魔導人形は見守り続ける
私は万が一お父様がお目覚めになられたときのために、食材の続く限り毎日スープを作りました。
そしてそれをお三人の墓前に供えます。
しかしやがて少ない食材は底をつき、たむける小さな花もなくなってしまう頃、この丘にも春が訪れました。
私は畑を耕し、納屋に残っていた野菜の種を少し蒔き水をやります。
そして沢山の花を咲かせるため、やはり納屋に残っていた様々な種類の種を蒔きました。
やがて芽が出てすくすくと茎を伸ばし、夏には沢山の小さな花が咲きました。
秋に野菜が収穫できると、野菜だけの粗末なスープを作っては墓前に供えます。
冬になると雪掻きをし、プランターの花を摘んでまた墓前に供えます。
そんな変わらぬ日々が、幾日も幾ヶ月も幾年も過ぎていきました。
アーデルハイドは魔導人形です。魔導人形は記憶を忘却することも色褪せることもありません。
毎日お墓と畑の世話をして、あとはずっと家族写真を眺めて過ごしました。
アーデルハイドの記憶が色褪せなくても、お写真は少しずつ色褪せていきました。
そして異変は訪れました。
それは雪深い冬の日のこと。
その丘は見通しの良い灌木が疎らにある草原に囲まれていました。
だから、遠くに人影を見ることは何度もありました。しかしここを訪れる人は一人もいませんでした。
それはここが偉大な錬金術師の家であり、人避け魔物避けの結界が設置されているので、至極当然のことでした。
しかし異変は訪れました。
アーデルハイドは驚きます。だってそんなこと今まで一度もありませんでしたから。
辺りは雪で覆われ、道がどこなのかも分からくなるような雪深い吹雪の夜でした。
スノーウルフの遠吠えが聞こえました。
そして小さな金属音、スノーウルフの唸り声、悲鳴が微かに聞こえてきます。
それでもアーデルハイドは気にしません。
だってここには結界が張られていますから。
そして変わらず写真立てを見つめていると、警告音が響きました。
それは結界が侵入者を警告する音。
私は急いで外に飛び出しました。ご家族の眠りを妨げるものをアーデルハイドは許しはしません。
「うわっ! な、なんだ、ここ? ここだけ吹雪いてない!」
そこには雪に埋まった花畑を踏み荒らす、血まみれの男性が立っていました。
私にとっての聖域を踏み荒らす穢れた男性に、私の魔力炉は不快な軋みを上げます。
「誰だ! 子供?」
アーディ風に言うと、私はイラッとしました。魔導人形がそう言うのもおかしなものですが。
男性の手にある血まみれの剣を魔力弾で弾き飛ばして告げます。
「あなたこそ誰ですか」
「うわっ! 何するんだ!」
男性は慌てて剣を拾います。
「早く家に入れ! スノーウルフが来るぞ!」
「そんなもの来ません」
スノーウルフごときに破れる結界ではないのです。そしてこの男性にも破れるはずはないのですが。後で結界のメンテナンスが必要です。
「いや、いるんだって! ほらそこに! ってあれ?」
結界は認識阻害が掛かっているので、男性を見失ったスノーウルフとっくに立ち去っています。
「あなたも早々に立ち去ってください。迷惑です」
「ひ、酷いこと言うね… まあこんな所に住んでたら警戒するのも当然か」
アーディ風に言うとゴチャゴチャうるさい、早く帰れです。
再びイラッとした私は、警告に彼の足元に魔力弾を撃ちます。ボコッと雪が舞い、しまった花畑が傷むと私は反省します。
「わっ、待った待った! 俺、悪い人間じゃないよ!」
男性は剣をしまって両手を上げます。
「駄目です。なっていません。敵意のないことを示したいのなら、剣は捨てるべきです」
こんなところで剣がなくなると生きて帰れないとか、雪に落とすと錆びそうとか考えているのでしょうけど、考えが甘いと言わざるを得ません。
次は頭を吹き飛ばすとばかりに指先を男性の顔に向けます。
「ご、ごめん! 外す、外すから!」
男性は剣帯を外して雪の上にそっと置きます。余程錆びるのが嫌なのでしょう。しかもすぐ取れるように足元に置くところが小癪です。
私は魔力弾で剣帯ごと剣をふっ飛ばしました。男性は「俺の剣がぁ」とか泣きそうな声を上げていますが無視です。
「そう言うなら遠くに捨てるべきです。あなたの行動は私に危害を加えることを想定しています」
「ソ、ソウダネ…ごめんなさい」
青い顔を引き攣らせる男性は怯えているようで、脅威度は低いと考えられます。
「私の花畑を踏み荒らしたことは仕方ないと許してあげます。早々に立ち去りなさい」
「そ、そう言わないで! こんな吹雪じゃ遭難しちゃうよ。というか吹雪のせいで仲間とはぐれて遭難してたんだし! 荷物だってさっきの騒動で落としちゃったし!」
確かにこの雪の中を徒歩で進むには装備が足りないようです。
「知りません。私からすれば単なる不審者です」
「くっ、女の子が不審な男に警戒を解かないなんて、親の教育がしっかりしている!」
ふふん、お父様を褒められるのは悪い気がしませんね。
「ふふふ、あなたよく分かっているではありませんか」
「えっ? も、もしかして…」
「なんですか?」
「いや、小さなお嬢さんをこんなにしっかりした子に育てるなんて、さぞかし立派な御仁なのだろうね!」
「うふふ、そうなのです! とても立派で聡明でなお父様なのです!」
何だか魔力炉がポカポカしてきました。
「凄いなぁ、尊敬しちゃうなぁ」
「そうでしょうそうでしょう」
体中に魔力がポカポカ漲ります!
「そんな立派なお方に是非ご挨拶したいなぁ」
「むっ、ご挨拶ですか?」
「うんうん、ご挨拶! ご挨拶するだけ!」
いつの間にか男性は私と目線を合わせるように身を屈めており、祈るような仕草をしている。
「うーん、でも…」
「お願い!」
小首を傾げて上目遣いをする血塗れの男性を見て、私のポカポカはすっと冷めます。イラッとくるというやつです。
「その仕草をやめなさい」
「ご、ごめん!」
「ご挨拶するには、あなたは不潔すぎます」
「お、お風呂とか貸してくれたら…」
「駄目です」
家に入れるなんて問題外です。屋敷自体には敷地全体より更に強い結界が敷かれています。
「お湯か薪だけでも…」
お湯か薪。私は薪は使いませんが、その代わり補充もしていません。薪もマスターの財産の一部ですが、この男性に与えても良いのでしょうか。
お湯はマスターの真似をして暖炉で沸かしていましたが、私は魔力で温めることもできます。魔力でお湯を作る分には与えても良いかもしれません。
「薪はあげられませんが、お湯なら用意しても良いです」
「ありがとう! 冬の薪は貴重だもんね! それで体を拭いたら挨拶させてくれる?」
「むー、まあ良いでしょう」
「やったー! 俺、マクシミリアン! マックスって呼んで」
「マック、ステイ」
近寄ってこようとする男性を立ち止まらせます。こんな不審者マックで十分です。
「犬か! マックス!」
「これ以上庭を荒らしたら叩き出しますよ」
マックをステイさせ、私は家の中に戻り、大きな桶をお湯で満たし、渋々ながらタオルも用意します。血で汚されると落ちにくいのです。
外に戻ると、マックは良い子でステイしていました。剣帯も拾わずに我慢したようです。
「ほらマック、お湯ですよー」
「わんわん!」
大分躾ができてきたようです。流石に雪の中ではお湯もすぐに冷めますし、体を拭くのも辛いかもしれません。
雪に残された足跡は増えておらず、良い子にしていたようなので、納屋というか倉庫になっている小屋にマックを入れます。
「仕方なくこの中に立ち入ることを許可しますが、中のものには一切触れないように」
ここには大事なお花の種や小麦・野菜の種が仕舞われているのです。
「はい、触りません! ところでお嬢様のお名前は?」
「お嬢様はアーデルハイド様です」
「素敵な名前だね!」
「そうでしょうそうでしょう。このタオルで体を拭いて良いですよ」
お嬢様はとても可愛らしく、とても優しく素敵な方なのです。仕方ないのでタオルも貸してあげましょう。
「ありがとう。あの、見てられると恥ずかしいんですけど」
「見張っていないと荒らされたら困ります」
「そうですね、アーデルハイドちゃんはしっかりしてるなぁ」
むっ、何故私の名を知っているのです。もしやお嬢様の名前ではなくて私の名前が知りたかったのでしょうか。なんだか魔力炉がモヤモヤします。
マックは服を脱いで体を拭き始めました。
中々良い体付きをしています。そこそこの剣士なのでしょう。体には大きな傷もないようでした。
大体拭き終わったのを見て、桶の中にマックの服を放り込みます。
「ああ、それしか服ないのに! 凍死しちゃうよ!」
むっ、人間は耐寒性能が低すぎます。
「しかし、こんな血塗れで汚れた服ではご挨拶できません」
「じゃあ、何か着るもの貸して」
えー、マスター服を貸すなんて嫌です。嫌すぎます。まだ毛布を貸す方がマシなので、取ってきてマックに被せます。
毛布を濡らしそうなので仕方なく私が汚い衣類を洗います。触りたくないので魔力で水を操作して汚れを落としていきます。
お湯で洗ったのが良かったのか、すっかり血の汚れは落ちて綺麗になりました。
「さあ、マック。それを持ってそこに立ちなさい」
「えっ、うん」
絞った衣類を広げて持つマックに向かって熱風を浴びせます。
「うわわわ」
待機命令中はもちろん、稼働中もそれどころではなくて使いませんでしたが、この魔法でお部屋を温めてさしあげたかったです。
すぐに衣類は乾燥しましたが、熱風に晒されて変な顔をしているマックが興味深く、長目に温風を当て続けました。すると淡い緑色の小さな光の玉がフワフワと踊ります。
小さな光は精霊の光。風の精霊が遊んでいると思って喜んでいるようです。
ここの敷地は龍穴の上にあり、結界にもその魔力が流用されています。そして龍穴のような魔力濃度の高い場所を精霊は好むため、時折こうして小さな光として目にすることがあるのです。特にお墓のある辺りにはよく精霊が舞っています。
「も、もう乾いてるから!」
「気付きましたか」
熱風を止めると精霊はマックの肩にとまりました。精霊が人に触れるなんて珍しいこともあるものです。
マックは精霊に気付いていないようです。普通の人には精霊を認識することができませんからね。
「わざとか!」
「あなたは怒鳴ってばかりです。もう少し静かにしてください。皆様はお休み中なのです」
ご一家の眠りを妨げる者は排除します。
「あっそうなんだ、ごめんね」
叫んでいたのが恥ずかしいのか、パンツ一枚の姿が恥ずかしくなったのか、顔を赤くしていそいそと服を着始めました。
「お休み中ならご挨拶は明日の方が良いかな」
「いえ、明日でも同じですので、早くご挨拶をして立ち去ってください」
「あの、吹雪が止むまでこの倉庫に居させてくれないかな。さっきの魔法でここは温かいし」
むっ、それでは私が魔法を使ってまでマックを饗していることになってしまうのでは。
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