45/「……嫌いだ、おまえなんか」

 頭の中が真っ白に焼け落ちる。怒り、混乱、それから名前もよくわからない無数の感情が棘となって、一斉にセディッカの心をあらゆる方角から刺し貫いた。

 激痛に使い魔は悲鳴を上げる。曰く、


「お、まえは……、ッ自分が、何を言ってるのか、わかってるのか!?」

「うん。そのつもり。……魔女さんが死んじゃうくらい、たくさん血を出さなきゃいけないんだよね。それなら、わたしだって特異点なんだし、二人だったら死ななくてもなんとかならないかなって……ラーフェンさん、魔女さん、どうでしょうか」

「……可能だろう。二人ともから生命維持の限界まで啜ればなんとか、ではあるが」

「アリヤさん……本当にいいんですか?」


 魔女が気遣わしげに尋ねてくるのが可笑しかったのか、アリヤは微笑みながら頷いた。


「わたし、あなたの弟子ですから。魔女さんが死んじゃうのは痛いのよりも嫌です」

「……わかりました。ラーフェンさま、お願いします」


 ああ、どうして、なぜ彼女たちはこうなんだ。

 他人のことばかり考えて、自分だけ犠牲になれば済むと思っている。卑屈からではなく純然たる無垢な善意によって、ともすれば笑顔さえ浮かべて苦難を受け入れ、それを己の喜びだとまで錯覚している。


 それを側から見ているこちらの悲嘆なんて、これっぽっちも気付かないで。


「いいだろう。……セディッカもいいね、頼んだよ」


 もはや問いかけの体裁すら取らないラーフェンの言葉に、セディッカは頷くしかなかった。

 どれほど心が嫌だと叫んでも、魂が苦痛に呻いて血を吐いても、使い魔ごときに魔女の決断は覆せない。時間はもちろん、他に街を守る方法がないこともわかっているからだ。

 ……もう何百年もかけて、彼女たちの思想を変えられないことだって、嫌というほど思い知らされている。


 いつも、いつも、いつだってそうだった。

 やめてくれと泣いて叫んでも伝わらなかった。


 わかっていた。血を欲しがるラーフェンが悪いのではない、その契約を受け入れた時点で、誰でもないムルこそが苛烈に彼女自身を傷つけているのだから。

 わかっていた。だからこそ、……アリヤにはそうなってほしくなかった。

 魔女ムルにはならないでほしかった。


 それなのに。


 セディッカの目の前で、インプンドゥルが少女の胸を貫く。彼女の柔らかな心臓の中心を穿って、そこから慈悲と友愛に充ち満ちた緋色の血を、ありったけ啜り上げる。

 ずるるるるるるるるるるるるるる。

 あたりに響くのは、耳を塞ぎたくなるようなおぞましい音。元から赤いくちばしがより鮮やかに染まるのを茫然と眺めながら、砂に汚れたセディッカの頬を、生温かいものが拭っていく。


 やがて腹を膨らせた魔神は満足げにひと鳴きした。

 足許には女たちが転がっている。死体かと思うような血の気のない顔をして、うつろな瞳に虚空を映しながら。


 魔力の奔流が視える。魔鳥の内側にある源泉から湧き出る黒々とした幻影が、傷ついていたラーフェンの霊体を、ばきばきと音を立てて見る間に修復していく。

 魔神インプンドゥルが中程度の神格とされている最大の理由は、彼が常に餓えているからだという。

 なら――それが完全に満たされて、さらに特異点たちの苦痛を対価に引き出した反作用を味方につけたのなら、どれくらいの力量になるのだろうか。


 使い魔にはわからない。興味もない。

 今は呪詛を紡ぎ、血を吸われて干からびかけている魔女たちを守ること以外、考える必要もない。


 拭うことすらしていなかった涙が、アリヤの頬に落ちた。砂嵐に曇った鏡色の眼がわずかに動いてこちらを見る。

 表情はほとんどないけれど、彼女が何を思っているかは、聞かなくてもわかる。


「……嫌いだ、おまえなんか」


 他にもっと言うべきことがあったのに、彼女を詰ったって仕方がないのに、そんな言葉が口をついて出た。



 ・・・✴︎



 青白い雷光を編み上げて一条の槍とする。

 耳障りな音を鳴らして荒ぶりけば立つ刃を、可能なかぎり細く鋭く収束させていく。もはや錐や針にも例えられるほどに。

 なぜならこれは、広範な破壊を目指すものではない。今はただ一点を確実に穿つための精密さが必要なのだ。


 雷槍を携えた魔神は一気に悪霊へ肉薄した。

 混沌の渦から触手が伸びる。体内で暴れ狂う魔力を鎮静化するには漆黒の稲妻が必要であると、彼女も本能で理解しているのだ。


 そのとおり。それでいい。


 ラーフェンは敢えて抵抗せずに捕食を受けた。

 絡みついた触手に霊体を一旦ばらはらに分解されるが、内部に取り込まれたあとで稲妻の槍を軸に再構成する。魔女たちの献身があればこの程度は容易に即時修復が可能だ。

 あとは魔法陣へ吸い寄せられるまま、槍の刃先をその中心へ向け――放った。


 極めて高密度の雷撃による、精彩な一閃。

 死者の魂をこの世に引き留めるための呪縛、魔神から奪って練り上げられた魔力の鎖を打ち砕き、術式を停止させる。


 どくん、とあたりが拍動した。

 強制停止によって魔力の逆流が起きる。自己崩壊ほどの破壊はもたらさないが、それでも周囲の地形を変える程度にはなるだろう。

 むろんそれは、何もしなければ、の話だ。


 すでに魔神たちは解放された。すなわち各々が自身に属する力の制御を取り戻した。

 とくに言葉を交わす必要もなく、五柱は協力して均衡を保つ。それまで無秩序に膨張していた霊体が見る間にゆるゆると萎んでいく。


 やがて本来の人の姿を取り戻したワティサリは、魔神たちに向かい、握り拳を胸に充てた。


『……ご迷惑を、おかけしました』


 小さな声でそう告げ、最後にラーフェンに向けて小さく会釈したように思う。彼女の身体は無数の塵となり、すでに大半が世界に溶け散っていたあとだったから、確証はないけれど。



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