皆様にご挨拶を

 前日の吹雪が嘘のような青空が美しく、とても空気が澄んでいます。


 吹雪は結界で堰き止められますが、それなりに雪は中にも降り積もっています。


 結界は人避けや魔物避けの他に、一定以上の速度の物の侵入を拒絶する作用があるので、吹雪や竜巻などはブロックされますが、普通の雪や雨は結界内にも降るようになっています。そうじゃないとカサカサになって草木も枯れてしまいますからね。


 いつものように井戸から水を汲んで、薪の節約のため魔力でお湯を沸かします。


 そしてお父様の定位置であるロッキングチェアを拭き、サイドテーブルの写真の前に温かいハーブティをコトリと置きます。


 私は結局一度も皆様にお茶を入れて差し上げることができませんでした。それがとても残念です。是非いつかお父様がお目覚めになられたら…いえ、お休みをお邪魔するのは良くありませんね。


 毎朝ハーブティを入れるのは、私の無念さからなのか、お父様の死を未だに受け入れられないからなのか、それとも私の中のアーディ様の欠片へ朝のお茶をサーブしているのか、私自身にも分かりません。


 魔導人形は高性能なので、命令されていなくても自発的にご奉仕することができてしまうのです。


 ただの機械人形やゴーレムとは違うのです。


 アーデルハイドは少し壊れているので、色々なことを考えてしまいます。アーディ様の欠片の影響なのかもしれません。


 待機・休止状態になればそんな雑多な思考に惑わされずに済みますが、お墓や屋敷の管理はしっかりしたいので、毎朝ハーブティを淹れたり時々野菜スープを作ったりし、後は掃除をしたらぼんやり写真を眺めて過ごします。


 ヒルダ様はどんな方なのでしょうか。


 ハーブティはお好きでしょうか。


 奥様のお世話はどんな感じなのでしょう。


 お父様と奥様でパーティーに出席されたりするのでしょうか。きっとその時は私は張り切ってお支度をお手伝いするのです。


『ヒルダ様、この若草色のドレスが春の装いによろしいのでは?』


『あら、それは私には若過ぎるわ』


『いいえ、若々しくお美しいヒルダ様にとてもお似合いですよ』


『アーディも一緒に行く!』


『あらあら』


『アーディ様は、私とお留守番をしていましょう。今日はお二人の結婚記念日ですから、今日くらいは二人きりでデートしてきてほしいとおっしゃったのはアーディ様ではありませんか』


『そうだけど…』


『まあ! アーディったら甘えん坊ね。じゃあ皆で行きましょうか』


『わーい』


 なんてやりとりがあったりして。このシミュレーションは、ちょっとアーディ様の設定が幼すぎたかもしれません。


 妄想みたいなシミュレーションをするなんて、魔導人形としてやはり少しおかしいのだと思います。けれど、そうすると少し魔力炉が温かくなるので、考えるだけでも少し幸せになれる気がするのです。


 私がお作りした料理を皆様が食べてくださったら、さぞかし幸せなことでしょう。


 小さなアーディ様はきっと人参やピーマンがお嫌いなのです。


 そしてヒルダ様はちゃんと食べなさいとおっしゃって、アーディ様を溺愛するお父様はまあ良いじゃないかとおっしゃり、ヒルダ様にあなたは甘やかしてばかりと小言を言われるのです。


 そして私はハンバーグに入れてみたりキャロットケーキを作ったりして何とかアーディ様に美味しく食べていただくべく試行錯誤するのです。


 そしてそれをお召し上がりになったアーディがついに、


『美味しい!』


 と、満面の笑顔でおっしゃり、お父様もヒルダ様も笑顔になるのです。


 なんてなんて楽しそうで幸せそうなのでしょう。


 お父様がもっと早く私を作ってくだされば良かったのにと考えてしまうのは、とても不敬ですし魔導人形として間違っているのは分かっています。


 それでも幸せになれと言われると、魔導人形としてはマスターのご家族にご奉仕するのが幸せなので、そのように考えてしまうのです。


 でもアトリエを整理していて見つけたお父様の手記を読んで、私は知っているのです。


 ご一家が幸せなままであったら、お父様は私を作ろうなんて、ましてアーデルハイドと名付けることなんて有り得ないということを。


「ハックション!」


 もう、全くデリカシーのない客人です。


 アンニュイに物思いに耽るのを邪魔されてしまいました。この後の思考は悲しくなるだけでしたでしょうから、まあ許して差し上げます。


 お湯を沸かすついでに作っておいた野菜スープを持って倉庫へと向かいます。アーディ様が嫌いそうなピーマンと人参が沢山入っているのはたまたまです。


 倉庫に入るとワンコが鼻水を垂らしていました。


 湯気の立つ手鍋を見て涎まで垂らし始めました。まるで尻尾を振っているかのようです。


「おはようございます。お目覚めは如何ですか、お客様」


「おはようございます! とっても寒いです」


 とても正直なお客様です。普通は泊めていただいて助かりましたとか、清々しい目覚めですとか言うと思うものです。


「それは申し訳ありません。では温かい野菜スープなど如何ですか」


「ありがとうございます。是非ご相伴にあずかれれば」


「どうぞ、お召し上がりください。ご相伴はいたしませんが」


「あれ、アーデルハイドちゃんはもう食べたの?」


 ワンコのマックスに丁寧な応対は長く続けられなかったようです。おもてなししてる感があってとても良かったのに。


「私は食事をしませんので」


「えっ? 虐待…、じょ、冗談です!」


 マックスの足元に魔力弾が炸裂しました。


「はー、あったかいー」


 やはりお客様が嬉しそうにしてくれるのは、魔力炉がポカポカしてとても良いです。たぶん気分が良いというやつです。


「うふふ、おかわりもありますよ。たんとお食べなさいな」


 仮想ヒルダ様風に言ってみました。


「特にこの人参が美味しいね!」


 むっ、マックスは人参が苦手ではなかったようです。結構大人なのですね。


「ふぅ、生き返るー」


「えっ、生き返るのですか! この野菜スープを飲んでいただいたら、お父様達も生き返りますか!?」


 どういうことですか! この野菜スープにそんな神話級の効果が発生しているのですか!?


「いやいや、ものの例えだから! 生き返らないから!」


「そうですよね…」


 魔力炉が冷えて、しゅーんとなります。


「え、え、どういうこと? 生き返るって? 寝てるんじゃないの?」


 魔導人形の私にだって答えたくない、口にしたくないことはあるのです。無視です無視です。プーンです。


「では、ご挨拶に伺いましょう」


「う、うん」


 倉庫からシャベルを取り出して雪掻きをしながら小道を進みます。マックスが代わろうとしますが、これは私のとても大事なお仕事なので渡すわけにはまいりません。


 どうでも良い場所なら、雪など魔法で吹き飛ばしてしまいますが、ここは重要ポイントですからそんなガサツなことはできません。散らかりますしね。溶かすと後で凍ってツルツルになってしまいますし。


 そして三つ並んだ石の前までやってきました。


 石の周りも雪をどけて綺麗にします。


 マックスは何かを察したようで、手伝うでもなく無言でそれを見守ります。


「こちらが、お父様のダーゼン様、奥様のヒルダ様、お嬢様のアーデルハイド様です。どうぞご挨拶を」


「アーデルハイド様…?」


 マックスは跪きながらも私の紹介に怪訝な表情で、石に刻まれた文字を確認しています。


「お父様、ヒルダ様、アーディ様。こちらは吹雪で遭難していたところを保護したマックスです」


 マックスが中々なのらないので、私からご紹介いたします。


「マックスです。この度は危ないところをアーデルハイドさんに助けていただきました。皆様のご許可を得ずに一夜の間借りをさせていただきましたこと、お詫び申し上げます」


 良いです、とても良いですよ、マックス。とてもお客様しています。


 マックスは皆様の方を見たまま言います。


「アーデルハイドちゃん、皆さんはお亡くなりになって長いのかい?」


「お休みになられて、です。ヒルダ様とアーディ様はいつ頃か分かりかねますが、お父様がお休みになられて10年が経ちます」


「10年…長いね。その間、アーデルハイドちゃんは一人?」


 マックスはこちらを振り向きません。今は私も顔を見られたくないので、その方が良いです。


「一人じゃないです! こちらに皆様いらっしゃいます!」


「そうか、家族の死を受け入れられないんだね」


「死とか言うな!」


「アーデルハイドちゃん…」


「お父様は、お父様はいつか目を覚ましてくださるんです! アーデルハイド、よく頑張ったねって言ってくださるんです!」


「アーデルハイドちゃん、人は生き返らない」


 アーディ様は私の中に少しだけ帰ってきてくださった!


「これ、墓石なんだろう?」


「墓石なんて言わないで! これはネームプレートなんです!」


「アーデルハイドちゃん、ちゃんと現実を受け入れないと前に進めないよ」


「前ってなんですか、前なんて進まなくていいんです」


 アーデルハイドは魔導人形なんです。前に進むとか意味がわからないし必要があるとも思えません。


「そもそも、アーデルハイドの墓があるのはどういうことなの? アーデルハイドちゃんは何者なの?」


「そんなことあなたに教える義理はありません」


 マックスはまだ振り返らない。


「確かにそれはそうだ。確かにそんな義理はないね。でもね、アーデルハイドちゃん」


 マックスは跪いたまま振り返る。自然と私と同じ目線になる。マックスの青い瞳が、私の無機質な瞳を覗き込む。


 マックスの瞳に映る私はどんな表情をしているの? 人形らしい無表情? 私の思考回路は千々に乱れる。


「俺は、ちょっと荒っぽくて攻撃的だけど、とても優しくて、凄く家族思いで、家族を心から愛している、そんなアーデルハイドちゃんが気に入ったんだ。

 だからアーデルハイドちゃんが蔑ろにされるのは気に食わない。それがアーデルハイドちゃんの家族でも、アーデルハイドちゃん自身であっても」


 私が私を蔑ろにする? 全然分からない


 家族? 私の家族? ダーゼン様はお父様だけど、私の家族なの? アーディ様はもう私の一部だけど、アーディ様も家族なの?


 家族ってなに?


 マスターの家族は私の家族ではなくて、使える対象でしょう?


「蔑ろになんてされてない!

 それに、ご一家は私の一番大事なものだけど、私の家族じゃない…私はダーゼン様の家族の一員なんかじゃないもの」


「そうなの? 事情が分からない俺にはそれが本当かどうか分からない」


 マックスはジッと私の目を見てくる。私は目を逸らしたくなるけど、マックスがそれを許さない。


 マックスの手がそっと私の頬に触れた。


「そんなに泣くくらい大事なんだね。大事すぎて、居なくなったのが辛すぎて受け入れられない」


「泣いてなんかないのです。そんな機能はアーデルハイドにはないのです」


「泣いてるよ」


「うー」


 目が熱いのです。目から眼球保護用の潤滑液が零れているのです。


「アーデルハイドちゃんにとって、そんなに大事な人達だったなら、その人達もアーデルハイドちゃんがとても大事だったんじゃない?」


「そんなの、分からないです!

 だって、だって、お父様は、アーデルハイドって二回しか言ってくれなかった! 最後のアーデルハイドも私のことかアーデルハイドお嬢様のことかも分からなかったもの!」


「えっ、酷くない?」


「お父様を悪く言うな!」


 もう思考回路が滅茶苦茶です。喉が勝手にワアワア言ってるし、目から潤滑液がダクダクと流れています。頭がグルグルしてきました。


「わーん、お父様ー! アーデルハイドは、アーデルハイドは、もっとお父様に名前、呼んで、欲しかった…」


 マックスが私を抱きしめて、背中をポンポンしてきます。マックスの癖に生意気です。それ、私がアーディ様にしてあげたかったやつです。ズルイです。

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