40/「まだだった。終わってなかった……」
魔女とどんな話をしたのかわからないが、翌日はセディッカが初めから台所にいた。
さらにタレイラたちが帰ってからは店内のほうに出てきた。
やっぱり魔女には逆らえないんだな、とつい感心してしまったけれど、やはり無理を押しているのでは、という不安も拭えない。
声をかけていいのかわからなくて、結局ほとんど会話ができないまま時間だけが過ぎる。これでは昨日までと何も変わらないような……。
せめて理由なり原因を知りたい。それでアリヤにできることがあるなら、何だってするのに。
なんて見習いの少女が悩んでいるのを、使い魔もちらちら見ては、何か言いたげに口をもぞもぞやっていた。
アリヤもそれに気づいてはいる。でもここで自分が話しかけたら、彼から話す機会を奪ってしまう気がして、何も言えない。
そんなこんなで今日も気まずい二人を、魔神と魔女も呆れたり困ったような顔で見守るばかり。
セディッカが何も言わないまま、とうとうアリヤも帰宅する頃合いになった。
しかしまだ諦めてはいない。送迎の間に話を聞ける可能性はまだあるし、むしろ二人きりのほうが落ち着いて向き合えるかもしれない。
(焦ってもしょうがないよね。
わたしも暗い顔してちゃダメだ。もっと話しかけやすい雰囲気を作らないと)
すべてはセディッカ次第。
アリヤにできるのは、寂しさを堪えて気長に待つことだけ。
ふと思った。かつてアリヤが想いを寄せていた神学生も、こんな気持ちでいたのだろうか。
だとしたら悪いことをしたな、と。
そしてもしかすると、その罰が因果の法則とやらに従って、ようやく巡ってきたのかもしれない。
ならばこそ、黙って待つほかに道は――。
「……? これは」
その声はラーフェンのもので、ちょうどアリヤは荷物を持って扉の前まできたところだった。
セディッカはわざわざ戸を開けながら外で待っていてくれている。避けているわりに優しいところがずるいというか嬉しいというか、それだから、嫌われてはいないというかすかな希望に縋りつける。
しかし呑気なのはアリヤだけで、魔女も使い魔もすでに顔を強張らせていた――理由は見習いの少女にもすぐにわかった。
悪臭だ。川底の泥のような生臭いにおいがどこからともなく漂ってきたかと思えば、足許でびちゃびちゃと不可解な水音が響く。
ここは乾燥の厳しい砂漠の街、それも今は一段と雨に乏しい夏の乾季だというのに、床が水浸しになっていた。
奇妙な汚水はどうやら薬屋の床下から湧き出しているらしい。あっという間にかさを増して、ついに小さな池のようになったその中心は、ごぼごぼと濁った音を立てて渦巻いている。
しかも溢れては消える泡沫の中には、少なくない量の赤色が混ざっていた。
悲鳴を上げそうになったアリヤの前に、セディッカが身を翻して割り込んだ。同時にラーフェンが渦に向けて手で掬うような仕草をした。
見えない力で、汚水に沈んでいたものが引き揚げられる。――人の形をした、血まみれの……子ども。
見覚えのあるその姿に、その場の全員があっと声を上げる。
「ハルナ?」
ラーフェンにそう呼ばれた
今度はたちまち水が引いていく。ふたたび床に降ろされたハルナはまだ血を流していて、一番の出どころは彼女の手らしい。
間違いない。床下から現れた少女は、ナバトの洞窟に囚われていたうちの一柱、結合双生児の姿をしていた水の魔神の片割れだ。
相方のハルンと繋がっていた手首が、今は何者かに斬り落とされていた。
「インぷー……助けて……。まだだった。終わってなかった……
「落ち着いて、わかるように説明してくれ。
――手当てを」
「はい。セディッカ、何か敷くものを持ってきて」
「わかった」
魔女の指示に頷いた使い魔は、奥に向かおうとして、途中でアリヤを振り返って言った。
「おまえはコフキヨモギとスナヤナギの用意」
「!……うん!」
こんな状況とはいえ、いや、だからか。久しぶりに聞いたセディッカの声。
しかも指定された薬草はいずれもすでに処理方法を習ったものだ。修行中ほとんど傍にいなかったにも関わらず、アリヤの習得状況を知っていたのか――単に初心者でも扱い易いものを挙げたのかもしれないけれど、だったらこんなに端的な指示で済ませるだろうか?
とにかく、セディッカが薬屋の一員として扱ってくれた。黙って見ていろ、ではなく、アリヤにも仕事をくれた。
その期待に応えられないで何が見習いか。
アリヤは俄然やる気に満ちた手で迷いなく薬草棚の扉を開けた。
丸くてふちがぎざぎざの葉の表面に、白い粉をまぶしたようなものがコフキヨモギ。これは止血効果のある薬草。
スナヤナギは葉のほかに樹皮と根、蕾などがあってすべて用途が異なる。今回は恐らく鎮痛用だから必要なのは根だろう。
アリヤが用意した薬草を、魔女が手早く処理していく。
とくに間違いや見当違いを指摘されなかったことには内心かなりホッとした。見習い修行を始めてから、実際に薬を作る場面に参加するのは初めてだったからだ。
一方、セディッカは何を言われずともお湯を沸かしたりと、慣れていることがうかがえる。
「ああ、傷はあまりきっちり塞がないようにね。どうせあとでハルンを繋げることになるから。
……で、そのハルンは? この腕は誰にやられたんだ」
「自分で……ウチじゃなくて
「その呑まれるっていうのは誰に?」
根気よく尋ねるラーフェンに、ハルナはぽろぽろ泣きながら答えた。
「“ワティサリだったもの”……あの妖術師が、冥界から取り返したかった女……」
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