04/「ちょっと恥ずかしがり屋なんですよ」
今日も今日とて、魔女の薬屋には少女たちの賑やかな声が満ちていた。
「こんにちはー」
「あれ〜、アリヤ遅いじゃん。何かあった〜?」
「日直だったからねぇ。あ、いたた」
「あら、また転んだの? 大丈夫?」
「ううん。先生に頼まれてあれこれ運んでたら、資料室の棚が壊れちゃって、落ちてきた本の下敷きになっただけ。あはは」
「いやそれ笑いごとじゃないでしょ。ほんとあんたって生傷が絶えないね〜」
他の女学生たちより少し遅れてやってきたアリヤは、ついつい不安の滲む眼差しで店内を見回してしまう。
テーブルには友人ふたり。そして向かいに座るのは我らが魔女。
あのセディッカの姿がどこにもないことを確かめ、思わずほっと息を吐く。それを目ざとく見つけた魔女がこっそり笑っていたとかいないとか――ともかく空いた席に滑り込んで、楽しい雑談の仲間入り。
その大半は取るに足らない、どうでもいいことだ。学校のこと、苦手な先生や勉強の愚痴に、他の生徒の噂話。
あとは女学校の向かいにある神学校に通う男子学生たちのことだとか。
やはり
アリヤもその手の話は好物だが、今はまだ素直に喜びにくい部分があった。
というのも――彼女がこの薬屋に来たきっかけが、まさしく神学校の生徒への失恋だったからだ。
遡ること二年前。アリヤは泥棒に荷物をひったくられ、その場に居合わせた少年が即座に取り押さえてくれたので事なきを得た、という経験をした。
盗られかけた鞄の中には学費が入っていた。決して裕福ではない両親が、娘のために少なからず苦労して用意してくれたもので、彼がいなかったら学校を中退しなくてはならなかったところだ。
アリヤは彼に惹かれ、彼もまた、アリヤと親しくしてくれた。
が、甘酸っぱい関係は一年あまりで終わった。彼に恋人ができたのである。
そもそも付き合っていたわけではなく、アリヤは明白に彼に好意を伝えていなかった。後から現れた別の女生徒に先を越されただけ。当然といえば当然の展開だ。
誰も何も悪くない。しいて言えば、自分自身の優柔不断が招いた結果だった。
落ち込んでいたアリヤを見かねた友人たちが、この魔女の薬屋に連れてきてくれたのだ。それまでも噂には聞いていたが、これといって用がなかったので、中に入ったのはそれが初めてだった。
魔女は辛抱強く、毎日アリヤの泣き言を聞いてくれた。
ちなみに薬はもらっていない。もらえなかった、と言ってもいい。
というのも魔女曰く「失恋の痛み取り薬」の材料は、どうしても必ずひとつはアリヤ自身が手に入れなくてはならない。けれどそのどれもが入手困難……というより、そもそもこの世に存在するとも思えないような代物ばかりだったのだ。
それにアリヤにとっては、ただ話を聞いてもらえるだけで充分だった。もしかしたら材料のことも魔女なりの方便だったのかもしれない。
魔法や薬に頼らなくても立ち直れることをアリヤに教えるための、優しい嘘。
「でね、その新入生が目を見張るような美少年だって噂。超見た~い」
「へー、そんなに話題なんだ」
「所詮まだ子どもでしょう? 殿方は顔より腕よ、腕。鍛え上げられた筋骨隆々の二の腕こそが正義だわ」
「あっはは、そっちもホント好きだよね〜。神学校のお坊ちゃまより憲兵団の若衆派ってか」
「頼り甲斐のある人が好みなの! ……あっそうだわ、ねえ魔女さま、これまでどんな殿方と恋をしていらしたの? たくさん経験なさったんでしょう?」
「まぁ、ふふ、いいえ。私はずっと独りですよ」
魔女はたおやかに微笑んで否定したけれど、嘘だぁ、と女学生たちは思った。
なめらかですべすべの、染みや皺とは無縁な紅茶色の肌に、濡れたように艶々な青磁色の髪。磨き上げた貴石を思わせる澄んだ瞳は長くぶ厚いまつ毛に縁取られ、形のいい鼻くちびるとともに完璧な配置に整えられている。
染め描きの刺青に彩られた手足はすらりとして長い。それでいて身体の線は女性らしい甘やかな起伏を描き、背は高すぎず低すぎず……まだいくらでも賛美できそうだが、一旦このあたりで止めよう。
とにかく、この美貌が男性に放っておかれるはずがない。
しいていえば年齢不詳、というか、少なくともアリヤの三倍……いや五倍くらいは平気で生きていることだろう。しかしこの瑞々しさの前では歳なんて些末を通り越して無意味だ。
もしもアリヤが男の人だったら、きっと一度は恋人の座を夢見たに違いない。
そこでふと、なぜかセディッカを思い出した。魔女に対してやや馴れ馴れしい態度だったし、もしかして彼はそういう間柄だったのかしら、と。
……いや、そういう雰囲気とは違った。とはいえ彼の存在は未だ謎だったので、せっかくだし居ないうちに聞いてみることにした。
「魔女さん、昨日ここにいたあの彼ですけど……」
「……えッ!? 何それ詳しく教えて!!」
「すこぶる興味ありますわ……!」
即座に食いついてくる友人たちには思わず苦笑いしたが、気持ちはわかる。
「セディッカですか? 彼はあなた方が期待するような関係では……なんというか、家族のようなものです」
「へぇ……? にしては普段ぜんぜん見かけませんけど」
「ちょっと恥ずかしがり屋なんですよ。でもそうですね、もう少しお客さまに顔を見せるように言っておきましょうか。留守番にも慣れてもらわないといけませんし」
あ、しまった。遭遇率を上げてしまったかもしれない。
咄嗟にそんなことを思ってしまったアリヤだったが、これから魔女の弟子になるなら、その家族ともきちんと付き合わねばならないだろう。避けるわけにはいかない。
……とはいえ向こうが少しは心を開いてくれないと、どうしようもないけれど。
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