20/「汝はこれより如何なる苦痛も感じることはない」
びちり、と小さな電撃が何度となく魔鳥の表面に走っては、消える。それも次第に弱くなっていく。
ラーフェンは辛うじて頭をもたげてはいるものの、頸から下はぐったりとして身じろぎひとつしなかった。
「あ、ラ……ラーフェンさん……」
助けなきゃ――頭ではそう思うのに身体が上手く動かない。アリヤは立ち上がることすらできず、それでも必死でもがいて彼の元へと這った。
穿たれた傷口は痛々しく腫れ上がって血が滲み、下手に引き抜けばさらに激しく出血するだろう。
ラーフェンは霊、つまり生身の肉体を持たないけれど、霊質というもので構成された同様の器官を有する。だから生物と同じように身体が傷つけば苦痛を感じるし、血も流す。
損傷がひどければ霊体の形状が保たれずに崩壊もする。つまり死ぬこともあるのだ。
生物の死とはまた事情が異なるけれど、少なくとも不死ではない。
どんな命も必ず有限であるからこそ、この世の均衡が保たれる――ここに来るまでの間にそう聞かされた。
だから思った。このままではラーフェンが死んでしまう、そして、そうなったら魔女のことも助けられない。
すでに打ち合わせとは流れが違うが、とにかくセディッカはまだ隠れていないといけないから、動けるのは自分だけ。アリヤが魔神を救わなければならない。
けれど、どうしたらいい。石の槍は上下から互い違いに、さながら獣が獲物に食らいついたような恰好でラーフェンを貫いている。
そもそも魔神自身がこの洞内の広間を埋め尽くすほどの巨大さだ。当然アリヤの細腕では彼を持ち上げられないし、石を砕くこともできない。
仮になんとかして解放できたとしても、治療のすべだって持っていない。
「……ごめんなさい! わたしッ……なんにもできない……ごめんなさい……!」
泣いたって仕方がないのに、涙が止まらない。そんな自分に腹が立つ。
貫かれたのが自分だったら良かったのに。もともと戦力にはなれないのだし、なんなら苦痛の対価として、ラーフェンに幸運をもたらすことだってできたのに。
何もできない。足手まとい。ここに居る必要がない。
「きみは……どうしてそう……」
「ラーフェンさん、……ごめんなさい……」
「……僕はさっき、きみを売ったんだけどなぁ……ほんとうに、よく、似てるよ」
「ごめんなさい……ッ」
何を言おうとしても、今はそればかり口を衝いて出る。馬鹿だ、それより何か少しでも誰かのためになることをすればいいのに、と自分でも思いながら。
そんなアリヤを、誰かが掴んだ。
「――いっ……! っう……、く……」
おさげ髪を引っ張られてうしろに転ばされ、そのまま大きな手で首を掴んで持ち上げられる。
妖術師ナバトは人間とは思えないほどの剛力でアリヤを締め上げながら、言った。
「特異点はふたりも要らぬ。美しい魔女の身体ならば我が妻の依り代にも相応しいが、この娘に用はない」
「……妻、ね。なるほど……新しい反魂の法でも作ったつもりかい」
「さすが魔神は聡い。如何にも。不肖ながらこのナバト、それなりに長くこの道に身を置いて参りましたゆえ、なまじのやりようでは不可能なることを存じております」
「……ッあ!」
アリヤは一旦放り投げられた。けれど、解放されたわけではなかった。
続けてナバトは懐から取り出したものをアリヤに向けて投げつけたのだけれど、それは細い鎖で、まるで蛇のように意思のある動きでもってアリヤの手足に絡みついたのだ。
「特異点と聞いて某が躊躇うなどとお思いか? 理に触れずに滅する術くらい持ち合わせておりますとも。
しかし無駄に屠ることはない。どうせなら、これをそなたへの最後の供物といたしましょう、インプンドゥルよ」
「酔狂な人間だね、なかなか面白いよ……、しかし水を差すようで悪いが、この僕を使い潰してもらったところで、冥界の扉は開かないだろう。……自分で言うのもなんだけど、そこまで格が高いわけじゃあないんでね……」
「失礼ながら承知の上です。むしろそれゆえ都合が良い。某に必要なのは大きく太いひと柱ではなく、
妖術師は機嫌よさげに笑顔で告げた。
同時に背後の護摩壇がいっそう激しく燃え上がり、洞窟内を真昼ほどに目映く照らし出す。
広間の左右の壁に、妙な模様が四つ並んでいた。太い線で描かれた記号のような絵だ。どれも抽象的で、それぞれ何を表しているのかは判然としない。
たしかなのは自然に作られたものではないということ。
そして、その紋様の数にラーフェンを足せば、ナバトの言葉どおり五つになる。
「火、水、風、地、そしてあなたの雷――これで五つです。すべての
ああ、長かった。じつに永かった。やっと、やっとまた、妻に逢える……!」
うっとりと語ってから、ナバトはアリヤに向き直る。
直前までの情熱的な語り口とは真逆の氷のような眼差しが、身動きのとれない少女を冷たく睨め下ろした。彼にとって、己の目的のために必要なもの以外はすべて塵芥同然の、無意味で無価値な存在なのだろう。
そのくせ退けるのには少し手間がかかるから鬱陶しい――そんな眼差しだった。
(たしかにそうだ。わたしは何の役にも立てないもの……ラーフェンさんも魔女さんも、セディくんのことだって助けられない。
それに、この人のことも……)
罪悪感と無力感とがねじれて絡み合って、一枚の諦念の衣を作る。それがアリヤを包んでいく。
呆然とする少女に向け、妖術師は呪具らしい装飾の施された短剣を取り出し、呪詛を詠った。
「<
……ふむ、やはり弱い。この程度で抑えられるとは。それでも特異点なれば、その生、楽ではなかったろう」
剣がアリヤの首に触れる。刃先は鋭く、冷たかった。
「案ずるな。汝はこれより如何なる苦痛も感じることはないのだから」
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