03/「あなたに憧れてるからです」

 一歩踏み入れると、そこは異世界だ。


 真っ先に目につくのは、天板の上に薬草の束がこんもりと積み上げられ、その下は丸い取っ手のついた正方形の引き出しで全面が埋め尽くされた、異国風の大棚。その周りには魔術の道具らしいものが大小ひしめいている。

 一応この奥に台所があって、普通のやかんとか鍋もあるのだが、手前のこの辺りにはまったく生活感というものがない。どれもこれも一般人の生活からはかけ離れた代物ばかりだ。

 中には動物の干物ミイラみたいなものもあって、ちょっと怖い。


 大棚の前には西方式の茶飲みテーブルがある。魔女はいつもここで客の悩みごとに耳を傾け、あるいは女学生たちが雑談に花を咲かせているのだ。

 アリヤはいつものように椅子に掛けた。魔女はすぐには座らず、提げていたかごから植物を取り出しては、ひとつずつ棚の引き出しに収めていく。


「それ、ぜんぶ薬草なんですか?」

「はい。これは青コリプといって、すぐそこの丘に自生しているんですよ」

「そうなんだ……、そんな身近なところに生えてるなんて知りませんでした。それはどんなお薬になるんですか?」

「……ふふ。とりあえず今のあなたには必要のないものですね」

「へ~。……ってことは身体の傷じゃないんだ、つまり……」


 アリヤが小さく呟いた言葉に、あら、と魔女が顔を上げる。彼女はあまり化粧っけがないけれど、くちびるは熟れた果実のように色づいている。

 それがゆるやかな弧を描いているのを確かめたアリヤは、意を決して口を開いた。


「あのっ、……わたし、実はその、今日は魔女さんにお願いがあって来ました。

 つまりえっと、わ……わたしを、あなたの弟子にしてください……!」

「――そんなもん募ってない」


 せっかくの告白は、横からの無遠慮な言葉によって一瞬でぶち壊された。余韻も間もあったものではない。


 見ればお盆を抱えたセディッカが立っていて、彼は変わらず不本意そうな顔のまま、卓上に茶器を並べていく。

 ほんとうにどこまでも態度は悪い。手つきや所作はきれいなのに、表情と声ですべてが台無しだ。これは彼の素なのか、それとも今日は特別に機嫌が悪いのか、あるいはアリヤが知らないうちに彼に何かしてしまったんだろうか?


 しかも、なぜか魔女はそこでくすりと笑った。アリヤには何が面白いのかさっぱりわからなかった。


「ふふ……セディッカ、あとは奥で休んでいいですよ」

「……それはそれで不安なんだが……あぁもうわかったよ、わかった」


 どうにも不機嫌そうな少年は、そこまで強く言われていないのにややうんざりした風にそう言って、さっさと奥に引っ込んでいった。どうやら魔女には逆らえないらしい。

 アリヤはなんとも言えない微妙な気持ちになったけれど、それを花の香りがするお茶で流し込む。


 女学生たちが連日ここにたむろする理由のひとつがこれだ。この薬屋で出されるお茶はそこらの市場で売っているものとはまったく異なり、しかも味も香りもいろいろなものがある。

 何しろ魔女の薬屋だから、きっと魔法でもかかっているに違いない。そう思えるくらい絶品なのだ。

 だから大した用や悩みがなくたって、このお茶を味わいたいがために女の子たちがここに集まるのである。しかもとびきり美味しいお茶請けつきだからなおさらだ。


 今日も鮮やかな色合いの珍しい焼き菓子が供されているので、アリヤはそちらも頬張った。

 最初はさくさくと香ばしく、そのあとふわりと優しい香りが胸を満たし、飲み込むころには夢見心地になる。ぜひこのお菓子の作り方も教えてもらわなければなるまい。


 だがアリヤがいちばん知りたいのは他の、もっとずっと大切なもの、つまりは薬屋の肝――『魔女の薬』の調合法だ。


「……それで、どうして私の弟子になりたいと仰るのか、理由わけを聞かせていただけます?」

「もちろん、あなたに憧れてるからです」

「あら、まあ、お上手ですね」

「お世辞じゃないですよ! だって……この街の人はみんな、魔女さんに助けてもらってますから」


 そんなことは、と魔女はおっとり微笑んだけれど、アリヤに言わせればそれは謙遜のしすぎというものだ。


 魔女の薬屋は客を選ばない。どんな人でも温かく迎え入れ、じっくりと話を聞いたうえで、その人がほんとうに必要とする薬を与える。

 アリヤが生まれるよりずっと前から彼女はここにいて、老若男女問わず多くのザーイバの住民を支えてきた。

 街の誰に尋ねても、あの魔女はほんとうに善い人だね、と返ってくるほどに。


 アリヤ自身、最初にこの店を訪れたときは人生のどん底にいる気分だった。そんな自分を救ってくれた魔女に憧れるのはごく自然なことだろう。


 きっと弟子の志願者はアリヤだけではないし、倍率は高いのだろうが、とにかくダメ元でも一度は挑戦したい。やる前から諦めたくないのだ。

 そして最悪その場ですっぱり断られるにしても、せめてあの不愛想な少年ではなく魔女自身の口から言われたいというもの。


「……決して簡単なことではありませんよ。それに、あなたはまだ学生さんですし」

「ええと、今までみたいに、学校が終わってからここに寄ります。よければ薬の作りかたを教えてください。がんばって覚えますっ」


 魔女はお茶をひと口含んでゆっくりと飲み干してから、静かに言った。


「……わかりました。ですが、大きな決断になりますし、最後に決めるのは私ではありませんから……しばらくはお互いにようすを見ましょうね」

「え? ……あ、いえっ、ありがとうございます!

 でもあの、どういう意味ですか? 決めるのは魔女さんじゃないって……」

「それはいずれお話しますよ」


 即答で断られなかっただけ大収穫かもしれない。

 最後のやりとりに少し疑問は残ったけれど、その日アリヤは満足して薬屋を出た。



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