第三幕 ✴︎ 稲妻を纏う者

15/「僕はそこまで無慈悲じゃないよ?」

「きみが僕を呼ぶなんて珍しいじゃないか。ところでムルの姿が見えないけど、彼女はどこだい? それに……」


 鮮血色の瞳がきょろりと動いて、その人はアリヤの姿を見とめる。


「見慣れないお嬢さんがいるね?」

「こいつのことはいい。それよりムルが異国の行者ぎょうじゃに攫われた」


 セディッカはアリヤを背の後ろに追いやりながらそう言った。彼なりに庇ってくれたのかもしれないが、言葉が悪いせいでなんだか邪魔者扱いされたみたいな恰好だ。

 とはいえ、実際ここから先は大した手伝いができそうもないのも事実だから、アリヤは抗議せずにじっと相手を観察した。


 人間の男性に見える。二十代半ばくらいの。

 このあたりの人よりさらに色黒で、装いもどこか異国風だ。といっても、ではどのあたりの地域の装束かと言われると、アリヤにはまったく見当もつかない。

 丈の長い上衣と脚衣はどちらも真っ黒で、肩に緩く巻いたストールの朱色がけばけばしい。少し癖のついた頭髪も墨色だが、こちらはところどころ綿のように白い房が混ざっている。


 とりあえず、安心していいのかどうかはわからないけれど、彼から恐ろしさは感じられなかった。大きさもふつうの人間と変わらないし、口調や仕草にも危険そうな気配はない。

 真っ赤な虹彩と、風もないのに揺れる獣の牙の耳飾りは少し異質だけれど。


 というか、……ほんとうにこれがあの怪鳥なのだろうか。


「……なるほど、それは厄介なことになったらしいな」


 おおよその事情をセディッカから聞くと、魔神はふむふむと頷いた。それがまた妙に人間くさいというか、親しみやすそうというか、そんな雰囲気だ。

 うんやっぱり怖くないかも、とアリヤはほっとした。……だが。


「じゃあその子を囮に使おう」


 束の間の安心をたった一秒で裏切る衝撃の一言が差し向けられて、アリヤは反射的に「ふぇっ!?」と奇声を発して涙ぐんだ。


「やめろ、アリヤは一般人だぞ! そもそも連れて行くつもりもない!」

「そういうわけにはいかない。ムルの後継候補だろう? 僕にはその資質を改める権利があるし、それならこれはうってつけの機会じゃないかな」

「何が起こるかわからないのに……!」

「そう言って遠ざけて、いい結果になったことがあったかい、セディッカ?」


 魔神の言葉にセディッカは黙り込む。

 もしかして自分のせいで彼が責められているのか。少し不安になったアリヤだが、口を挟もうにも事情がわからないので、おろおろと眺めるしかできなかった。


 ところで何度かふたりが口にしているムルというのが、魔女の本名なのだろうか。


「……まあ冷静に考えてくれ。わざわざムルに目をつけたんだから、僕のことも当然調べられてるだろう。とても周到にね」

「それはそうだけど……、いや詭弁だ。特異点アリヤを巻き込んで反作用を狙ってるんじゃないのか」

「はは、やだなぁひと聞きの悪い。僕はそこまで無慈悲じゃないよ?

 ……冗談はさておき、相手は彼女を連れてくるとは思ってないだろう。そしてこちらの手の内を調べているなら、まして妖術師なら特異点に手出しはしない。それが僕の配下にあるなら尚更だ」


 魔神はにっこり微笑んでそう言うと、まだ散らばったままの呪具に向けて手を振るような仕草をした。かたかた音を立てながら浮き上がったそれらは、彼のゆったりとした袖口へ、もう用済みとばかりに吸い込まれていく。

 片付けを済ませると、また赤い瞳がアリヤを捉えた。


「さて、アリヤだったかな。僕のことはそこの過保護なコウモリくんから聞いてるだろうけど、あらためて自己紹介しよう。

 霊属は稲妻を纏う者インプンドゥル、個称はラーフェンだ。気軽に名前で呼んでくれて構わないよ」


 穏やかな声。苛烈な色とは裏腹に、優しく包むような甘い眼差し。

 アリヤは自分の頬がじわじわ赤くなったことに気づいて、思わずそこを手で隠すように押さえたけれど、なぜか目を逸らすことができなかった。

 奇妙な感情が胸の底から泉のように湧き上がる。この眼をずっと見ていたい、この声だけに耳を傾けて、今すぐこの人のために何かをしたくてたまらない――……。


「――アリヤ、あの眼を見るな」


 ふいにセディッカの声がして、アリヤの視界は彼の手で塞がれた。

 途端に頭がすうっと冷え、直前まで感じていた恍惚はにわかに消え去る。冷静になると自分でも不思議に思った。

 今のは何だったのだろう。会ったばかりでよく知らないのに、ラーフェンをすごく素敵な人のように思い込んで、まるで強烈な恋をしたみたいだった。


 セディッカはすぐ手を退けたが、日避けを引っ張ってアリヤの顔にかける。ラーフェンを直視しないように。


「ったく……どうにかならないのか、それ」

「そう言われても意志で制御できるものじゃないよ。それに項垂れる者カトブレパスよりマシじゃないか、あっちは眼が合うだけで即死だよ?」

「性質の悪さはあんたのが上だ」

「やれやれ。この眼が男にも効くならきみも少しは素直に……いや、それはそれで気味が悪いな」


 肩をすくめたラーフェンは、上着の裾をひらりと振った。――ように見えた。

 次の瞬間それは漆黒の翼へと変貌しており、そこにいるのはもう優男ではなく、夢で見たとおりの巨大な鳥だった。


 形が変わっただけではない。その巨躯が発するもの凄まじい威圧感に呑み込まれ、アリヤはへたり込みそうになったが、隣でセディッカが彼女を支える。


「――我は魔女の任命者。汝を代任と認める」


 その言葉を耳にしたとき、身体じゅうをびりびりと電気が走った。

 何かが、入ってくる。その感覚はセディッカにキスされたときのそれに似ているが、もっと巨大で熱いようだった。

 まるでそう、太陽を飲み込んだような心地。けれど痛みはなく、ひどく心地いい熱の塊が、アリヤの全身を髪の毛から爪先にいたるまで、果てしなく満たした。


 これは力だ。純然たる、まだ何の形も為していない無垢な光。

 何の言葉も説明もないままに、ただそれだけを理解する。


 アリヤは魔女になったのだ。文字どおりの、魔物にかしずく下女に――……。



 →

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る