16/「不安……だよな、当然だ」

 アリヤはインプンドゥルの背にせられて、魔女が囚われている場所に向かった。彼女がどこにいるのかはラーフェンが感じ取れるらしい。

 最初こそ今まで経験したことのない高さに震え上がったアリヤだが、案外すぐに慣れてそのうち絶景を楽しめるようになった。


 隣ではコウモリの姿に戻ったセディッカが忙しなく羽搏いているが、巨大鳥より推進力が劣るようで、ついてくるのは少し大変そうだ。

 といっても、ふつうのコウモリならそもそもこの高度を飛行すること自体できないだろう。驚異的な回復力といい、やはり魔女の使い魔だから特別な力を持っているらしい。


 移動しながら、これからの行動を打ち合わせた。


 まず敵方に到着しだい、セディッカとは別行動になる。

 つまりアリヤとラーフェンだけで妖術師に相対し、交渉を持ちかけるふりをして相手の気を逸らすのだ。その隙にセディッカが囚われている魔女を解放する。

 えらく単純な作戦に思えるが「複雑になれば手順を覚えるのが大変だし、そのぶん失敗しやすくなるからね」とのことだった。ちなみにすべてラーフェンの発案である。


「まあ交渉というより脅しだけどね。向こうはムルの力を目的にしてるようだから、僕が後任の魔女を任命するとなれば、彼女に用はなくなる」

「……それだとムルの身が危なくならないか?」

「いやそれより矛先がアリヤに向くと思……ふふ、睨むなよ。もちろんこの子のことは僕が守るから心配しなくていい。代わりにムルを頼むよ、セディッカ」

「言われるまでもない」


 フンと鼻を鳴らし、当然だというのセディッカの態度に、なぜだかアリヤは複雑な気持ちになった。


 魔女のために使い魔が奔走する。それを当たり前のことだと彼自身も思っていて、そこに魔女への深い信頼を感じられるのが、まず純粋にいいなと思ったのも事実。

 それと同時に、違う「いいな」があった。好ましいな、ではなく、羨ましいな、に近い感情の「いいな」が。

 でも何に対する羨望なのか、自分でもわからないのだ。


 何の迷いもないセディッカのまっすぐな心か。それとも彼にそんなふうに愛されている魔女に対してか。

 あるいは、そんなふたりの関係性そのものに――とてもじゃないが、後から来たアリヤには入り込む余地などないからか。


「……アリヤ、どうした? 不安……だよな、当然だ」

「ううん、……大丈夫。それより、魔女さんって本名はムルさんっていうの?」

「ああ。略称というか、あだ名みたいなものだから厳密には少し違うが……正式な音は口には出せないから、俺にとってはそれが魔女の名前だ」

「そうなんだ」


 口に出せない、の意味はよくわからなかった。発音がよほど難しいのか、それとも何か呪術的な決まりによるものかもしれない。

 セディッカはそれ以上は何も言わなかったし、アリヤも尋ねなかった。

 そもそも魔女の名前についても、まったく興味がなかったわけではないとはいえ、実を言えば話題を逸らすために訊いたのだから。


 なんだかんだでセディッカはアリヤを気に掛けてくれている。それがくすぐったくて、少し嬉しくて、……そして、虚しい。


 ――あいつらが今まで何度、アリヤを助けてくれって俺に言ってきたと思う。


 小動物たちを助けてきたことに悔いはない。そのせいで自分が怪我をしたのだと言われても、だから今後は見捨てるかと聞かれたら、答えは否だ。

 けれど今セディッカが優しくしてくれるのは、今までのアリヤの行為が動物たちを通して返ってきたもので、セディッカ風に言えば反作用というやつなのだろう。

 要するに彼自身が望んでしてくれているわけではない。魔女と同じで優しいから、動物たちの頼みを聞いているだけ。


 それの何がいけないのか、なんて――もう考えるまでもないだろう。

 どんなに認めたくなくても、自分の心からは眼を逸らせない。きっと初めてあの翡翠色の瞳を見つめた瞬間から、アリヤは彼に惹かれていた。


 キスされたときにわかってしまった。なぜならあんなに唐突にされたのに、ちっとも嫌だと思わなかったから。

 でもあれはあくまで儀式。そんなつもりではないから彼は顔色ひとつ変えなかった。

 その温度差が、虚しいのだ。


(……コウモリだもんね。人間の女の子には興味ないよね)


 アリヤは小さく溜息を吐いた。

 友人たちのはやし立てる声を思い出す。早く次の恋を見つけろと言って、未だ前に進めないアリヤを、彼女たちなりの方法で元気づけようとしてくれた。

 ――ごめん、と心の中でふたりに謝る。今度も告白はできそうにない。


 


 いつの間にか大地の色が変わっていた。褐色や黄土色から、むせ返るような緑色に。

 空気はまだ少し乾いているが、砂混じりのざらざらした感じはしない。

 こんな形で外国を訪れることになるとは思わなかった。そもそも、一生ザーイバから出ることもないような気がしていた。


 ラーフェンは森の中に降り立ち、アリヤを降ろしてから、ふたたび人型をとる。


「ここからは歩いて行こう。気づかれないように静かにね」

「ずいぶん慎重だな」

「目立たないに越したことはないよ。ムルの状況によっては問答無用で奇襲してもいい」


 三人、もとい二人と一匹は木々をかき分けるようにして進んだ。

 コウモリの姿のほうが小さいものの、樹木が生い茂りすぎていて思うように飛べないようなので、セディッカはアリヤが抱えることにする。それだけでちょっと幸せな気持ちを感じなくもないあたり、自分はけっこう重症だとアリヤは思った。


 それにしても歩きにくい。ちょくちょく髪がそこらの枝に引っかかったり、蔓草に足を取られそうになったりする。

 そのつどセディッカのほうが困惑しているのだから妙な話だ。


「やっぱり離せ、もし転んだときに手が塞がってるのはまずいだろ」

「うー、ごめんね、でも気をつけるから……っとと! もっと動きやすい恰好にすればよかったかなぁ」

「いや、靴や服装の問題ではないと思うよ。このあたりは根深き者の長カクア・カンブジの縄張りだから、彼に歓迎・・されてるだけだ」



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