12/「アリヤを不運から助けてくれって」

 今さらながら、なぜあの失恋を未だに引きずっている気がするのか、ほんとうの理由がわかった気がする。

 見捨てられたと思ったからだ。


 ありのままの自分を受け入れてほしい。

 進む勇気が出ないことも許してほしい。

 今のままがいい。変わりたくない。


 当時のアリヤにはそんな甘えがあった。彼はそれを拒んで、彼女を置いて先に進んだ。

 至極当然で、自業自得で、それを恨むのは筋違いだということはわかっているし、納得してもいる。


 だからこそ、成長しなくてはいけないと思った。

 勇気を出して魔女の弟子に志願したのはその第一歩だ。その点は自分でもよくやったと思っている。

 けれど情けないことに、それではまだ足りないのだ。


 誰かに認められたという実感が欲しい。もっとありていに言えば、セディッカに受け入れられたい。

 たったひとりからでも、彼に否定されているという無情な事実があるかぎり、アリヤは自分の成長を信じきれないのだ。

 ああ……結局、また甘えている。


「セディくん、言ったよね……何も知らないくせに、って……それなら教えてよ。わたしに魔女の才能がないなら、はっきり言って」


 それで諦める、とはまだ言えないところが未練たらしい。けれどせめて拒むのならその理由を教えてほしい。

 でないとこれから、次にどこに向かって生きていけばいいのかすら、わからなくなってしまうから。


 セディッカはそんなアリヤを、睨むようにじっと見つめていた。コウモリのときは茶色だった瞳を鮮やかな翡翠色に染めて。

 やはりそれは、太古の星の光を湛えるという歴史深い寺院の秘泉の、それを模した屋根瓦モザイクタイルの色に似ている。

 水面はわずかに揺らぎ、さざなみがちらちらと瞬きを返した。そこに小さな風が吹き込んできた証に。


 やがて深い溜息が、アリヤを押し返す大風のように降ってきた。


「魔女になるのに才能はそこまで関係ない。しいていえば資質だ。……ほら見ろ、意味がわからないって顔してる」

「だってあの、違いがよく……」

「言い換えるか? 能力より性質」

「あ、なるほど。……つまり魔女に不向きな性格があるってこと? わたしも……?」


 彼は頷き、目を伏せる。


「才能、でいえばおまえにはそういうものがある。今朝だって悪い夢を見てたんだろ。

 何より――不運だ。しかもそのことに自覚がない」


 ――禍福はあざなえる縄の如し、という言葉があるが、両者は厳正な均衡バランスで成り立っている。つまり誰かが幸福になれば、必ずどこかで同等の不幸を負う者が生まれる。

 世界全体がそういう構造をしている。基本的には一方に偏るってことはない。

 誰しもある程度は幸運で、同時にある程度は不運でもあり、それを操作することは原則として不可能だ。


 だけど稀に『特異点』という、局地的に確率をねじる・・・力を持つ生物がいる。意識しているかどうかに関わらず、行動が直に他者の運に作用して、しかもその反作用を自分自身で受ける。

 アリヤ、おまえはその特異点だ。

 つまり誰かに幸福や喜びをもたらすたび、自分は不幸に陥る。あるいはその逆の事象を起こす――。


「簡単に言えば、他人の傷を治せば、代わりに自分が怪我をする」


 そこでセディッカの視線がアリヤの手足を一巡した。

 コウモリを劇的に直したなら相当の反作用があるはずだと思うが、瓦礫を退けたりしたときに少し擦ったくらいで、今のところ他に大した負傷はない。


「……俺は魔女の眷属だから、今回の反作用はあっちが引き受けたな。

 でも今まではどうだ? 鳥にリスに犬や猫、ウサギにネズミ……おまえは自分を見てるみたいだからとか言って、傷ついた小動物の世話をしてきた。でも実際の因果関係は逆で、そいつらを助ける代償にやたら怪我をしてたんだ」

「ちょっと待ってよ……なんでセディくん、そんなことまで知ってるの……?」

「直接そいつらに聞いた。薬屋に来るのは人間だけじゃない」


 アリヤは目を見開いた。

 人間以外の客がいるなんて知らなかった。ましてや手当てした小動物が、それを他の誰かに伝えるだなんてことは、今まで思いもしなかった。


「……あいつらが今まで何度、アリヤに礼がしたい、アリヤを不運から助けてくれって、俺に言ってきたと思う? ……自分から破滅に向かうやつをどうしろっていうんだよ」


 セディッカの声は震えていた。怒っているのだ、今だけではなく、これまでずっと彼は苦しんでいたのだ。

 やっとわかった。

 彼の嫌な態度も冷たい言葉も、すべて理由があった。訳もなく拒まれていたわけではなかったのだと。


 魔女になりたいと言った。その理由は薬屋に憧れて、彼女のように人助けがしたい・・・・・・・から。


 ザーイバには何百という人が暮らしているし、なんなら動物も助ける対象になるというから、その総数はもはや数え切れない。

 そのすべてに救いの手を差し伸べたら――セディッカの話がほんとうなら、アリヤはその数だけの不幸と不運を、ひとりで背負うことになる。当然、もう生傷程度では済まないだろう。

 魔女に向いてないという言葉は、そういう意味だったのか。


「……でも、信じられないよ……そんな幸運と不運を動かすような力が、ほんとうにあるの? しかも、わたしに」

「なかったら魔女はおまえに何も教えなかった。……あの人なりに、おまえを助けたかったんだろう。昔の自分に似てるから」

「もしかして……魔女さんも?」

「……おまえより強力な特異点だ。それこそ魔女にならないと身が持たないほどの」


 アリヤはそこで、あれ、と思う。

 特異点の体質が魔女に不向きなら、なぜその魔女になることで克服したような言いかたをするのだろう?


「とにかくおまえは関わるな。これは俺と魔女の問題なんだ」

「で、でもッ……待ってよ!」

「しつこい」

「お願い、話を聞いて、わたし――鳥が出てくる夢を視たの!」


 そしてまた、あれあれ、と思う。

 どうしてこの流れで関係のなさそうな悪夢のことを口走ったのか、自分でもわからなかったからだ。

 何かがおかしい。まるで何かに操られているみたいで、少し気味が悪い。


 でも、今あるこの感覚は、瓦礫からセディッカを見つけたときのそれによく似ていた。考えるより先に身体が動いて、どうするべきか――どこに彼が居て、助けを求めているのかを、あのときのアリヤは知っているみたいだった。

 あるいは……もしもコウモリの「生き埋めになっていたところを助けられる幸運」を、引き当てたのだとしたら?



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