41/「それは一刻の猶予もないな」

 反魂術そのものは、これまでに何人もの妖術師や魔女が挑戦を重ねて、おおよその仕組みが解明されている。冥界から任意の魂を呼び戻すだけならムルにもできるのだ。

 そのうえで不可能とされる理由は三つある。


 一つは、その行為自体が均衡を脅かすゆえに禁忌であるということ。手を出せば必ず神霊からの妨害ないし制裁が待っている。


 二つ。呼び戻した魂を此岸に留めるには、それを入れる肉体――なるべく本人の死体を、限りなく生きているのと近い状態で保存しなければならない。

 少しでも腐ったりして使えない場合は他人でも代用できなくはない。ただし魂と肉体には相性があり、生贄には適した人物を探す必要がある。


 そして三つめ。

 適合する肉体に魂を収めても、あくまで死者であるからには、彼岸に引き戻そうとする超自然の力が働く。抗うにはそれより強い力で縛りつけておかねばならない。

 ナバトはこのために魔神を欲した。それもわざわざ、中格とはいえ司る元素の異なるものを五柱も集めていたのには、相応の理由があった。


「あの儀礼場、床下にでっかい魔法陣があった。それで、ウチとウチが捕まったときにはもう、中にワティサリが入ってたよ」

「肉体を待たずに反魂したのか。それだけ大掛かりにしたのはもちろん、そのワティサリって女の自我を保持するためだろうね」

「うん。でね、閉じ込められてからインぷーが来るまで、ウチらずっと力を吸われてた」


 あのとき儀式場ごとナバトを滅ぼした。術者の死によって魔法陣は機能しなくなり、封じられていた魂も冥界へ戻り、それで一件落着のはずだった。

 後始末を地元の精霊カクア・カンブジに任せて、きちんとこの目で確かめなかったのが仇になったか。


 つまり魔法陣の壊れ方が中途半端だったか何かして、ワティサリの魂がこちらに留まった。そのうえで吸わされていた魔神の力によって変容したらしい。

 儀式が不完全な形で中断されたから、生前の記憶や自我も失っているだろう。

 本来のナバトの計画では、厳密な計算の上で集められた五種の魔力が溶け合い、さらに器に特異点の女を用いることで死者の業すら覆し、本来の人格を完璧に保ったまま蘇生される予定であったはずだ。


 生物でも少なからず魔力のある者はいるし、怨恨を抱いて死んだ者に好んで憑く悪趣味な魔物もいる。そのような、死してなお此岸に留まり凶悪化した霊魂を、悪霊と呼ぶ。

 ワティサリも分類するならそうだろう。しかし、人間の霊が魔神を襲ったなんて話はさすがに聞いたことがない。


「状況はわかったけど、それでなんで僕のところに来たんだ? 頼るならネナウニルのほうが」

「んーん。……もう喰われてる」

「……まさか反魂術に関わった魔神、全員?」


 ラーフェンの問いにハルナは頷いた。

 つまり風の魔神ネナウニルはもちろん、炎の魔神アジュア、地の魔神キンキルシ、そして水の魔神の片割れハルン――中格とはいえ魔神を三柱と半分も呑んだというのだ。前代未聞どころではない。


「あとね、ウチらよ……」

「……それは一刻の猶予もないな。せめて人里に被害が及ばないように、砂漠にでも移動しよう」


 閃光がその場を包む。

 一度に全員を運ぶとなるとあまり遠くには移せないが、幸いザーイバの周囲には広々とした砂漠がいくらでも広がっているから、ひとまず街の外にさえ出られれば充分。


 正直アリヤは除外するべきだろうが、街に置いていっても探しにくるかもしれない。その場合こちらの目の届かない場所にいるほうがむしろ危険だ。

 ……そうは思わないらしいセディッカにはまた睨まれているが、無視した。説明する暇はない。


 それより、ひとつ問題がある。


 ナバトの洞窟を破壊してしばらく経った。悪霊化したワティサリが魔神たちを襲うまでに、少し時間がかかりすぎている。

 それ自体はまあ、魔法陣からすぐに出てきたわけではないのだろうとか、下手すると後始末を引き受けたカクア・カンブジを先に襲っていたとも考えられるから、不思議ではない。……後者だとさらに話が難しくなるので勘弁願いたいが。

 けれど、もっと悩ましいことは――……。


「――来るよ!」


 ハルナがぱっと顔を上げて叫んだ。

 水の魔神は互いを感知している。ゆえに悪霊も彼女を追って来られる。

 しかしハルンがまだ滅びていないなら、同じく喰われた他の魔神ともども、救い出せる可能性がある。


 しかし――ささやかな希望をあざ笑うかのごとく、地面がおぞましい音を上げた。

 揺れるというより軋んでいるとでもいうような、歪な振動があたり一帯の地表に走り、無数の砂がぶつかり合ってけたたましく騒ぐ。一瞬で広大な砂漠がさながら巨大な楽器と化した。

 周りには木や岩のようなしがみつけるものが何もない。五人はなすすべなく砂塵に呑まれ、轟音の嵐の中でめちゃくちゃに転がった。


「まったく……!」


 ラーフェンはなんとか鳥の姿に戻り、砂嵐よりも高く飛び上がって難を逃れる。

 上空から見下ろすと、流砂が巨大な渦を描いていた。恐らく中心にワティサリがいて、ハルナだけでなく全員をまとめて喰らうつもりだろう。


 魔鳥インプンドゥルは吠えるように鳴いた。天と地の双方から、獣が地平を噛み砕くように神為雷いかずちの牙が轟く。


 荒塵で視界はすこぶる悪く、中に囚われた面々を避けることなど不可能であったので、なるべく傷つけないよう威力を抑えた。

 したがって悪霊にも大した衝撃ショックは与えられないが、驚かせて攻撃の手を緩ませられればそれでいい。ほんの一瞬の間隙で、かすかに晴れた砂嵐の中から一人ずつ掬い上げる。

 ちょうどムルとアリヤを拾ったところで、使い魔がコウモリに戻って飛び出してきた。


 眼下では再び砂が活発化している。取り残されたハルナはその身を大蛇に変え、周囲に錆色の水を吐き出して砂塵に抗っていた。

 その少し奥、渦の中央から、わずかに人間の女と思しき幻影が這い出そうとしているのが、全員の目に留まる。


「いいかい、あれを人だと思ってはいけないよ」


 魔神の冷徹な言葉に、魔女たちは疲れ果てた砂だらけの顔を、不安の色に染めた。



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