14/「しきたりみたいなものだから」

 なんとかセディッカに言われた道具類をすべて手に入れたアリヤは、街を出た。

 というのも、できるだけ人気のない開けた場所に移動しろと言うので。


 ザーイバはぐるりと日干し煉瓦の壁で囲われ、その外周には乾いた草原や荒野、雑木林などが広がっている。そして北側には山が、それ以外には果てしなく砂漠が続くのだ。

 そうした街の外なら条件に合うだろうと考えて、日差しの下をてくてく歩く。

 まだ日中の陽光は痛いくらいにきついが、ここに生まれ育った現地民たるアリヤは慣れたもの。薄布の日避け外套マントが一枚あれば問題ない。


 そしてここなら誰も見ていないだろう、というあたりまで来たところで、ようやくセディッカが人の姿に戻った。いやコウモリのほうが本来の姿だから変身したというべきか。

 彼は黙々と地面に道具を並べていく。どうやら位置や向きがきちんと決まっているらしく、ひとつずつ慎重に。

 アリヤもちょっと手伝った。


 しばらくすると雑多だった小物たちは、砂の上に引かれた線と色鮮やかな数本の紐によっていわゆる魔法陣の形になった、らしい。


「よし……これでインプンドゥルを召喚する。……アリヤ、おまえがやるんだ」

「……はい? なんでわたし?」

「理由はふたつある」


 セディッカはアリヤの手を引いて、魔法陣の正面と思われる位置に立たせた。


「今から俺がやりあわなきゃならない相手は、魔女を攫った時点で彼女よりも強いってことになる。だから癪でも魔神の力を借りなきゃならない。

 もちろんそんなことは向こうだってわかってる」

「えと、つまり、何か対策してるかもってこと?」

「そうだ。俺は魔女と魂が繋がってるから、魔神を呼べば気づかれて即座に手を打たれる。でもおまえの存在については、まだ向こうも知らない可能性が高い」

「そっか……あ、もういっこは?」

「もっと単純だ。魔女がおまえを指名したんなら、インプンドゥルに目通しするのが……要するに、しきたりみたいなものだから」


 なんとなくだが、嫌そうな言いかただった。

 そういえば最初にその魔神の話をしたときも「あいつ」とか呼んでいたし、今も「癪でも」とか言ったし、あまり仲は良くなさそうな雰囲気だ。

 魔女の主ということは、相手のほうがセディッカより立場は上なのだろうけども。


 それに召喚するということはつまり、悪夢に出てきた恐ろしい鳥が今からここに現れるのだ。それはそれで大丈夫だろうか。

 魔女を助ける代わりに供物を寄越せとか言われたらどうしよう。


(……そのときは、わたしが生贄になるしか、ないよね……)


 なんて心の中で呟くのは簡単でも、実際そうなったら絶対に冷静ではいられない。


 どうしよう。アリヤにちゃんと魔神を呼び出せるのか、できたとしても対面が上手くいくかどうかはわからない。

 ……しくじったら、殺されてしまうのだろうか。

 急に恐ろしさが胸の中で膨れ上がって、アリヤは両手をぎゅっと握り合わせた。


「……アリヤ」


 名前を呼ばれて、そっと隣に目を向ける。

 なぜかセディッカまで苦しそうに口を結んでいた。彼の場合は不安や恐怖というより、果てのない深い憂いがそのおもてを覆っているようだった。


「先に言っておく。今からおまえが見聞きすることになるのは、魔女という存在の現実だ。おまえが見た悪夢と同じ――いや、それ以上に陰惨な。

 きっとすべて聞いたら耐えられないと思う。逃げてもいい。でも……魔女を助けるために、今だけでいいから、俺に力を貸してくれ」

「……うん……まだよくわからないことばっかりだけど、セディくんの気持ちはよくわかった。とにかくやってみるね。じゃあ、手順を教えて」

「ああ。……眼を瞑れ」


 言われたとおりに両目を閉じる。吹き抜ける砂風に耳を澄ませる。

 日避け布の上から彼の手が触れたのがわかる。コウモリのときは小さくても、人の姿になれば、男の人だからやっぱり大きい。

 少し骨っぽいそれが布を退けて、それから。


 くちびるの上に何かが触れた。

 驚いてうっかり眼を開けてしまったアリヤの視界に、鮮やかな翡翠色が飛び込んでくる。ありえないほど近くに。


「――!?」


 状況が呑み込めず心臓が爆発しそうなくらい騒いだが、反して身体は石になったかのように動かなかった。金縛り状態のアリヤの周囲に、不自然に砂がくるくると舞っている。

 並べた呪具が地震でもないのにかたかたと揺れ、鉦はひとりでに鳴り、束ねられた書物は頁がめくれ、何を測るともしれない計量盤の針があらぬ方向を刺す――。


 同時にアリヤの中に、何かがじわりと染み込んでくる。

 具体的には、……セディッカと触れ合っている舌の先から、柔らかい熱のようなものが。


「……、来るぞ」


 ようやく儀式めいた接吻キスが終わったと同時に、セディッカが呟いた。


 何が、なんて聞かなくてもわかる。さっきまで青々と晴れていた空が、墨でも流したように灰黒の雲に覆われて、そこかしこで獣の唸り声に似た轟音が鳴り出した。

 呪具はいっそう激しく振動し、鉦の音はうるさいほど。

 セディッカはまだアリヤを離していなかった。アリヤもこの状況では不安のほうが大きすぎて、何を問うこともせずに彼の腕にしがみつく。


 そして――雷が落ちた。ふたりの真上に。

 ふたりに、ではない。雷光が空中で花火のように弾けただけで、地面に降りてきたのは、その刹那の閃明に照らし出されただけだ。


 色は、黒。

 闇夜を塗りたくったような無明の色。そこに幾筋か、稲妻を挿したように白い筋が走っている。

 瞳はまさしく血の鮮赤で、ほとんどが暗色に塗りつぶされた姿の中ではそこだけが爛々と輝いているようだった。


 夢で見たのと同じ存在がそこにいる。

 ただ、……その、ひとつだけ、想像していたのと違うところがあった。


 降臨した魔神は、鳥ではなく人の形をしていたのだ。



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