お爺さまとタンポポコーヒー
私は井戸で手を洗わせた後、テラスのテーブルへと案内しました。当然屋敷の中は立入禁止ですが、マックスやその仲間ならばテラスまで許容することに決めていました。
「おお、すまんの。しかしここは何とも気持ちの良い所じゃな。秋の野花が愛らしいし、柔らかな陽射しとそよぐ風が心地良い」
おお、お客様らしいコメントです。訪問先を褒め称えるのはマナーなのです。これはとても素敵なお客様であられるようです。マックスにも爪の垢を煎じて飲ませなくてはいけません。
木製の椅子に腰掛けたドルトムントは髭を撫でながら庭や畑を眺めて目を細めています。私は屋敷に戻って焙煎したタンポポの根でタンポポコーヒーを淹れ、再びテラスへと戻ります。
「どうぞ、タンポポコーヒーです」
「おお、これがタンポポコーヒーか。マックスがぜひ飲みに来たいと言っておった」
ミルクやお砂糖はありませんが、ミルク代わりになるミルク草という草の乳液と、新たに開発した特製の花蜜を添えてお出ししました。
ミルク草は元々畑の隅に生えていましたが、私はその草を知りませんでした。しかし、お父様の書斎にあった植物図鑑で調べたところ、害の無い乳液が採れる珍しい草であることが分かったのです。
また、お砂糖がほとんどありませんので、蜂蜜が手に入らないものかと考え、錬金術で錬金蜂を作り出しそれに花蜜を集めさせました。
「ほう、タンポポコーヒーは初めて飲むが中々乙なものじゃのう。旅先でも作れそうじゃし、儂も作ってみようかのう」
ドルトムントは嬉しそうにコーヒーを少しずつ飲み、花蜜をティースプーンで掬うとペロリとそれを口に含みました。
「おお、なんと豊潤な香りの蜜じゃ。花の香が鼻腔に抜けよる」
このヒゲモジャはお酒好きそうな見た目のくせに、花蜜をそのまま舐めるなんて相当の甘味好きのようです。
「コーヒーに入れるかと思ったのですが」
「それも良さそうじゃが、それぞれの香りと風味をを別々に味わいたくての」
「ガサツそうな見た目の割に意外に風雅なのですね」
「そうかの? 照れくさいのう」
お客様はゆっくりとお寛ぎになり、私の心ばかりの饗しをとても喜んでくれていました。その様を見ていると、私も嬉しくなってきて、私が笑うとマックスも嬉しくなると言っていたのを思い出します。
タンポポコーヒーのお替りを淹れると、今度はミルクを入れてお召し上がりになりました。
「ほう、これもまた初めての味わいじゃ。淡白ではあるものの、仄かな甘みのある優しいミルクじゃな」
「ミルク草のミルクなのです」
「ほう、草のミルクなのか。寡聞にして存ぜぬがなんとも粋な心遣い、痛み入る」
「お爺さま」
「ん?」
「お爺さまがいらっしゃったら、このような感じなのでしょうか」
「儂まだ百四十代なんじゃけど」
「あら、そうなのですか。とても若々しくていらっしゃいますね」
百四十代なら曾孫も居そうですけど。
「まあ、ドワーフじゃからな。それに確かに孫も居るんじゃけどね」
そう言ってドルトムントは目尻に皺を作って朗らかに笑いました。
「まあ、なら本当にお爺さまなのですね。ご令孫はおいくつなのですか」
「幾つじゃろう。孫が一つの時に旅に出たからの、もうアーデルハイドくらいになっておるのかも知れんなぁ」
私は生まれたときからこの姿ですから比較対象としては不適切ですが、無粋なことは言わないでおきます。マックスと違って小粋なお客様ですし。
「ではもう何年もお会いしていないのですか」
私もお父様と何年もお会いしていません。アーディ様やヒルダ様に至ってはお目に掛かることすら叶いませんでした。そんなことを考えると魔力炉がヒュッと冷たくなります。
「そうじゃな。まあ仕方ないさ。息子夫婦や孫の未来のためにも、まだまだ頑張らねばならんからのう」
「頑張って、お爺ちゃん」
両手をキュッと握ってエールを贈ると、ドルトムントお爺さまは虚を突かれたような顔をしましたが、やがて破顔し嬉しそうに笑いました。
「ありがとう。孫に言われたみたいで、とても嬉しい」
「それは良かったです。私を孫だと思っていただいても宜しいですよ」
「そうかそうか、わっはっは」
そう言うと目尻に光るものを湛えながら、ゴツゴツした厚い手で私の頭を撫でました。マックス一行はどうも私の頭を撫でたくなる人達のようです。
「しばらく滞在なさいますか?」
「ありがたい申し出じゃが、そうも言っておられん。仲間が心配するだろうしの」
「マックスと同じ事をおっしゃいます。やはりお仲間なのですね」
「そうじゃな。あいつらは、命を共にする掛け替えのない仲間じゃ」
ドルトムントは遠い目をして万感の思い込めてそう呟きました。魔導人形の私にはその想いを汲み取ることはとても難しいことで、それがとても残念に思いました。
私はこのガサツそうに見えて小粋なお爺さまが、結構気に入っていました。
「なら、あちらに向かって進まれますよう。マックスもあちらに向かって帰って行きました」
私は結界の向こうを指差します。
「分かった。ありがとう、世話になったな」
「いえ、お話ができて良かったです」
「では行くとするか」
「あっ、少しお待ち下さい」
私は屋敷から小さな水晶を取ってきて、ドルトムントに手渡しました。
泉のそばで拾った小さな水晶で、私の魔力を込めて術式を刻んだ物です。
「これは?」
「遠く離れた大事な人に、一度だけ想いを届ける魔道具です」
「そんな物があるのか」
「私が作った物です」
お父様やヒルダ様、アーディ様に想いが届けられないかと作ったのですが、やはり死者に想いを届ける術式なんて無理でした。
ほんの少しだけ、マックスに使おうかと思いましたが、私を思い出させても気掛かりが増えるだけで迷惑だろうとやめました。
マックスなら、約束通りもう一度ここへ来ようとしたはずです。それでも何年も来ていないのだから、やはり結界に阻まれてここを見付けることができなかったのでしょう。
「良いのか? 貴重な物だろう?」
「良いのです。私が持っていても、使う相手もおりませんし」
そこでドルトムントは少しだけ変な顔をしました。きっと気付いたのでしょう。使いたい相手も居ないなら、そんな物を作るはずがないと。
でも使う相手が居ないのは本当です。
受け取るのを渋るドルトムントの手に水晶を握らせます。
「ぜひお会いできない奥様やご令孫、ご家族の方々に想いを届けてください。あっ、別にマックスに無事を伝えるのに使っても怒りませんよ」
「そんな気軽に使えんよ。ここぞと言うときに使わせてもらう。ありがとうな、アーデルハイド」
やはり名前を呼んでもらうのは嬉しいものです。ぜひご令孫の名前も呼んであげてください。
「いいえ」
「アーデルハイドは、とても優しく微笑むのだな」
「そんなこと初めて言われました」
「儂はアーデルハイドの笑顔が好きだぞ」
マックスの仲間はやはり彼の仲間。人の笑顔が好きな気の良い人達のようです。
「ありがとうございます。私もドルトムントの笑顔は気に入っていますよ」
「ふふふ、そうか。マックスがやきもちを焼きそうだ」
私はやきもちというのが、よく分からなくて小首を傾げました。ドルトムントは何も言わずに微笑みながら私の頭にポンポンと手を置きました。
「では行くとしよう。良い土産話ができた。達者でな、アーデルハイド」
「はい、ドルトムントも。マックスには無理をしないようにお伝え下さい」
「ああ、しかと伝えよう」
「ドルトムントお爺さまがご健勝で過ごされますよう、皆様の旅の行く末に幸多からんことを祈っております」
お客様を心を込めたカテーシーで送り出します。
ドルトムントは優雅な答礼で返すと、もう振り向かずに去っていきました。
あなた達が旅の行末にその想いを果たすことを、私はずっとここで祈っています。
親愛なるお客様達に幸多からんことを。
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