『オタクとマニア』
直近数年、いわゆる形容としての「オタク」が、一挙に市民権を得てきた感があってならない。
なにせオタクというのは、2000年代初頭から10年代前半にかけては、相応の揶揄が伴った、どちらかというとアングラ寄りな言葉だったと思う。
具体的に申し上げるなら、一寸前までオタクと聞けば、ユニークなハチマキにリュックサックを下げ、チェックシャツに身を包んだ二次元趣味男性の──といった風潮がなかっただろうか?
メディアによる印象操作の産物であろうか。
少なくとも私の周辺では、大概の相手が前述と概ね一致する見解だった記憶がある。
あの人はオタクで──なんて言い出せない空気なくらいにはだ。
似たような意味合いの表現として「マニア」がある。
こちらはそれほど否定的な言葉ではなく、むしろある種の敬意をもって呼ばれることすらあるが、近年だとめっぽう聞かなくなった。
オタクが徐々に悪印象を払拭し、その地位を脅かしたからである。
思うに、若者における「アニメ」や「二次元」のカルチャーはもはや一般的となったのだろう。
コロナ禍も手伝って、いわば「健全な趣味」の市民権を得ている。
現在では、若者が自身を指して「〇〇オタク」と言う光景がしばしば見られるどころか、進んでオタクを目指すものすらいる始末だ。
一部界隈に限った資産ではなく、大衆娯楽として受け入れられた。
いずれ来るべき未来だった気もするが。
……しかしこうなると、どちらの形容を使うべきか悩ましくなってくる。
英語圏でも似たような動きはあり、いわゆる「ナード」と「ギーク」問題だ。
※ナードはほぼ日本語で言う「オタク」、ギークは「マニア」。若干ニュアンスの差異があるため、注意されたし。
一説によれば、ギークと呼ばれて好印象を抱く人間が40%強だった一方、ナードは10%前後に留まったそうである。
単に「その分野に著しく精通している人」というのは称賛になりうるが、それがインターネットカルチャーと交わった場合、先入観が働くのはどの国も同一らしい。
私としては、言葉の具合として、オタクは執拗な好みを発揮する剛の者、マニアは病的に詳しい人間という印象があるが……悩ましい。
個人的に、もう少し中間のスラングがほしいところだ。
不穏な出自を持つでもなし、やたらプレッシャーを与えるでもなし、純粋にそれが好きな人を敬意ありきで形容する言葉って殊の外ない。
難しい。
いっそ、剣客とか論客に倣って「アニメ客」みたいなのを造ってはいかがだろうか。
あるいは、「アニメ豪」。これは文豪から連想した。
だいたい、どちらも響きが芳しくない。
オタク然りマニア然り……発音するとき舌に逆らうのだ。
ドイツ語を見習おう──Einzelbesessener(アインツェルべゼッセナ一)だ。
イカしている。
この言葉、実は一方的な造語にすぎないのではないかという疑惑が掛けられているが、そんなことはこの際どうでもいい。
直訳すればお一人様マニアックだが、些細な問題にすぎない。
とにかくイカしている。その事実が大切だ。
日本語話者でない人が「痔」や「鬱」と書かれたtシャツを来てしまうのと同じで、異国情緒あるオタクには惹かれるものがある。
だから海外では、なんの捻りもなく「otaku」なんていう表現が飛び交っているのかもしれないが。
とはいえ、日常的にドイツ語を行使するのも現実的ではない。
故に、オタクを死語に至らしめる「新しいオタク」が誕生してくれないかなあというのが、このところのささやかなる望みだ。
数百年後、語源不明の慣用句として定着していないことを願ってやまない。
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