18/「なんで怒らないのって」
アリヤに注がれた力はまだかりそめのもの。今の彼女はまだ、囚われの魔女の代理人にすぎない。
もしこのまま正式な後継者となったら、それはすなわち魔神インプンドゥルを養う任をも引き継ぐということだ。
「まあ、考えるのはあとでいいよ。今はムルを助けることに集中しよう」
良くも悪くも、考え込まされる話だった。その間は無心で歩いていたから、気づけばもう目的地に到着している。
密集する樹々に隠されるようにひっそりと佇むそこは、一見何の変哲もないただの洞窟である。しかし今のアリヤには、まるで巨大な怪物がよだれに粘つく口をぱかりと開いて、獲物を呑もうと待ち構えているように思えた。
それは、危険な妖術師の根城であるという先入観によるものかもしれない。
あるいは貸し与えられた魔力によって得た超感覚によるものか。それとも、特異点として勘のようなものを生まれ持っていたのかは、わからない。
ともかく、近づくのが躊躇われるような気配が漂っていた。
「俺はほかの入り口を探してみる」
「うん、気をつけてね」
「……おまえもな」
予定どおりセディッカと別れ、アリヤはラーフェンとともに邪悪な洞窟に足を踏み入れた。
どこかでぽたぽたと水滴の落ちる音がする。鋭く生え伸びた鍾乳石が、まさに牙のような風情でアリヤたちを出迎えた。
奇妙なことに洞窟は暗くなかった。灯りなんてないのに、辺りは奇妙にぼんやりと淡く照らし出されていて、足元の小石さえも見て取れる。
それに、思いのほか温かい。もっと寒いかと思っていた。
意外とすごしやすそうな環境に拍子抜けしつつも、やはり前に進もうとすると見えない圧力に身体を押し返されるような感じもする。まるで誰かがこの先に進むなと言っているみたいに。
とりあえずいつもの調子で怪我をしないようにと、アリヤは頭上や足元を注意しながら恐るおそる進む。鍾乳石にぶつかったら痛そうだし、地面はどこも濡れていて、いかにも滑りやすそうだ。
ここで転ぶのはそれだけでちょっとした大惨事に――。
「……ッわぁ!?」
しかしどんなに気を付けても、因果とやらからは逃れられないらしい。そんな善行を積んだ覚えなどないのだけれども。
躓いたというより、なんというか、足元を
「なるほど、これは危なっかしい。セディッカが過保護になるわけだ」
「あ、ありがとうございます……」
「……本音を言うとね。実際のところ、相手方がどれくらいきみの情報を掴んでいるのかはわからない。セディッカの手前ああは言ったけど、きみを特異点と知らずに攻撃してくる可能性も少なからずあるんだ」
なるほど確かに、そんな話は彼の前ではできない。
「その場合、きみが僕の配下にあれば反作用をこちらに引くことができる。つまり幸運をね。だから僕としては正直どちらに転んでも都合がいい」
「だからわたしを連れてきたんですね」
「うん、ごめんね。……しかし、きみって、少しは怒らないのかい?」
「え?」
なぜか呆れ気味に言われてアリヤは首を傾げた。
たしかに、……おまえが犠牲になれば自分は結果的に得をする、とさほど悪びれずに言われたのだ。冷静に考えてみると、もう少し怒ったりがっかりしてもいいのかもしれない。
しかしそう言われても別にそれほど……なんというか、とくにあまり不愉快に思わないので腹の立てようがなかった。小さいときからそうなので、生まれつきそういう感情が希薄なのかもしれない。
「うーん。……わたし、昔からよく『いい子ちゃん』って言われるんです。悪い意味で。
なんかいつも、周りの誰かがわたしより先に怒っちゃって。そうやって出遅れるから、なんで怒らないのって、むしろ最後はわたしが怒られてるというか」
結果として友人を失ったこともある。誰に何をされても言われてもやり返さないものだから、見ているだけで苛つくと言われた。
初めはそんなアリヤを見かねて守ろうとしてくれたけれど、何度かそれを繰り返したあと、黙って離れていってしまった人もいた。
もちろん悲しかった。だからといってそう簡単に性格は変えられない。
「でも、悪い子って言われるよりはいいかなって、思ってたんですけど」
今思えばそれは、自分を納得させるための言い訳だったのかもしれない。
「セディくんに……わたしが今までよかれと思ってしてたことで、じつは彼に迷惑がかかってたって、初めて知って。しかも、変ですよね……今になってそれがじわじわ痛くなってきちゃった……」
「……おかしいことじゃないよ。起伏の激しい特異点の人生を耐えるためには、苦痛そのものに鈍感であったほうが楽だから。けれど、自分ではなく他人の苦労や痛みには、只人よりも敏い」
「ごめんなさい、……こんな、ときに」
つんと鼻の奥が痛んだ。深く息を吐こうとしただけなのに、一緒に眼からも後悔に似たものが滲み出る。
誰とでも仲良くするなんて到底不可能な綺麗ごとだとわかっている。嫌われたり、気が合わないと思われてしまうことは、仕方がないと諦めがつく。
疲れて離れていってしまった人のことは、追いかけなければ済む話だった。
けれどセディッカは違う。アリヤが存在するだけで、たとえ今後一切彼と関わりを持たなくても、知らないうちにどこかで負担をかけるのだと気づいてしまった。
魔女になったらラーフェンに血を差し出すだとか、小動物を助けると反作用で自分が傷つくなんてことは、正直どうだっていい。
それより人が苦しむほうが痛い。それが自分のせいだとしたら、耐えられない。
しかも他ならぬセディッカを、そうと知らずに長年苦しめていた。
けれどアリヤは変われないどころか、もっとひどい選択ばかりしてしまう。これからもずっと、この手で彼の心をなぶり続ける。
それが悲しかった。それこそ、ひと思いに死んでしまいたいくらいに。
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