陳腐陳述

@Aithra

『本連載とはなんぞや』

インターネットの住人のなかには、語りかけんとする対象がどの時間帯にあっても対応しうるよう、全時間帯の挨拶を続けざまに言う光景がしばしば見受けられる。


おはようございますこんにちはこんばんは、とかだ。

あるいは、スラマッパギースラマッシアンスラマッマラムみたいな亜種が交わされているやもしれない(インドネシアで似たような慣行があれば、だが)。


こういった様相は、けだし件の諸兄姉なりに合理性を追求した結果なのだろう。

たしかにこれなら、朝昼晩以外の時間的概念が通用する異星人とかでない限り、おそらくは差し支えないはずだ。


だが、ちょっと冗長だし、響きが早口言葉みたいで、言う側も聞く側も挨拶本来の意義を見失っているのではないだろうか。


もっとも、時間帯の異なる挨拶がなされたからといって、不愉快な思いに駆られたり、なんて非常識なんだ、今は朝なのが分からないのか──などと難癖をつけ始める人はいないと思う。

否、いないと思う……おそらくは。

インターネット上には、動く絵画に私財のすべてを捧げたり、ピザから美女を創ったりする例外が闊歩しているから、絶対はない。


ともあれ、つまるところ、二十四時間いかなるときも機能する、スケルトン・キーのような挨拶があれば万事解決ではないか。


私は往時、日常生活を営むにおいて「アロハー」と「ナマステー」を重宝した。


前者は大概の相手に受け入れてもらえたが、やっぱり辞めた。

言葉の示す範囲が少しばかり広すぎたためである。

これといって愛してもいない人間に対してラブコールする趣味はない。


後者は絶妙な語感の小気味よさが癖になる優れた文句だったが、しかし、さしも有用だからといって、初対面の相手に向けるのは憚られた。

いや、それは親類縁者であったとても、面立ちやイントネーションは純日本人のそれなのに、なに言ってんだこいつは、という表情をしていたに違いない。


……のっけからうんざりする長さになってしまった。


何が言いたいのかというと、日本古来の挨拶──ごきげんようがいかに素晴らしいかということだ。

およそ、挨拶としての所要条件をすべて満たしているばかりか、お釣りが来る。


生み出してくれた先人に陳謝の念を表明しながら、ありがたく恩恵に預からせていただこう。

というわけで。


改めて、こちらをご覧の方々、ごきげんよう。


本連載は、今しがたのようなくだらない話題をとりとめもなく、思う様書き連ねていこうという試みです。


筆者はなにかを書かないと生きていけない性なのだけれども、とはいえ毎日小説とか書いていたんでは遠からずくたばってしまう。


そこで、エッセイ──言いたいこと書きたいことを好き勝手吐き出しまくってもお咎めのないジャンルで、日記代わりにぼちぼちやっていこうかと存じます。


深く考えたり、推敲を重ねたりはいたしません。

思ったことを筆(この場合はキーボード)に任せて書く、これをモットーに、飽きるまでやってまいりますので、お読みになりたいという奇特な方は、どうぞ温かい目でお付き合いいただけますと幸いです。


……とか言いつつ、この一話目が最終話にならないことを祈って。

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