第4話 平成二十八年四月十四日午後九時二十六分
「ぼくもきみのこと知ってるよ」
と三郎がいった。
「あの子後藤久美子に似てるねってAとよく話してたんだ」
「ご、後藤さん?」
「八十年代人気があった国民的美少女」
「じ、じゃあ似てないよ」
そういいながら顔の上のほう、左のこめかみあたりを手でそっとかくした。
今までいわなかったがわたしの顔にはアザがある。左のこめかみを中心に左目を半分おおうように赤黒いしみが広がっているのだ。こんな顔に似てるといわれたら後藤さんが気の毒だ……と思ったが、三郎の追及はしつこかった。
「いや似てるよ」
「に、似てないって」
「似てる」
「に、似てません!」
「似てるって。きみはジョン・レノンばりに自己評価が低いなあ。極端な自己卑下って自分自身に対するいじめだよ。やめなよそういうの」
「きしょう、顎の骨が折れた。てめえは」
Aにぶっ飛ばされた男は口から血の霧を吐きながら怒鳴った。
「てめえはなにもんだクソガキ!」
「呪術師だよ」
わたしとの会話をさえぎられ、三郎は不満げに唇をとがらせた。
「呪いをかけるほうじゃなく、呪いを祓うほうの呪術師。警察の手に負えないオカルト案件はぼくの仕事」
「おれがオカルト?」
「お化けが出るって話を聞いた。さっき斬ったけど。ある人から頼まれたんだ。最近この町の公園に女の子を襲う変質者があらわれる。そいつにお灸をすえてくれって。変質者が出るのは決まって月の明るい晩。月見公園は月がいちばんきれいに見える公園だからここで見張ってた。そしたら網を張った初日におじさんがひっかかったってわけ」
「おまえに頼みごとしたのはだれだ?」
「いう必要ないだろ。さ、行こう」
「どこへ? 警察か?」
「ちがう。もっとヤバいところ」
「ま、待て。これにはわけがあるんだ。話を聞いてくれ」
「聞く必要もないね」
「クソ、てめえみたいなガキになにがわかる……ひええ」
男は急にへんな声をあげた。男がそんな声をあげたのは三郎がいきなり自分の左目に指を突っ込み、勢いよく目玉を引っこ抜いたからだ!
「今会ったばっかだけど、おじさんのことはだいたいわかった」
「あれガラスの義眼よ」
青いハンカチで手にした自分の目玉をふく三郎を指さし、Aは耳打ちした。
「だから心配しないで」
「な、なにがわかったってんだ」
「坂の途中に古い型の自転車が停めてあった。車体に神戸市垂水区緑風荘202土井飛雄馬とあった。おじさん神戸出身の土井さんだろ? 神戸からママチャリで熊本までくるなんてすごいね」
義眼を入れ直し、三郎は目をパチパチさせた。
「そんなのバカでもわからあ」
「年齢は四十五歳」
そう聞いて土井の顔色がはじめて変わった。
「警察に聞いたのか?」
「まさか。あなたがいたずらした子どもたちの親は被害届けを出してない。子どもの将来を考えて事件をおおやけにしたくないって。警察はおじさんの存在をまったく把握してない。被害者の親たちは警察と関わりないある人に相談を持ちかけ、その人がぼくに話を持ってきた。さっきもいったけどぼくもおじさんの顔と名前をたった今知った。でもだいたいわかった」
「なんで四十五歳と?」
「名前が飛雄馬だから。巨人の星のアニメが人気絶頂だったのが一九七一年。その年に生まれた男の子に飛雄馬の名前は流行ったはず。そこから計算した。名前が飛雄馬でそんだけ体が大きいからおじさん野球やってたでしょ?
DL学院で」
「ななんで」土井のはげ頭に亀裂のような青筋が立った。
「お守り」
三郎は自分の足もとに落ちていた木札をつまらなそうに指さした。よく見ると木札には乾坤一擲とむずかしい字が書かれている。
「これ野球部員全員に配られる有名なお札だよね。DLの選手が試合中に胸に手を当て、そのお札をいじってるのをよく見た。でも残念ながらおじさんは三ヶ月でDLをやめた。DLに飛雄馬という名前の選手がいたらぜったい話題になるけどそんな話聞いたこともないし記録にもない。夏の予選がはじまる前におじさんがDLからいなくなったからだ」
「……」
「野球をやめたおじさんは学校もやめて上京し、体格のよさを生かそうと某プロレス団体に入門する」
「お、おい」
「その絵」三郎は自分が着ているパーカーの左胸をさした。
「今おじさんが着てるTシャツのロゴ。岩の上のトラが空に向かって吠えるイラスト。ずいぶん薄くなってるけどそれ某プロレス団体が八十年代後半、新人に与えたTシャツに描かれた絵だね。今は絵柄がちがうから時代がわかる。おじさんはこのプロレス団体も短期間でやめた。理由。飛雄馬がプロレスやってたら話題になるのにそんな話も聞いたことないから。プロレスをあきらめたおじさんは今度は力士になろうと杉並にある老舗の某相撲部屋に入門する」
「うお!」
「その財布」三郎がまた足もとを指さした。黒いコイン入れが落ちている。
「軍配型のキーホルダーがついてる。これ某部屋が新弟子に配る記念品だね。敬天愛人と書かれてる。キーホルダーにその文字が書かれたのは九十年代初頭だけ。それでプロレスのあとの入門とわかった。おじさんは相撲部屋も短期間でやめる。理由。飛雄馬が相撲やってたら話題になるのにやっぱりそんな話聞いたことないから。
ここまでの話でなにか反論ある?」
「……」土井はなにもいわず、金魚のようにただ口をぱくぱくさせた。
「相撲部屋をやめたおじさんは故郷の神戸に帰った」
三郎は話を続けた。
「神戸には有名な暴力団がある。でもおじさんは『おれは××組のもんだ』と身分を偽ったことはあるけど、その団体とは無関係だ。ぼくがそう思った理由はあとで話す。
一九九五年に阪神大震災が起きる。地震で住んでいたアパートがこわれ、おじさんは避難所生活をはじめた。
その避難所で、女の子にいたずらしたね?」
「……なぜそう思う」
「これ」
三郎は細くしなやかな指で自分の顔をすーっと撫でた。
「おじさんの顔の傷。それヤクザの見せしめ傷だ。なぜそんな傷をつけられたのか考えた。
身分を偽り、人々を恫喝して小銭を巻きあげていたおじさんを組の人間は前から目をつけていた。
そこにおじさんが女の子にいたずらしたと一報が入った。組の人間は激怒し、警察より先におじさんを捕まえ、凄惨なリンチのあげく最後に顔を切って町から追放した。
殺さなかったのはおじさんが本職の極道ではなかったからだ。
それから自転車を唯一の相棒に、土井飛雄馬は西日本中を旅して回った。旅の途中たちの悪い呪術師に会い、紙で作った人形を式神にしたてるインチキ呪術を教えてもらった。そして熊本に流れ着いたらむかしの悪い虫が騒ぎだし、幼い女の子にまた手を出した。
それがぼくが推理したおじさんの半生だけど、ちがう?」
「……おまえ名前は?」
「早川三郎」
「三郎、おまえ呪術師だろう。頼みがある」
「なんだい?」
「最近のことだ。
血とよだれと鼻水と涙で顔をドロドロに汚しながら、はげ頭の大男は絶叫した。
「でもどうしても自分を止められねえんだ。こんなのおかしい。こんなのへんだ。頼む三郎、おまえの力でおれを止めてくれ!」
そのとき石塔のてっぺんで、とつぜんカーキチが騒ぎ出した。
「カーッ! カーッ!」
「ようすがへんね……」
そういってAは心配そうに目を細めた。
「か、カーキチ、どうしたの?」
「あのカラスきみのペット?」三郎があきれたようにわたしに尋ねた。
「ペ、ペットじゃない。ともだち」
「カーキチはなにいってるの?」
「わ、わからない。あれ?」そのとき気づいた。
「なに?」
「つ、月」わたしは頭の真上を指さした。
「満月だね」
「あ、あの月さっきまで、上弦の月だったよ」
「え?」
その瞬間だ。
足もとでなにかが爆発した。
乾いた地面をたたくどしゃ降りの雨音が鼓膜をおおう。
それは雨音ではなく、公園の木々がはげしく枝を打ち鳴らす音だ。
重い石塔が雑巾のようにねじれ、カーキチが悲鳴をあげた。
そのときようやく地面が揺れているのに気づいた。
平成二十八年四月十四日夜九時二十六分、熊本を震度七の地震が襲った瞬間わたしが目にしたのは、そんな風景だった。
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