魔導人形はマスターの眠りを妨げない

 マスターが覚めることのない眠りについた後、私は家の中と周囲を確認して回りました。


 私に対する最後のご命令は、『自由に生きて、幸せになる』


 それはとてもとても難しいご命令です。


 自由とは何でしょうか。


 幸せとは何でしょうか。


 魔導人形の存在意義はマスターをお助けすることです。存在意義を満たせないのに幸せになるとは、どうように行動するべきなのでしょうか。


 マスターはもう教えて下さいません。


 アーディも何も教えてくれません。


 それまでは注意を払っていなかった所に、写真立てが飾られているのを見つけました。そこにはプランターに植えられた小さな花が揺れていました。

 

 それはマスターのお気に入りのロッキングチェアからよく見える位置。そして私の待機場所からは死角になる位置。


 そしてそこはマスターがいつもぼんやり眺めていた場所。


 その写真は中年の夫婦と女の子の家族写真のようでした。


 その写真の中で、三人はとても幸せそうに笑っています。


 マスターは写真よりずっとお年を召していらっしゃいますが、この男性がマスターであることは分かりました。


 すると女性は奥様のヒルダ様、女の子はお嬢様のアーデルハイド様。


 いつもマスターは写真のお嬢様にアーディと呼び掛けていらっしゃったのですね。


 私は写真立てを綺麗に拭き上げると、元の場所に戻します。


 家の中を一通り確認すると、外に出て周囲を確認することにしました。


 外は一面雪景色で、庭にも屋根にも雪が厚く積もっています。柱にある魔力センサーに触れると、屋根が小さく震え、ドサリドサリと雪が落ちていきます。


 家は小さな丘の上にポツンと建っていました。


 その姿は一人ぼっちだったマスターの姿のようでした。


 丘の上はそれなりの広さがあり、小さな畑があったりポンプ式の井戸もありました。


 そして少し家から離れた日当たりの良いところに、小さな盛り土を見つけました。そこへ向かう小道とその辺りだけ雪が少なくなっています。


 盛り土の辺りに近づいてみると、大きめの石が2つと、それより少し小ぶりな石が一つ置いてありました。


 石の雪を払ってみると、大きな石にヒルダ様のお名前があり、小さな石にアーデルハイド様のお名前を見つけました。


 そして最後の大きな石には、マスターのお名前であるダーゼンの文字が刻まれています。


 恐らくここに自分を埋葬してほしいということなのでしょう。


 アーデルハイドは魔導人形、マスターの意思を体現するもの。そのご意思を尊重しなければなりません。


 しかし、私は判断に確証が持てません。


 アーディの一部が私の中で目覚めたように、少しだけでもマスターが再び目覚めてくださるのではないかと、そう考えてしまうのです。


 魔導人形の知識はそんなことはありえないと告げています。


 しかしアーディが少し混ざったアーデルハイドは違います。もしかしたら少し混ざった分、少し壊れているのかもしれません。


 魔導人形はありえないと考えても、アーデルハイドはそうあってほしいと願うのです。


 アーディお嬢様なら安らかに眠らせてあげてとおっしゃるでしょう。


 でも、でも、私、アーデルハイドは…!


 アーデルハイドもお父様と同じなのです。


 悲しくて淋しくて辛くて、ほんの少しでいいから大事なお方が目を覚ましてくれることを願ってしまうのです。


 そして、もう一度、もう一度だけ『アーデルハイド』と呼んでいただきたいと、そう願ってしまうのです。


 そしてもし叶うなら、一緒に眠ることを許して頂きたいのです。


 私は魔導人形です。


 決して眠ることも忘れることもありません。


 私はずっと一人で、この冷たい魔力炉の軋みに耐えていかねばならないのです。


 魔導人形が悲しいなんて、淋しいだなんて


 そんなのはとてもとてもおかしな事です。


 私は少し壊れてしまっているのです。


 魔導人形はあるがまま。


 何も感じず、何も望まず、何も願いません。


 なのに、どうして私は願ってしまうのでしょうか。


 なのに、どうして私は辛いなんて思ってしまうのでしょうか。


 雪を払ったお二人の墓石には、小さな萎びた花がたむけられています。


 マスターが毎日通い、そこだけ雪の少なくなった小道。


 花の咲かない冬にも、たむけられた小さな花。


 どうしてでしょう。私の魔力炉が軋みを上げます。


 私は魔導人形、マスターのご意思を叶える者です。


 私はマスターにご家族の隣でお眠りいただくことにしました。


 部屋に戻るとマスターには暖炉の側で温かくして頂きたいという気持ちを抑え、冷たくなり始めたマスターをベッドに横たえました。


 そして濡らしたタオルでお体をお拭きします。


 綺麗になったマスターに、新しい衣服をお着せし身支度を整えました。そして手を組むようにして、そっとお腹の上に載せました。


「寝所のご用意をいたしますので、マスターはごゆっくりしていてください」


 家の中には私を作り上げたアトリエがあり、そこには魔石や様々な素材が残されています。


 私はマスターがお眠りいただく特別なベッドを作り始めました。


 木材で大きな木箱をつくり、マスターが寒くないように、少しでも寝心地が良いように余っていた布団を分解して箱の内張りにします。


 アトリエには魔力回路を作るための素材も道具も残されています。


 少し壊れている私は迷います。


 もしまたお目覚めいただけるなら、お体を綺麗に保つために冷却機能を付けたかったのです。


 でも魔導人形は迷いません。


 迷ってしまう私がおかしいのです。


 結局その木箱には冷却機能をつけることはしませんでした。


 私はマスターを木箱の中に横たえます。


「狭いところで申し訳ありません、お父様。すぐにご家族のところへお連れいたします」


 マスターにはマスターと呼ぶなとご命令されています。でもマスターというのは、魔導人形にとってとてもとても親愛と尊敬の籠もった呼称なのです。心の中ではマスターとお呼びすることをお許しください。


 魔導人形は人間よりも力が強い。マスターが眠る箱も私には重く感じません。お眠りを妨げないように、なるべく静かに丁寧にお運びします。


 ダーゼン様のお名前が刻まれた石の前は既に箱を埋められるように掘り下げてあります。


 あまり深くしてしまうと、もしお目覚めになったときに出てこられないからと、つい浅くしてしまいそうになる自分を諫めながら、少しずつ深く掘っていきました。


 その穴にマスターの入った箱を横たえます。


 箱の中のマスターの頬を優しく撫で、その額におやすみなさいのキスを落とします。


「お父様、おやすみなさい。ヒルダ様とアーデルハイド様と、いつまでも安らかにお幸せにお暮らしください」


 プランターから摘んできた小さな花を一輪、マスターの手に添えます。


 そして、嫌だ嫌だ、悲しい、淋しい、辛いと悲鳴を上げるアーデルハイドを、そんな思考は私の回路に存在するはずがないと見ないようにして、アーディにもらったできる限りの笑顔で、マスターをご家族の元へと送り出すのです。


 蓋をした箱に、少しずつ、少しずつ土を被せていきます。


 やがてすっかり土が被さり、もうマスターの面影を見ることもできなくなると、3人の石の前に同じ小さな花を供えました。


「神様、どうかお父様に、安らぎをお与えください。

 どうか、ヒルダ様、アーデルハイド様、ダーゼン様に、共にあることをお許しください。

 どうか、お三人に幸せなる時をお与えください」


 ああ、マスター


 ああ、お父様


 どうか、どうか私をお許しください。


 私にはどうしてもあなたの大事なお写真を一緒に埋葬することができませんでした。


 どうか、一人残る私に、この皆様の幸せな笑顔を見ることができる、この写真だけは手元に置くことをお許しください。


 どうしても、お眠りになる木箱を棺桶と言えず、どうしても、お名前の刻まれた石を墓石と呼べなかった、愚かな私をどうかお許しください。


 私はお父様の眠りを妨げたいとは思っていないのです。


 ただ、もう一度だけ名前を呼んでほしかった、それだけなのです。


 お父様、ヒルダ様、アーデルハイド様。


 ご安心してごゆっくりお休みください。


 皆様の安らぎを私がお守りいたします。


 この魔力炉が時を止めるまで、ずっと

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