小さなお日様とヒゲモジャ

 また、日々はゆっくりと過ぎていきます。


 一日一日と陽射しが暖かくなっていき、降り積もった雪を溶かしていきます。


 やがて小さな新芽が、まばらに残った雪の間から顔を出しました。


 雪が全て溶ける頃には、辺りにちらほらと小さな花が咲き始めました。


 私はその小さなお花を少しだけ摘んで、お父様達のお墓に一輪ずつ供え、皆様の安寧を祈ります。


 段々と日が長くなると、小鳥が水辺に虫達が花々に訪れるようになり、黄色い可愛らしい花があちらこちらに咲き始めました。


 その黄色い小さな花は、とても愛らしく小さなお日様のように、私の心を照らし温めてくれました。


「アーディ様もこんな風に小さくて愛らしいお日様のようなお嬢様だったのでしょうか」


 そんなことを考えていると、その黄色いタンポポが風に揺れて、まるでアーディ様が私に手を振ってくれているように思えてとても嬉しくなりました。


 タンポポを一輪ずつお供えしようと思っていましたが、私にはそれが可愛らしいアーディ様のように思えて摘む気にならず、いつまでも風に揺れるさまを眺めていました。


 マックスとの約束を果たすため、タンポポを摘もうと思うものの、もう少ししてからと先延ばしにするうちに、いつの間にか黄色い花は綿毛へと替わっていました。


 それは温かいフワフワの帽子をかぶっているみたいで、白ウサギの革で作った大きな帽子を被ったアーディ様を想起させました。そして私は、アーディ様に温かいマフラーと手袋を編んで差し上げたいと、そんなことを思ったのです。


 そして一陣の風が吹くと、綿毛達は旅立ちの時を迎えました。私はすっかりアーディ様の成長を見守っていた侍女の気分で、タンポポ達の旅立ちを少しの淋しさと誇らしさを持って見送ります。


 アーディ様がお嫁に行くのを見送る時はどんな気持ちになるのかな。こんな気持ちをとても大きく、そしてとてもとても深くしたような気持ちなのかな。


 そんなことを考えました。


 決して私には経験することができないその気持ちは、娘に注がれる母のもののようで、とても純粋で尊いもののようで、憧れを懐かずには居られないのです。


 届かないと分かっていても、私はその想いを求めてしまうのです。


 すっかり綿毛を巣立たせたタンポポに、お疲れ様でしたと声を掛けながら抜いていきます。感情移入が過ぎたのか、何だか悪いことをしているような、若干の後ろめたさを感じてしまいます。


 それでもマックスとの約束を守るために、タンポポの根を回収しなければなりません。


 何度その可憐な花が生え替わって、幾年月が過ぎようと、決して果たされない約束であろうと、私はこうやって春の訪れを告げる小さなお日様の誕生と成長を見守り、少しの淋しさと誇らしさで旅立ちを見送り、また、得られぬ想いに憧憬を懐きながら、お休みなさいの言葉とともに摘んでいくのです。


 ここは偉大な錬金術師であるお父様が施した結界です。魔物はもちろん、人だってそうそう訪れることなどできないのです。


 だからきっとマックスはここにたどり着けないでしょう。


 でも入れないはずの結界に足を踏み入れたマックスなら、いつかもう一度があるのかも知れない。だから私は根を洗い、刻んで灰汁を抜き、乾燥させて保存します。


 私が作った状態保存の効果を付与した容器に、少しずつタンポポコーヒーが溜まっていきます。


 そして暑い夏が過ぎ、実りの秋が訪れたある日のこと。


 最初は小さく、そして次第に大きく大地が揺れました。


 何かが割れるような大きな音が辺りに響き、何もない空間から新たな来訪者が落ちてきました。


「うおおおっ!」


「ああっ!」


 真っ黒なヒゲモジャの男が私の大事な畑に転がっていました。まだ収穫していないお野菜たちの上に、汚らしいずんぐりした男が落ちていました。


 私はムカッとしました。


「そこの不審者! 私の大事なお野菜を傷付け、神聖な畑を汚すとは命が惜しくないようですね」


「な、なんじゃ!?」


 ヒゲモジャは上体を起こして辺りをキョロキョロと見回しました。そして私を見ると驚いた様子でそばに落ちていた戦斧を握り締めました。


 お野菜を傷付けないように繊細に、かつ怒りを込めて魔力弾を戦斧に叩き込み、それを遠くへ弾き飛ばしました。


「敵対行動を感知しました。両手を頭の後ろで組んで跪きなさい」


 私は戦闘目的に作られた魔導人形ではないので、不審者といっても流石に問答無用で殺傷するのは憚られます。特にマックスが意外と良い人だったので、このヒゲモジャも意外に悪くない人なのかも知れませんし。なので取り敢えず警告のみに留めます。


「ま、待ってくれ! 何が何だか分からんが、儂は嬢ちゃんに危害は加えん!」


 慌てながらもちゃんと指示通りの姿勢を取りました。見た目の割に素直なヒゲモジャのようです。


「すでに畑を荒らすという危害を加えています」


「す、すまんかった!」


 ヒゲモジャは転げるように畑から出てきました。短い体躯に不釣り合いなほど厚い体は鈍色の鎧に包まれ、そこから伸びる四肢は丸太のように太く、とても強い力を湛えているようでした。それでもバタバタと慌てるさまは滑稽で可愛いらしさを感じさせました。


 ちょっとだけホッコリとしてしまいましたが、気を引き締めて誰何します。


「で、あなたは何者ですか」


「儂はドルトムントという。嬢ちゃんは?」


 筋肉ダルマのようなヒゲモジャは、魔力弾を撃たれた直後とは思えないような、柔らく微笑みながら問い掛けてきました。


「私は、私の名前はアーデルハイドです」


 何だか悪くない気分で私の宝物である名前を告げました。


 その大切な名を名乗る時には、誇らしさともに授けてくださったお父様への敬愛と寂寥、名を継がせていただいたアーディ様に対する少しの心苦しさを覚えずにはおれず、とてもとても沢山の想いを載せて、その名を告げるのです。


 それはドルトムントには関係がないこと。それでも彼はその名を受け取って、嬉しそうに顔をほころばせました。


 私もちょっと嬉しくなって、悪くない人かもと警戒度を下げました。


「ああっ、嬢ちゃんがアーデルハイドか! 儂はマックスの仲間の一人じゃ」


「マックスの仲間?」


 マックスとはあまりにタイプが違うというか、そもそも人種が違うようですし、本当かなと思いながら改めてドルトムントの姿を見分しました。


 落ち着いて見ればマックスの時のようにヒゲモジャに茶色い精霊が纏わり付いています。大地の精霊でしょう。精霊に好かれやすいという点ではマックスと同類なのでしょうか。


「そうじゃよ」


「マックスは一緒ではないのですか?」


 居ないのは分かっていますが、来てくれたらいいなという期待を込めて聞いてみます。約束通りタンポポコーヒーも用意いたしましたし。


「さっきまで一緒に居たんじゃが。そう言えばなんで儂はこんな所にいるんじゃ?

 儂、地震でできた地割れに落ちたんじゃが、ここは地の底かの?」


 ドルトムントはヒゲを擦りながら見上げますが、そこには秋晴れの青い空が広がっていますから、どう見ても地の底ではありません。


「そんな訳無いでしょう。ここはダーゼン様のお屋敷です。全くあなた達はお屋敷を訪問する際のマナーは無いのですか」


 本当はもうそんなに怒ってませんが、マックスが来ていない淋しさを誤魔化すように言ってしまいました。


「そんなこと言われてものう。儂、地割れに落ちただけじゃし」


 ドルトムントが首を傾げますが、ヒゲモジャのずんぐりむっくりなオジサンなのに、ちょっとだけ愛嬌があるのが癪に障ります。


 そういうのはアーディ様にしてほしいのです。


「確かに地震はありましたし、その時に時空震を感知しましたから、時空の綻びからまろび出たのかも知れませんが、私のお野菜が…」


「す、すまんって。そうじゃ、代わりに儂の打ったナイフをやろう」


「要りません」


 ナイフや包丁はお屋敷にちゃんとありますし。


「ええ? 自慢じゃないが、儂の打った刃物は結構人気なんじゃぞ?」


「あまり使いませんし、刃物は事足りています」


「そう言われても、荷物の大半はマックスのマジックバッグじゃし、行動食のショートブレッドと飴くらいしか無いんじゃが…」


「それで良いです」


 ヒゲモジャの癖に甘い物を携行しているとは中々見どころがあります。さすがマックスの仲間ですね。


「えっ、そうかの? 仲間が作ってくれた物なんじゃが」


「マックスが作ったのですか?」


 何だかマックスだったらエプロンを付けて嬉しそうにパンケーキとか焼きそうです。


「いや、神官の女性じゃよ」


 そう言ってウエストバッグから小袋を取り出し、私に差し出しました。行動食として携行している量なので、あまり多くはないようです。それでも皆様にお供えするには十分な量です。


 甘いお菓子を口にして、顔を綻ばすアーディ様を想像するとワクワクして魔力炉がポカポカしてきました。


「全部貰っては非常食に困るのではないですか?」


「まあ、そん時はそん時じゃ。いざとなったら適当に魔物でも狩って焼いて食うからええ」


「そうなのですね。ではこれは補償として受領します」


 清算が終わったので、ドルトムントをお客様2号として扱っても良いでしょう。




〈あとがき〉

 いつもアーデルハイドを見守ってくださっている皆様、ありがとうございます。

 いつもハートを付けてくださるお方、いつもとても嬉しくて心がフワフワします。

 星を付けてくださったお方、PVか少なくて星を付けてもらえると思っていなかったので、とても驚いてとても嬉しく思いました。

 皆様に心からの感謝を。

 皆様の日々が暖かく実り多きものであることをお祈りいたします。

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