52/「楽しくなってきちゃって」

 件の薬の準備は順調に進んでいる。修行もきっちりやって、合間に友人たちとお茶を楽しむ余裕さえ持てているので、このごろアリヤは機嫌がいい。

 もしここにセディッカもいて、彼とまともに会話ができたら言うことなしだ。


 もちろん、残念ながら、今はそれこそが最難関。だから薬を作るのだ。

 喜んで……はさすがに無理だろうけれども、ちゃんと受け取ってもらえたらいいな、と思う。


 そんなこんなの見習い少女は、今は不在の使い魔に代わり、掃除などの雑用も引き受けていた。

 機嫌がいい理由はそれもある。なんというか、ただ修行に明け暮れるよりも「弟子っぽい」気がするので。

 魔女もアリヤに対してさほど遠慮をしなくなってきているのが、師弟らしいようで嬉しい。


 とくに今は街全体が祝祭期間に入ったため、学校も午前までの短縮授業なのだ。それで昼すぎからまる半日、薬屋を手伝っているわけだが、それも修行の一環である。


「さてと。手が空いたんですけど、何かすることありますか?」

「アリヤさんは働き者ですね。それでは、次は休憩をしてもらいましょうか」

「あれ。……えへへ、なんかこう、あれこれ動き回ってたら楽しくなってきちゃって……」

「ふふ、わかりますよ。私もそうです」


 ちなみに珍しく友人たちはいない。

 ファーミーンは祝祭に絡んだ家の用事で来られず、それでタレイラも遠慮した。普段あまりにも入り浸りすぎているから、たまにはアリヤが修行に集中できるように、と。

 気遣いが嬉しいような、ちょっと寂しいような。

 そんなわけで今日はムルと二人きり。といってもちょこちょこお客さんが来るのでゆっくり話すような暇はなく、魔女が笑いながら休憩を提案してくるくらいには忙しなく働いていた。


 アリヤがもうだいぶ慣れた感じでお茶の用意をしていると、魔女がゴミ箱を見て言う。


「そろそろ空けないと」

「あ、わたし捨ててきます! 裏口でしたよね?」

「ええ、お願いします。その間にお茶を淹れておきますね」

「ありがとうございますっ」


 ゴミ箱を抱え、アリヤは軽やかな足取りで歩き出した。

 普通は勝手口というと台所にあるものだが、薬屋と住まいに挟まれた少し特殊な間取りのせいなのか、この家ではなぜか居間にある。

 なので一旦店から外に出ようとして、魔女におっとりと引き留められた。


「そちらからでは遠回りですよ。中を通ったほうが」

「えっ、いいんですか!?」


 魔女はにこにこしながら、アリヤさんなら構いませんよ、と言って頷いた。

 台所に出入りできるだけでも特権くらいに思っていたのに、私的空間プライベートエリアにまで立ち入ってもいいなんて。なんだか弟子としての格が上がったような気がして嬉しい。


 歓声を上げたい気分になりつつ、ちょっぴりそわそわしながら扉を開けた。魔女の住居ということはセディッカの家でもある。

 もちろんただ通るだけで何もしないけれど、ちょっと緊張してしまう。

 ラーフェンが帰るときにも裏口から居間を覗いたが、あれはもっと短い時間。それも扉の中には入らなかったから、ごく一部しか見えなかった。実際に中を歩くのはぜんぜん違う。


 改めて見るとあちこちに細いはりのようなものがあって、恐らくセディッカ用の止まり木なのだろう。家の中ではコウモリの姿でいるほうが多いのかもしれない。

 室内はさっぱりとした植物のアロマが漂っているが、その中にかすかに獣の臭いもする。


(会いたいなぁ)


 ついそんなことを考える。

 そろそろ仕入れから帰ってくる頃合いだろうけれど、今日か明日かはわからない。夜だったりして入れ違いになるかもしれない。

 それにセディッカの側はアリヤに会いたくなどないだろうから、あまり喜色満面で近づくのは控えたほうがいいだろう。


 薬を受け取ってもらえても、想いを告げるべきではないかもしれない。きっと困らせてしまう。

 けれど、知ってほしい。


 アリヤは幸せだ。セディッカが思っているよりずっと、たくさんの喜びを彼にもらっている。

 彼がそこに居てくれるだけで、言葉にならないくらいに嬉しいのだ。

 こうして薬を作るのは、傷つけてしまったお詫びではあるけれど、お礼でもある。迷惑かもしれないけれど、セディッカに出逢えて、恋ができて、本当によかった。


 そんな気持ちをいつか、余すことなく伝えられたらいいのに。


 気を取り直して裏口の戸を開ける。すぐ外に大きなかめがあって、ここに生ゴミを入れておくと肥料になるらしい。

 薬屋の裏手には一部の薬草を育てている小さな菜園があって、そこに使っているそうだ。余ったら外の採集地に持っていくこともあるのだとか。

 今日は割れ物などもないので、中身をそのまま甕に放り込めば終わり。


 単純作業を終えてすぐに中に戻ろうとしたアリヤだったが、扉を閉じかけたところでふと立ち止まった。

 空の彼方に妙な影があるのだ。鳥……には見えない。こちらに近づいてきているようで、だんだん大きくなっている。


 ある程度近くまで来たところで、その影の一部が蒼碧色の魔力をまとっていることに気づいた。


「……セディくん?」


 最初わからなかったのは、大きな荷物のせいだ。

 なんとコウモリの身体の倍以上もある布包を抱えている。まるで袋が空を飛んでいるみたいだが、重くないのだろうか。

 それに一般市民が見たらかなり驚く光景だと思うのだけれど……まあ、きっと人目につかなくなる術だろう。


 セディッカも少し遅れてアリヤに気づき、なぜか一瞬固まった。

 急に羽搏くのをやめたせいで、体勢が崩れて荷物が落ちそうになる。すぐに拾おうとしたけれど、翼のついた両腕は大きな荷物を抱えるのには不向きだし、何よりまだ飛んでいる最中だ。


 うまく持ち直せずによろよろと降下し始めた彼を見て、アリヤは慌てて駆け寄った。



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