第3話 戦え、と少年はいった

 さっき登った急な坂をこんどはくだって目的地に着いた。

 熊本城は茶臼山ちゃうすやまと呼ばれた丘の上に建てられた。

 そういう丘の上に建てられた城を平山城ひらやまじろというそうだが、その夜わたしが足を運んだ公園清爽園せいそうえんはそのふもとにあった。城の土台である丘をスカートにたとえると、ひらひらなすそのいちばん下についたちいさな水滴、それがこの公園だ。

 でも本城町の人々は「お城はここ月見つきみ公園から始まる」と考え地元の誇りにしている。この場所を川の源のように考えているのだ。月見公園とは清爽園のもう一つの呼び名でわたしの耳にはこの名前のほうがなじんでる。

 公園の左右に坂があって左の坂を登るとさっきの野球場に、右の坂を登るとお城の二の丸広場にたどり着く。

 公園に入ってすぐちいさい川が流れていて、そこに石の橋が架かっている。その橋をわたって短い階段を登るとそこが目指す場所だ。わたしは勇んで階段を駆けあがった。

「……あれ?」

 目的地の広場に着いてすぐ声が出た。拍子抜けの声が。街灯に白々と照らされた草地に、桜は一本も生えてなかった。どうやら桜の林は広場右奥の丘陵地にあるようだ。だからそっちへ行けばいいのだが、そっちは暗くて足が進まない。

(どうしよう)

 踏ん切りがつかないまま、なにげなく空を見あげた。西の夜空に上弦の月が見える。わたしはぽかんと口をあけ、右側がふくらんだ半月をながめた。月見公園というだけあって、かなたの月がよく見える。

「こんな暗いところに一人でくるなんて悪い子だ」

 あわてて口を閉ざし、視線を前に向けた。広場の奥に西南戦争で死んだ兵士を祀った石塔がある。

 その石塔の前に男が立っていた。

 白いTシャツを着た中年男。髪はまっ赤。背はそんなに高くないが体の厚みがすごくて着ているTシャツが今にも弾けそうだ。それからもう一つ目立つ特徴がある。

 男の唇から左頬にかけて、三日月状の大きな傷があった。

「……」

 なにもいわずに振り向きその場から逃げた。わたしの逃げ足は、しかしたった二歩で止まった。

 石段のてまえに知らぬまに四人の人間が立っていた。横にならんでとおせんぼしている。

 が彼らは本当に人間だろうか?

 いちばん右の男は腰みの一枚の格好のおじいさんだ。全身毛むくじゃらで、手足の爪が鷹のようにぶきみな鉤爪だ。

 そのとなりがやはり腰みの一枚の裸のおばあさんで、しなびたヘチマみたいなおっぱいはふつうだが(?)口もとにするどい牙が二本生えている。

 そのとなりにいるのは若い女だ。彼女も上半身は裸でおっぱいをかくすように赤ん坊を抱き、下半身は赤い腰巻きでおおっている。とくに体に異常はなさそうと思ったとき風が吹き、腰巻きがひるがえった。なまあたたかいなにかがポツン、と頬を打った。

(え?)

 頬を撫でてゾッとした。女の腰巻きを赤く染めている染料がわかった。血だ。

 そしていちばん左にいるのは髪の毛が一本もない小柄なおじいさんだ。目を閉じ、両手を突き出している。おじいさんの目は顔になかった。

 突き出したてのひらに目はあった。

 てのひらの目は小バカにするように、ふるえるわたしに向かってウィンクした。

 おびえるわたしのようすを背後から見て、赤い髪の男は満足そうにいった。

「夜一人でうろうろする悪い子にお仕置き……うわ」

 男の悲鳴とバサッ! と鳥が羽ばたく音が同時に聞こえた。

 振り向くと一羽のカラスが嘴で男の赤い髪をつついていた。カラスの嘴には白い筋になった傷があった。

(カーキチ)

「カーッ!」

「な、なんだてめえ」

 男が両手を振りまわすとカーキチはそれをよけ、石塔のふちにふわりと着地した。

「このクソカラス……」

「これは手の目」

 と、そのときとつぜん背後ですずしげな声が聞こえた。

 振り向いたとき闇に青い閃光が走って、てのひらに目があったおじいさんが消えた。

「これは姑獲鳥うぶめ

 次に赤ん坊を抱いた女が消えた。

「これは山姥やまうば

 水平に光が走ってヘチマおっぱいのおばあさんが消える。

「それからこいつは山童やまわらわ

 最後に毛むくじゃらのおじいさんが消えた。

(なにが起きたの? あ)

 四人が消えた地面に、切断された四体の紙人形が落ちていた。

「紙人形の式神なんてしゃれてるね、おじさん」

 白髪頭の男の子はそういってにっこり笑った。

(三郎くん)

 今日放課後の校庭で、ふしぎな術を見せた転校生早川三郎が石段の前に立っていた。柄が赤い短刀を右手に持っている。

 刃の先端から青い光を放った、あの短刀だ。

「でもいたずらにしちゃ度がすぎる。気のちいさい子なら恐怖で失神するよこんなの」

「おい」男は威嚇するように大声でいった。

「ガキでも刃物使ったら正当防衛は認められねえぞ」

「平気だよ」

「や、やめて!」

 わたしは悲鳴をあげたが三郎はなんのためらいも見せず、手にした短刀で自分のてのひらをスパッ! と切った。

「……え?」

 顔をおおった手のすき間からのぞき見た。どういうこと? 血が一滴も流れてない。

「この刀、不知火丸しらぬいまるっていうんだ」

 三郎はパチンと小気味のいい音立てて赤鞘に刃を納めた。

「代々わが家に伝わる霊刀」

「レ、レイトウ?」

「そ。さっきの式神みたいな霊的存在を斬る刀。ふつうの物質や人間の肉体には刃が立たない」 

「そりゃいいこと聞いた」

 とたんに広場に地響きがとどろき、カーキチが悲鳴をあげた。

「カーッ!」

 血相変えて男が突進してくる。

 しかし三郎はケロッとした顔で突っ立ったままだ。

 わたしは思わずその場にしゃがんだ。

 しゃがんで小声で、いつもの呪文を唱えた。

「ごめんなさいお父さん。ごめんなさいお母さん。あしたは今日よりもっともっとできるようにするからもうおねがいゆるして。ゆるしてください。おねがいします……」

 奇妙なことにわたしは呪文だけはどもらない。唱え終え、ホッとしていると頭の上から声をかけられた。

「祈りじゃ恐怖は消えないよ」

(え?)

 顔をあげると白髪頭の転校生が、あどけない顔でじっとわたしを見つめていた。とっさに彼に尋ねた。

「ど、どうすればいいの?」

「戦うんだ」

 三郎がそういったとき、真っ赤な髪を振り乱し男が突っ込んできた。

「死ねクソガキ!」

 そのとき目の前の闇が人の形に輝いた。

「ステルスモード解除」

 姿をあらわした介護ロボットAは、闘牛のように突進してくる男に右ストレートを放った。

 軽く放ったパンチに見えたが、大型車同士が正面衝突したようなものすごい音がした。

 男は石塔の前までふっ飛んだ。

「といっても戦うのはぼくじゃないけどね。あはは!」

 三郎はわたしを見て照れ臭そうに笑った。

「ぐええ」

 男は地面に這いつくばり、口から血と折れた歯を吐き出した。たいへんなありさまだがさらに驚くべきことがあった。男の頭に、髪の毛が一本もない。ツルッパゲだ。よく見ると男のそばにくたびれたモップのようなものが落ちている。

(この人カツラかぶってたんだ)

「ケケケケ」

 石塔にとまっていたカーキチが、笑いながら手をたたくように羽ばたいた。

「もう大丈夫よ、ユイ」

「Aさん」

 抱き締められると彼女のおっぱいが人間のようにやわらかいから驚いた。

「こわかったわね。かわいそうに」 

「わ、わたしのこと知ってるの?」

「もちろんよ、祖父江そぶえゆいさん」

 Aはそういって笑うとわたしの頬を撫でた。

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