30/「アリヤのことを教えてくれ」

 気難し屋の使い魔くんは今日も機嫌が悪い。

 それも珍しいことに、原因がこのラーフェンではない――というのはいささか皮肉だが、まあ、それはそれ。これはこれ。


 セディッカに嫌われている理由も重々承知しているから、使い魔としては無礼すぎる言動も黙認している。そもそも魔神にとってはコウモリごときの噛みつきなど痛くもかゆくもなし。

 たまにムルの甘やかしすぎが目につく程度だし、それも普段は離れているから気にもならない。

 ただ数年ぶりに帰郷してみた結果、セディッカと人間社会との距離感が以前とまったく変わっていない件については、さすがに閉口した。今だって女学生たちの存在をまるっと無視している。


「ラーフェンさぁん、これなんですけどぉ」

「ああ、それはあまり触らないほうがいいね、預かるよ。そっちの箱も。

 呪具は扱いが難しいから、きみたちは薬草の整頓を頼めるかい?」

「はぁ〜い♡」


 ……ここにラーフェンがいると余計に、彼女たちが邪眼に感応してこちらに寄ってしまうから、それも問題か。

 だいいち曲がりなりにも魔女の主でもある魔神が片付けの采配なんて、他の連中に見られたら失笑ものだ。甘やかしているのは自分も同じか、と上ってきた溜息を噛み殺し、インプンドゥルはコウモリを見る。


「セディッカ。僕はムルのようすを見てくるから、あとは頼む」

「ムルの看病なら俺が……」

「僕は普段ここにいないから、細かいものの配置までは把握してないんだ。そもそも彼女たちに指示を出すのは本来きみの仕事だろう」


 魔力のある者なら、そのときラーフェンの身体から小さな稲妻が発したのが見えたろう。それがぱちんとセディッカの額を小突いたのも。

 瞬間きゅっと顔を顰めてその叱責を受け止めた使い魔は、しぶしぶ……という態度を隠すことなく頷いた。

 まったく。……見た目はいくらか育っても、まだ中身は子どもだ。



 ともかく奥に引っ込むと、今度は魔女が身を起こして何やらごそごそ動いていた。建物全体が半壊したそうだから、片付けなければならない場所は何も薬屋の店内だけではないのだ。

 とはいえそれは怪我人の仕事ではない。


「ちゃんと休まないと傷が治らないよ」

「そうですが……セディッカたちがあれこれ働いてくれているのに、私だけ何もせずにじっとしているのでは、なんだか落ち着かなくて」

「……やれやれ、仕方がないな」

「あっ……」


 なぜ己の身内にはこう手のかかる者が多いのだろう。ラーフェンは今度こそ溜息を吐きながら、有無を言わさずムルを抱き上げて、彼女を寝台に強制送還してやった。

 それにたまには触れておくのもいい。魔力の受け渡しは遠隔でも可能だが、直接接触するほうが早くて正確だ。

 ただ――ムルが頬を赤らめているのだけは、なるべく見ないふりをしたかった。


 わかっている。あまり長居するべきではない。

 せめて怪我が治るまでの間だけ、治癒力を底上げしてやるために、今は傍にいてやるけれど。


「ムル、薬は飲んだかい?」

「傷薬なら今朝塗りました。でも、服用するものはなかったかと……」

「そうじゃない。……意味はわかるだろう」


 魔女は長いまつ毛を瞬かせた。それから、少し悲しそうに微笑む。


「もうしばらく口にしていません。……だって、ずっとお会いしていませんでしたもの」

「そう。それなら、今から飲みなさい。僕がここにいる間は毎日」


 本当は……そのとき彼女は、嫌だ、と言いたかったのかもしれないけれど。ただ美しい瞳をわずかに歪めて、黙って頷いた。

 従順な下女は、決して主の言うことに逆らったりはしない。


 ラーフェンは座して待った。ムルが鍵付きの箱から小さな薬瓶を取り出して、その中身をほんの一滴、その何倍もの水で溶いて、飲み下すのを。

 彼女の細い喉が上下するのを、じっと見守った。

 魔神の眼には、その効能が魔女の魂を取り込んでいくのが見える。契約で繋がっているから、自分の胸にもその優しい冷たさが届いて、かすかにけばだっていた部分を宥めていく。


 毒ですら、薄めれば薬になるのだ。


「何か話をしようか。気が紛れるように」

「ええ……お話したいことは、たくさんあるんですよ。何から言えばいいのか」

「――とりあえずアリヤのことを教えてくれ。彼女は何者なんだ?」


 思わぬ問いだったのか、ムルは少し意外そうな顔をする。

 ラーフェンが見習いの少女について尋ねた理由はふたつあった。ひとつは、とりあえず今しばらく、魔女の意識を自分たちの問題から遠ざけるため。

 そして、もうひとつ。


「あのセディッカがずいぶん気にかけているようだから気になってね。特異点で、きみの後継候補――というだけでは納得しきれない。

 まだ何かあるんじゃないか?」


 ナバトの洞窟で、アリヤをムルの身代わりとして差し出したとき。もちろん、あくまでそういう作戦であって、実際に彼女を犠牲にするつもりはなかったが。

 想定ではセディッカとナバトの戦闘はもう少し長引くはずだった。コウモリの傷は完全には癒えておらず、ラーフェンも罠にかかったふりをする間は魔力の放出を最低限に抑えていたから、そもそも使い魔はまともに戦える状態ですらなかったのだ。

 それが、あの強烈な一撃。


 魔女に中継される形で、使い魔の魂は魔神とも繋がっている。だからあの瞬間コウモリの心身にどれほどの負荷がかかったのかは把握している。

 セディッカが今まで、ムル以外の人間のためにあんな無茶をしたことはない、ということも。


「もともと……アリヤさんが見習いに志願する、いえ、そもそも彼女が初めて来店するより以前から、あの子は彼女のことを知っていたんです。動物たちを通じて……」

「うん? 獣が人間の薬屋に来るのかい?」

「ええ、たしか最初は小鳥でした」



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