってるんだったっけ。なら、最初からこうなることも予想してたのか?」

「まさか、まさか。わたくしに未来を知る力などありはしないもの。けれど、そうね……最初に話を聞いたときに、彼女はムルの道を尊ぶだろうと思ったわ。

 ――その娘は、恐らく魔女の影だもの」


 シャマンティンの思わぬ言葉に、セディッカは目を見開いた。

 奥方の表情は読めない。それ自体はいつものことなので今さら何とも思わないが、相変わらずの灼眼に、胸をじっと射抜かれている心地がした。


「……何だって? それ、どういう意味……」

稲妻を纏う者インプンドゥルの光を受けて、魔女の背後に影が落ちる。彼はそれを砕いて塵にした。けれど、どれほどの歳月をかけても、因果は必ず巡るものよ。

 総ての命は、次に生まれ落ちる魂に影響を与える」

「待て、待ってくれ……それじゃまるで反作用から人が生まれたみたいに聞こえる。それに輪廻に触れるのは、普通は死んだ魂だけなんじゃ」

「そうねえ、でも、インプンドゥルは特異点を長命に変えてしまったでしょう。だからとうの昔に死ぬはずの女が今もこの世にる……それは『歪み』。だから、影も歪んでいるのだわ」


 初めて聞く話だった。ムルが本来の寿命より長く生きていることで、生命の均衡が揺らいでしまっている――その結果、無関係な少女の魂に何らかの影響を与えた。

 それが本当なら、アリヤは本来ただの人間として生まれるはずだったのかもしれない。

 たしかに言われてみれば、ただでさえ例外的存在である特異点が、ひとつの都市という狭い範囲に同時に二人も居るのは不自然だ。あながち的外れでもないような気がする。


 ――アリヤが厳密には特異点ではないのだとしたら。もしかしたら、彼女を普通の人間に戻せるのではないか?


 一瞬そんな考えがセディッカの脳裏によぎった。

 希望めいたものを感じてしまった。諦めていた火種から煙が上がり、あるいは暗く湿った洞窟の中で、彼方に松明の灯りを見たような。そんな温かな幻想を刹那、夢見た。


 けれど……すぐに、かぶりを振る。


「……ラーフェンは何も言わなかった。もしあんたの言うとおりだとしても、あいつが気づいてないはずがない。知ってて黙ってたってことは変えられないんだ。アリヤは特異点のままで、そのうち魔女になる……」

「あら、まあ。だいぶん悲観的だけれど、よほど彼女を気に入ってるようね」

「そんなんじゃ……」


 否定したところでシャマンティンの微笑みは崩れなかった。総てを見透かす紅玉髄カーネリアンの瞳には、何が映っているのだろう。

 しかしセディッカがだいぶん答えづらそうなのを見て、奥方はわざとらしく話題を変えた。


「ところでセディッカ坊や、身体はどう? うちの子たちはもう見苦しい有様でねえ」

「……ああ、うん、……今年の秋は俺もひどくて、初めて薬で抑えてる。このごろ夕方になると店が女だらけになるから余計に……」

「まあ、まあ。もう坊やだなんて呼んではいけないかしら。……毎度のこととはいえ、人の社会に合わせて暮らすのもつらいでしょう」

「もう慣れたよ、少しは」


 話しながら、薬を取り出して空になった布に、今度は毛皮や瓶詰めを包んでいく。


 シャマンティンが「うちの子」と呼ぶのはこの森に棲まう動植物のことで、なんなら彼女はこの世の生物すべてを我が子のように慈しんでいる。

 それでセディッカにとってはある意味ムルより本音を語りやすい、母親めいた存在でもあった。

 コウモリとしての実母は当然もういないし、魔女がどんなに優しくても、あくまで主人と僕だ。それにムルには言いづらいこともある。


「坊や……あなたは森を離れたから、運命は人間ムルの側に渡った。もう妾の許には戻って来られないのよ」

「わかってる」

「いいえ、あなたは理解していない。森の獣であることをやめた時点で、あなたの運命の相手もまた、人の形になったのよ。出逢えば必ずそれと判るわ――魂が求めてやまないのだから」


 そこでシャマンティンは言葉を切り、自らの胸の上に手を重ねた。

 古来より魂は心臓の中にあるとされる。だから謝罪する際に短刀をそこに宛がうのは、己の霊魂を差し出すという意味でもあるのだ。


「今のあなたが人間を拒むことは、魂の恋を捨てるのと同じよ……それはとても、とてもつらいことよ、坊や」



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