第五幕 ✴︎ 遠い昔の魔女の恋
29/「いつまでこんな日が続くの」
昔からそうだったけれど、アリヤの人生はいろいろと前途多難。
今日も今日とて段差もない場所ですっ転んだり、
そのうえ放課後は毎日補習で、魔女修行は無期限で中断しっぱなし。もちろん、すでに習ったことを忘れてしまわないように、家に帰ってから復習に励んではいるものの。
……もうずっとセディッカに会えていないのが、地味につらい。
「……あぁ~……いつまでこんな日が続くの」
机にへばりついて泣き言を漏らすアリヤに、友人たちも苦笑いしながら慰める。
「あはは。今日やる小試験でいい点とれば終わるんじゃな~い?」
「それがとれる気がしないんだよぅ……」
「ごめんね、私たちも付き合ってあげたいのだけど先生に断られちゃって」
「んーん。気にかけてくれてありがと」
とりあえず今日も薬屋に向かう友人たちを送り出す。それがどれほど悲しくて虚しいことか。
補習をしてくれる先生がすぐには来ないので、教室に独りぼっちになったアリヤは窓の外を眺めながら
ああ、もう何日も魔女のお茶菓子を味わっていない。
友人たちとの雑談だけなら学校でもできるけれど、お茶があるのとないのとでは天と地ほどの差がある。それにテーブルまわりの不思議な道具があれこれ並んだ雰囲気だとか、魔女の穏やかな笑顔や声も込みで、あの空間のすべてが今は猛烈に恋しい。
何より、セディッカに会いたかった。
たとえほとんど会話がなくても、なんならまた以前のような冷たい態度に戻っても構わないから、彼の眼を見て声を聞きたい。名前を呼ばれたい。
いや、もういっそ同じ空間に居られるだけで充分だ。
感覚が狂っていたとはいえ、つい先日まで二週間もずっと一緒にいたのかと思うと、改めて不思議な感じだ。まったくなんて贅沢な日々だったのか。
セディッカがあんなに近くにいて、たくさん話もして、少しだけ彼の世界を知ることができた。
それに、そういえば、つまり、その……形だけとはいえ、キス、され……。
「……ぅわ……ぁぁ……!」
今さらそれを思い出しては胸が痛いくらいに跳ねる。
むしろ、その直後や洞窟にいる間はわりと平然としていたことのほうが、今思えば変かもしれない。なんでもっと慌てたり照れたり騒がなかったんだろう?
だって……初めて、だったのに。
あの冒険の日々が、なんだか遠い昔のように感じるのはなぜだろう。
現実味がないのだ。あまりにもできすぎていて。
だからきっと、アリヤは都合のいい夢を見ていただけで、今はもうそれが醒めてしまったのではないだろうか。
「はぁ……」
思わず溜息を吐いた。
ちょうどそこで入ってきた先生が、不思議そうな顔でアリヤを見た。
・・・✴︎
「こんにちはぁ~、今日もアリヤは補習で~す」
「あらセディッカさん、こんにちは」
「……どーも」
べつにいちいち聞かなくても知ってる。
……と内心でぼやきながら、セディッカは人の姿で店内の掃除をしていた。
薬屋の復旧はおおむね終わっている。この街のあらゆる職人の組合が連日やってきては破損した棚や机を直したり、買い換えるしかないものは格安で手配してくれたので、作業はとんとん拍子に進んだ。
女学生たちも最初は片づけの手伝いという名目で入り浸り、今はもはや前と同じく茶を啜ってだべるために来ている。
ひとつだけ違うのは、そこにアリヤがいるかどうか。彼女はずっと顔を出していない。
セディッカは昼間、コウモリの姿でちょくちょく女学校を覗いている。アリヤのようすを見るために。
だから彼女が放課後も残らされていることは承知している。
……べつに何も問題はない。
本音を言えば、魔女になることを諦めてほしいという気持ちは、少しも変わっていなかった。
今はムルも直接ラーフェンに血肉を捧げてはいないが、それもいつまで続くかはわからない。すべては気まぐれな魔神次第で、確かな事実はただひとつ、インプンドゥルの性質が変わることだけは永遠にない。
それにムルとアリヤで扱いが違うかもしれない。自分から声をかけて拾った女と、その女が勝手に指名した後継者では、同列であるはずがない。
ラーフェンはわずかな時間稼ぎのために、自分たちすら出し抜いて「代わりをやる」と妖術師に持ちかけるような輩だ。
それなのにあの魅了の魔眼のせいか、周囲の好感を得ることには長けている。そういうところが気に食わない。
何より、他ならぬムルが彼を大切に想っていることが悲しい。まるで騙されているみたいで。
「やあ、来たね」
「あっラーフェンさん、こんにちは〜♡」
「お会いできて嬉しいですぅ」
噂をすれば、というやつか、奥からラーフェンが顔を覗かせた。いつもはすぐ去ってしまうのに、今回はムルの傷が癒えるまでこちらに残る気になったらしい。
とっくに女学生たちの心は彼のとりこで、ふたりしてうっとりとろけた瞳でラーフェンを見つめている。
「アリヤは今日も補習ってやつなのかい?」
「そうで~す。え〜、ラーフェンさんてばぁ、うちらだけじゃ不満ですかぁ~?」
「はは、いや、そういうわけじゃないけど……きみたちもよく来るね。ほとんど毎日じゃないか」
「だぁってここのお茶とお菓子はとーっても美味しいんですもの。……あ、もちろん魔女さまのお仕事の邪魔はしませんわ。私たちでお手伝いできることがあればなんなりと仰ってくださいな!」
「ふふ、ありがとうございます」
いや入り浸ってる時点で少なからず邪魔なんだよ……と喉元まで込み上げたが、ぐっと堪える。どんなに彼女らが疎ましくても、主たるムルが拒まないのならセディッカが文句を言ってはいけない。
使い魔の立場は、ときどき歯がゆい。
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