第四幕 ✴︎ 禁じられた夢のあとさき

22/「私を落っことすつもりですか?」

 急いで拘束を解いたものの、魔女は衰弱していて歩けそうになかったので、セディッカが背負った。


 そのまま広間を出ていく三人の背後では、耳をつんざくような破壊音に混じってナバトの悲鳴が響いている。

 魔神たちが暴れているのだ。洞窟ごと崩落するのも時間の問題だろう。

 巻き込まれないうちに外に出なければ。


「……助けたかったとか言うなよ」


 まるでこちらの心を読んだように、疲れた声音でセディッカが呟く。きっと顔に出ていたんだろう。

 アリヤは俯いて、ただ来た道を戻る。


 あの妖術師は、ほんとうに悪い人だったのだろうか。薬屋を襲って魔女を攫ったことはたしかに誰が見ても完全に悪事だが、その代償が魔神たちによってたかって嬲られることというのは、重すぎるのではないか。

 ……きっと命は助からないのだろう。


『やっと、やっとまた、妻に逢える……』


 あの嬉しそうな言葉。嘘偽りのない心からの本音。

 最初にナバトの眼を見たとき、そこに何のこころも灯っていないことを恐ろしく感じたが、あれは間違いだった。彼は感情を失っていたのではなく、それを亡くした奥さん以外には向けられなかっただけ。

 それにもっと早く気づけていたら、何かが変わっただろうか……アリヤはついそんなことを考えてしまうのだ。


 誰も傷つかない世界が欲しい。

 そんなもの、絵空事だと知ってはいても。


「……わ! っとと……」

「大丈夫か? 揺れがひどくなってきたな……もう崩れるのかもしれない、急ぐぞ」

「うん」


 歩調を早め、半ば駆けるようにして入り口から差し込む光を目指す。


 そういえば今は何時だろう。なんだかこの洞窟に入ってから、時間の感覚がわからなくなっている。

 ここに辿り着いたときはまだぎりぎり午前中だったとは思うけれど、とっくにお昼をすぎているわりにお腹が空いていない。

 とりあえずまだ外は明るいようだから、何ごともなくまっすぐ帰れれば、日暮れまでには家に着けるだろう。


 それにしても。間違いなく人生最大の大冒険だったのに、なんだかずいぶんあっさり終わるんだな、とアリヤは思った。


 思い返せばものすごく濃い一日だ。

 セディッカの正体を知り、朝から自分でも知らなかった己の能力について聞かされて、魔女の救出に参加。少しびっくりする方法で魔神を召喚した。

 そうしてラーフェンと知り合った。巨大な鳥の背に乗って空を飛んだのも、外国へ来たのも、洞窟探検をしたのもすべて初めて。

 いろいろあって殺されかけつつも、魔女の奪還に成功した。


 これらがたったの数時間のできごとだなんて、とても信じられない。一ヶ月くらい経っていてもいいくらいの密度だ。


「あ……、れ?」


 洞窟を出た瞬間、ぐにゃり、と世界が歪んだような感覚に襲われた。

 眩暈かと思ったけれど、それにしてはきちんと二本の足で立ったままだ。変だったのも一瞬だけですぐ元に戻ったし、べつに気分も悪くない。


 呆然としているアリヤの肩を、背後から誰かがぽんと叩いた。


「やあ、お疲れさま」

「あ、ラーフェンさん」

「おい。……何をさも予定どおり終わった、みたいな顔してるんだ」

「はは、手厳しいなあ。まあ実際、僕としては何もかも予定どおりだよ、なんならきみが腹を立てるところまで織り込み済みだ」


 ラーフェンが肩をすくめたと同時に、彼の背後で洞窟の入り口が完全に崩落した。

 もう誰も中には入れない。恐らくナバトは中に残されたままで、もはやここは彼の墓になってしまった。


「……つまり何か? 俺があのとき飛び出すことまで計算してたのか?」

「まあね。しいていえばあの威力は想定以上だったけど……だからセディッカ、そろそろムルを下ろすんだ。もう限界だろう?」

「別に、……まだ平気だ」


 セディッカはそう言ったが、強がりなのはアリヤにもわかった。肩や腕が小刻みに震えているのだ。

 ただでさえ全身の大怪我は治りかけで、そのうえコウモリの姿で何倍も大きな人の身体に向かってあんなに勢いよく体当たりをしたのだから、無事であるはずがない。

 なんと言えば素直に休んでくれるかとアリヤがおろおろしていると、背負われている当の魔女が使い魔の頭を撫でて言った。


「セディッカ……ラーフェンさまの言うことを聞いて。無理はいけませんよ。それとも、あなたは私を落っことすつもりですか?」

「……あぁもう、わかったよ、……たしかにそうなったら本末転倒だな……」


 やはり使い魔は、魔女には逆らえない。今回に関してはそれが功を奏した。

 ともかくやっとセディッカは素直にムルを下ろしたものの、その動きはほとんど彼自身が崩れたようなものだったうえ、直後にコウモリに戻った。本来の姿のほうが楽なのか、あるいは人間の形を保つことにも負担がかかったのかもしれない。


 アリヤは慌てて彼を抱き上げる。ある意味、少女の細腕でも運べる大きさになってくれて助かった。


「セディくん、大丈夫?」

「……正直疲れた……悪い、手間をかける」

「ううん、気にしないで。それに……あの、さっきはありがとう。助けてくれて」

「いや……どうせそれも、そこの腹黒いやつの計算どおりなんだろ……」


 あんまりな言われようにさすがにラーフェンも苦笑いしていた。

 つられてアリヤも少し笑いそうになったが、見上げてくるセディッカの視線に剣呑なものを感じたのでぐっと堪える。心配してくれているのに茶化しては失礼だ。


 それにしても、またセディッカに助けられてしまった。

 どうしたものか、ありがたいと思うのも本心だけれど、……もう素直に嬉しいとは思えないのが悲しい。いろいろなことを考えずにいられない。

 自分の気持ちと彼の負担。運命と因果の動き。ぜんぶがぐちゃぐちゃに絡まって、アリヤをがんじがらめにする。


 少女がもやもやしているころ、ラーフェンがムルを抱き上げた。


「こうするのは何年ぶりかな」

「ええ……お久しぶりです。お元気そうでよかった」

「まあ、それなりにね。きみも早くそうなってくれないと」

「ふふ。そうですね」


 ふたりが交わしていた穏やかな会話に、隣で聞いていたアリヤの心のちくちくした感覚も、少しだけ慰められる。

 なぜなら魔女が、なんだかとても幸せそうだったから。



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