26/「もらってきもんを返しただけさ」

 ふたたびの空の旅を楽しんで、アリヤたちはザーイバの街に帰った。


 ほんの少し離れていただけなのにずいぶん久しぶりに感じて、懐かしい故郷の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、西側の大門をくぐる。

 並び立つ家々の彼方に祈りの泉の塔レシパペ・モスクの先端部分が見えた。この街の象徴で、アリヤの大好きな水色の屋根の美しい寺院だ。

 あれを見るとザーイバだという感じがする。アリヤはここで生まれたから、赤ん坊のころからずっとあの塔を眺めて育ってきた。


 なお、さすがに街中に巨大な鳥が降り立つのは騒ぎになるだろうということで、今はラーフェンもセディッカも人型だ。

 なので別に目立つことはない、と思ったのだけれど。


「……魔女さまだ!」

「おお……!」

「みんなーっ、薬屋の魔女が帰ってきたぞー!」


 ムルの姿を見た人々が、わあっと声を上げて駆け寄ってきた。

 魔女と使い魔と、それから魔神はそのことにちょっと驚いたふうだったけれども、ただひとりアリヤだけはそうだよねと深く頷く。


 中には涙を流して喜ぶ人さえいた。しわだらけの老婆から、片手で歳を数えられるような子どもまで、みんな口ぐちに魔女の帰還を祝う。


 ムルが抱きかかえられている、つまり怪我をしていると見てわかるせいだろうか、道中どうぞどうぞと見舞いの品物が山ほど押し付けられた。

 さすがにこれにはアリヤもびっくりしたが、それくらい魔女が慕われているということは納得できる。

 ちなみに彼女を抱えているのはまたラーフェンである。セディッカがちょっと悔しそうなのが、なんだか切ないような、でも面白いような。


 そして、驚くことはまだまだあった。


 薬屋である。あの、ナバトによってもう目も当てられないほど破壊されていた建物が、元どおりとまではいかないまでもきれいに修復されていたのだ。

 つまり屋根も壁も新品に取り換えられて穴ひとつなく、今日からもうそのまま暮らせそうな状態になっていた。


「え……っど、どうして!? いつの間に魔法で直したの!?」

「いや、俺たちは何もしてない……」


 ぽかんとしていると、近所の人たちがやってきて説明してくれた。

 なんということでしょう。匠――つまりは建築業者組合の有志によって、家屋の修繕が行われたというのです。

 建材の費用はあちこちからの寄付によって賄われたとのこと。ついでにぐちゃぐちゃになった室内の掃除も奉仕活動ボランティアとして近隣の学生たちがやってくれたのだそう。


 それを聞いて魔女は蒼白になった。こんなに大勢にあれこれしてもらって、どうやってお礼をしたらいいのかと。

 そんなムルに、彼女が帰ってきたと聞いて飛んできた組合の人は、気持ちのいい笑顔で答える。


「何言ってんだい。みんな今まで、さんざんあんたの世話になってんだから、もらってきもんを返しただけさ。礼なんて要らないよ」


 小麦色をした魔女の頬を、透明なものが流れ落ちる。いくつもいくつも、磨いた水晶玉のような美しい雫が、止め処なく。

 セディッカと顔を見合わせ、アリヤは小さく笑って言った。


「……ね、わたしの言ったとおりでしょう? この街の人はみんな、魔女さんに助けてもらってるって」


 だから魔女に憧れて、自分もそんな存在になりたい、と思ったのだ。


 細い肩を震わせて泣きじゃくる魔女は、今は偉大な奉仕者ではない。優しい顔をした魔神に宥められているその姿は、遠い昔に彼が見つけたという、傷だらけの女の子に戻っているようだった。

 ――もう誰も、私の悲鳴に眉をひそめずに済むのでしたら。

 魔神の誘惑にそう答えたその少女は、やっと自分の行いが人びとの幸せな笑顔を作ったことを知ったのだろう。それをずっと望んでいたに違いなかった。



 泣き止みそうにないムルはラーフェンに運び込んでもらい、アリヤとセディッカは道具類の回収に向かった。

 大半が壊れてしまったが、それでも呪術に使うものを勝手に処分して何かあってはいけないからと、すべて捨てずに近くの空き家に保管したというのだ。

 薬草の類も残っていたのは助かる。早く魔女の手当てをしたいから、今から摘みに行っている暇はない。


「とりあえずぜんぶ運ぶ。処分するかどうかはムルが決めるから」

「わかった。たくさんあるし、荷車か何か借りてくるね」

「……おまえひとりに行かせて何かあると困るから俺も行く。それに借りられるあてはあるのか?」

「し、心配しすぎだよ……。えっとね、この近くなら本屋さんかな」


 などと言いながら荷物を運びつつ、家に帰らないと、とふと思う。

 落ち着いて考えると初めての無断外泊だ。両親もまさか外国に行っていたとは思うまいが、ともかくたった一晩とはいえ到底許される行為ではないから、きっと絶対にがっつり怒られる。


 ……。今度こそ薬屋に出入り禁止にされそうな気がするから、最低限すべての荷物を運び終わって魔女の手当てを手伝ってからにしよう。


 と、思ったのだが。

 セディッカと一緒に荷車を引きながら薬屋に戻ると、そこに友人たちが待ち構えていて、アリヤを見るなり悲鳴を上げた。しかもその内容がこうだ。


「あ、アリヤ~! あんた二週間もどこ行ってたのぉ~ッ!?」

「心配したわよ、この不良娘! もうっ!!」


 にしゅーかん????


 眼が点になったアリヤとは対照的に、ああそれくらいか、という呑気な声が斜め後ろからした。セディッカだった。


「ど、どういうこと……二日だよね……?」

「ずっと魔神と一緒にいたし、妖術師の術場に入ったりもしたから、時間の感覚が狂ってたんだ」

「え……ええええ……で、でも、だって、一晩しか寝てないし……」

「行く前にラーフェンから魔力を注がれただろ。それである程度は飲まず食わずの徹夜でも平気になる」


 セディッカは淡々と説明したが、アリヤは背筋が凍るのを感じた。


 ――初めての無断外泊、およそ二週間。

 それって……懲役何年くらいで許されるのだろうか……?



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