とてもとても暑い夏の日のこと

 淋しくも穏やかな日々は変わらず過ぎて行きます。空から落ちる雨粒が留まることのないように、ただ一人佇むだけの私を包む小さな花園は、時の移ろいとともにその姿を変えていきます。


 やがて秋の可憐な花が散り、北風が冷たい空気を運ぶと、白い雪とともに冬が訪れます。


 冷たい冬の空気はとても澄んでいて、いつもよりも輝きを増した星々が夜空を彩り、夏とは違う星座を形作ります。


 しんしんと降り積もった雪は、この世の全ての穢れを覆い隠すように世界を白く染め、些細な音も包み込み、辺りに静寂(しじま)を与えました。


 鳥のさえずりも虫の音も消え去り、風が吹かない日には厳かなまでの静謐な空気を湛えます。


 音のない冬はお父様達に静かな眠りを約束し、私はその清廉な空気の中で、ただ祈りを捧げます。


 私はこの静かな時が好きです。


 小さな命達は息を潜め、そこにあるのはただ私の想いだけ。


 周りの雑音が少なくなっていくとともに、私の想念も不純物を削ぎ落としていき、やがて本当に真摯で純粋な祈りへと昇華される、そんな気がするのです。


 やがて南風が暖かな空気を運ぶと、それに乗って再び生命の音が齎されます。


 雪が溶け、草花が芽吹き、小鳥が囀る春が訪れると、私はまたアーディ様のような黄色い可愛らしい花を愛でて過ごします。


 やがて小さなアーディ様が白い綿帽子を被り、風と共に旅立つのを見送るのです。

 

 そしてどこまでも高い青空に入道雲が立ち昇り、強い陽射しが肌を焼く夏がやって来ます。


 陽射しに負けずに葉を枝を伸ばす苗達に水をやり、小さな虹を作ります。この小さな虹を小さなアーディ様は喜んでくださるかしらと思いながら。


 中天のお日様が一日一日と高さを下げ暑さが和らぐと、清涼で心地の良い秋風が実りの季節を齎します。


 私は僅かながらの野菜を収穫し、心ばかりのスープを作ります。甘くて濃厚なカボチャのスープ。きっとアーディ様は蕩けるような笑顔を見せてくださるでしょう。


 甘くて優しいキャロットスープ。小さなレディは少し涙目になりながら、私の作ったスープを頑張って飲んでくださり、お父様とヒルダ様は慈愛の笑みでそれを見守るのです。


 そして、全部飲んだよと私におっしゃるのです。きっと嬉しそうに、きっと自慢気に。でもきっと本当に自慢気なのは、皆様に愛を注がれるアーディ様より、そのアーディ様の愛らしさや真摯さ聡明さ、全てを嬉しそうに見守るご両親なのです。そして僭越ながら私もきっと嬉しくて愛しくて、心から誇らしく思うのでしょう。


 そんな日がたった一日でもあればどんなに幸せなことでしょう。


 でも私にはそんな日は決して訪れません。


 愛してほしいなんて畏れ多いことは望みません。ただ、私に皆様を愛することだけは許してほしいのです。


 私に『いつかそんな日』は訪れない。


 だから、少し想像の翼を広げてみる、ただそれだけなのです。


 もし、ヒルダ様がアーディ様が亡くならなかったら、ダーゼン様は私をお作りにはならないでしょう。


 それでも思うのです。


 皆様がご顕在で、もしメイドとして魔導人形が作られたなら。私に与えられた大切な宝物、アーデルハイドという名前さえ無くなってもいい。


 もしそこでたった一日でも稼働できるのであれば、私は何だってするでしょう。私は何だって捨て去るでしょう。


 そうやって何度も季節が巡り、何一つ忘れることもできない魔導人形は、想いを祈りにかえて日々を重ねていきました。


 そして魔導人形は気付きます。


 魔導人形がマスターとそのご家族を求めてやまないその気持ち、消えることないその胸の痛みは、きっとダーゼン様がアーデルハイドお嬢様を求めた苦悩と同種のものなのだと。


 人であるダーゼン様の想いや悲哀は、魔導人形ごときのものとはまるで重さも大きさも違うのでしょう。


 それでもきっと同じ方向の痛み。


 だから私は少しだけマスターを理解できたことに喜びを感じるのです。


 そしてこの冷たい魔力炉と同じ痛みを、最期に僅かながらに取り除いて差し上げられたのではないかと、そう思うのです。


 それは願望。


 それは心からの願いであり真摯な祈り。


 最期に少しの救いがお父様に与えられたという身勝手な想像。


 でも、私はそうであることを祈るのです。


 ダーゼン様の心に、魂に救いが訪れていることを祈るのです。


 そして祈りとともに月日は折り重なって過ぎて行きます。


 やがてそれはやってきました。


 それはとてもとても暑い夏の日のこと。


 降り注ぐ強い陽射しに陽炎が揺らぐ、そんな日のことでした。


 その人はその揺らぎの中からまるで蜃気楼のように現れたのです。


「やっと会えたな、アーデルハイド。私は大魔導師レイリア。勇者マックス率いる魔王討伐隊唯一の生き残りだ」


 とても凛々しく美しい女性でした。秀でた額、高い鼻梁がその知性と気高さを物語るような、そんな女性でした。


 火の精霊が彼女の周りを飛び、それによって空気が揺らめきまるで陽炎を纒ったようで、夏の暑さが見せた幻想のようでした。


「はじめまして、レイリア」


 突然の訪問と衝撃的な名乗りに私は戸惑いを隠せませんでした。


「ああ、はじめまして。全く、ここを作ったのは本当に素晴らしい術者だな。ここに来るまでに12年も掛かってしまった」


 お父様は世界最高の錬金術師ですから、その結界も相当に高度なものなのです。あんなにひょっこり入ってくるマックスがおかしいのです。しかし、彼女の言葉は一々気になる事ばかりです。


「12年ですか」


 ドルトムントの来訪からまだ10年も経っておらず、私は少し戸惑いました。


「ああ、もしかしたら君にとっては違うかもしれないけれど」


「ああ、時空の揺らぎを越えてきたのですか。ドルトムントの時と同じですね」


「おいおい、重戦士のドルトムントと大魔導師が同じとは聞き捨てならないな。私がどれだけ苦労して君に会いに来たと思っているんだ」


 レイリアはとても心外なご様子です。


 なんとこのお客様は私の名を知っていただけではなく、偶然訪れたのではない初めてのお客様のようです。私に会うために来てくださったというのは、本来とても嬉しいことなのでしょう、お客様が悲報を携えていなければ。


 本当に悲報なのでしょうか、聞き間違いではないのでしょうか。


 レイリアの来訪を喜びたいのに喜べない、自分でもよく分からない感情が渦巻き、私の思考を阻害していました。


「私は少し混乱しているようです。まずお飲み物をご用意しましょう。こちらへどうぞ」


 レイリアをテラスへと案内すると、彼女はドルトムントが使ったのと同じ席に腰掛けました。


 ずんぐりとしていて愛嬌のある笑顔のドルトムントと、スラッとして笑顔のないクールなレイリアが、時を越えて同じ椅子に座る。


 全く似ていない彼女の姿に、遠い日のドルトムントを重ねて魔力炉が少し暖かくなるも、すぐに冷たい軋みのような痛みを生じました。


「どうした? 何かおかしかったか?」


 つい見つめてしまったのが気になったようで、レイリアに問われます。


「いいえ。ドルトムントと同じ席にお掛けになったと思っただけです」


「ああ、そういうことか。何だか感慨深いものがあるな。ドルトムントの爺様にはいつも守ってもらっていた。とても頼りになる人だった」


 レイリアはまるでそこに大切な人がいるかのように、とても優しい手付きでそっと木のテーブルを撫でました。その表情は優しく、そして哀しげに見えました。


 私は彼女の前に冷たい井戸水に潰した木苺と花蜜、それにミントを加えた物を置きました。


「ありがとう。これはとても涼やかで美味しいな」


 喉が渇いていたのか、飲み干してしまったグラスにピッチャーからお替りを注ぎます。


「それで、皆さんお亡くなりに?」


 気になっていたことを遂に問い掛けました。問い掛けるだけで、私の魔力炉が冷えていくのを感じました。


 幾種類もの想いが私の中に渦巻いていました。


 彼女は凛とした眼差しで私を見つめ、一つ頷きました。


 ああ、これを語るために、彼女は私のもとを訪れてくれたのでしょう。


 人はどうして死んでしまうのでしょう。


 私が出会った人達は皆、亡くなってしまいました。


 私の名前を呼んでくれた人達は、もう会うこともできなくなってしまいました。


 悲しみや淋しさ、切なさといった感情は、とっくに学んでしまっています。だからもうそんな感情は与えてくれなくて良いのに。


 レイリアは静かに語り始めます。マックスとドルトムントの最期を、そして彼らの生き様を。

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アーデルハイドは魔導人形 @Lady_Scarlet

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