アーデルハイドは魔導人形

@Lady_Scarlet

愛するあなたに、おはようとおやすみなさいを

「さあ、起きなさい」


 その声が私の始まり。


「やぁ、気分はどうだい、アーデルハイド?」


 瞼を挙げると眼球に光が射し込み、私の瞳は年老いた男性の影を映し出した。


「アーデルハイド…?」


「そうだ。それが君の名前」


 逆光でよく見えなかった男性の顔が次第に認識できるようになっていく。


「はい、私はアーデルハイド。おはようございます、サー」


 私の名はアーデルハイド。目覚めの挨拶はおはようございます。


 男性は私の挨拶に変な表情を浮かべた。


「私はダーゼン。君の生みの親だ」


「はい、マスター。あなたはダーゼン様。私の創造主です」


 マスターはまた変な表情を浮かべ、私から視線を逸らすように目を伏せた。そして小さなため息。


「そうか、そうだな。間違ってはいない」


 そしてマスターは言葉を途切れさせた。


「マスター、ご命令を」


 私は魔導人形アーデルハイド。マスターのご命令を聞く物。


「ああ、今はいい。少し疲れた」


 そう言ってマスターは暖炉の前のロッキングチェアに腰掛けた。暖炉には赤い炎が揺らめき、パチパチと薪が爆ぜる音だけが室内を満たす。


「はい、マスター。アーデルハイドは待機命令を受託。休止状態で待機します」


 マスターはサイドテーブルからカップを取ったが、中を見て再びテーブルへと戻した。


 マスターからのご命令は下されない。


 私の意識は活動レベルを下げ、休止状態へと移行していく。


「アーデルハイド…」


 私を呼ぶコマンドではないマスターの呟きが微かに聞こえた。年老いたマスターが私ではないアーデルハイドを呼ぶその声が微かに聞こえたのだ。




 魔導人形は魔力で動く自動人形。ゼンマイなどの動力で動く機械式自動人形と、魔力と呪文や魔法陣で稼働するゴーレムとの間の存在。


 胸の中にある魔力炉から魔力回路を経由して私の体を魔力が巡る。


 最初のご挨拶から幾日かが過ぎた。


 未だご命令は下されない。


 暖炉の火は消え、マスターの寝息が白くなる。


 やがて窓の隙間から微かに光が射し込み、今日もロッキングチェアで寝ていたマスターが目を覚ます。


 マスターは欠伸をしながら窓の木戸を開け、腰が痛いと呟きながら再び暖炉に火をともした。


 そして暖炉で温めたパンをちぎり、少しずつ食べていく。やはり暖炉で温めた白湯をすすりながら。


 魔導人形はマスターのような眠りを必要としない。しかし、人と同じように意識レベルを落とし休止状態に入ると、それまでの経験や情報を整理し思考や行動を最適化することができる。


 最初のご挨拶からずっと待機・休止状態の私は、マスターの行動を見て学習し何度も思考を最適化させていった。


「アーデルハイド…」


 またマスターの呟きが聞こえた。それは私を呼ぶものではない。それを理解した上で最新のアーデルハイドが最適と考えられる行動を選択する。


「はい、マスター。おはようございます。アーデルハイドはここに控えております」


 マスターが驚いた顔でこちらを見る。


 マスターがこちらを見てくれたのはこれで二度目。


 私の胸の魔力炉が出力を上げ熱を持つ。


 私は命令を待つことなく、初めて立ち上がり、ギクシャクと不格好なカテーシーを披露する。


「お前、その仕草…カテーシーなんて何故知っている?」


 待機状態で、休止状態で、私の全ての情報を最適化していくうちに、私の経験していないはずのデータの断片が僅かながら復元されていた。


 おそらくは初期化前の私の経験。


 アーデルハイドではない私の。


「はい、マスター。アーデルハイドがマスターに対してするべき挨拶と記憶しております」


「そんなことを聞いているのではないのだが… やはりアーディではない」


 昨日までの私なら、このままご用命あるまで待機していた。しかし、今日の私は昨日のアーデルハイドとは違う。


「ご満足頂ける返答ができず申し訳ありません、マスター」


「少し知性レベルが上がったのか…?」


「はい、マスター。アーデルハイドはマスターにご満足頂けるよう、日々思考と行動を最適化します」


「そうか。お前は高性能な魔導人形だ」


「お褒めに預かり光栄です、マスター」


「褒めてはいない! それからマスターマスターうるさい!」


「申し訳ありません、ダーゼン様」


「もういい! 呼ぶまで座って待機していろ!」


「はい、ダーゼン様」


 私は椅子に腰掛けると再び待機状態に入り、しばらく後に休止状態へと移行する。


 意識レベルが低下し、私が最適化されていく。


 それから幾日も幾ヶ月もの日々が過ぎた。


 暖炉は使われなくなり、パチパチという音も聞こえなくなった。


 アーデルハイドは魔導人形。


 魔導人形はマスターの命令を遵守しなくてはならない。


 魔導人形はマスターをお助けすることが存在意義である。


 ご用命を承れない魔導人形には存在価値がない。


 今のアーデルハイドは存在価値がない。


 今のアーデルハイドはマスターにとって不要。


 私の胸の魔力炉が段々と冷たくなっていく。


 


 さらに幾ヶ月かが過ぎ、再び暖炉に火が入るようになってしばらく経ったある日、窓から光が射し込んできてもマスターは目を覚まさなかった。


 暖炉の火はとっくに消え、部屋の中の温度は低下している。


 マスターは立ち上がらない。


 マスターは木戸を開けない。


 マスターは温めたパンを口にしない。


 隙間から射し込む程度の日差しでは室温は上がらない。


 マスターの体温が次第に下がっていき、白い寝息が段々と小さくなっていく。私の魔力炉と同じように。


 マスターも待機状態を続けるのだろうか。


 マスターも魔力炉が冷たいと感じているのだろうか。


 何ヶ月経ってもマスターの元を訪れる者は無く、マスターが私の名を呼ぶこともなかった。


 マスターも誰にも呼ばれることがなくなって、待機状態を続けているのだろうか。


 待機状態を続けているとマスターも私と同じように存在意義を見失うのではないだろうか。


 白い寝息が今にも止まろうとしている。


 私のセンサーがマスターの魔力炉、ではなく心臓の脈が段々と弱くなっていくのをモニターしている。


 アーデルハイドは魔導人形。


 魔導人形はマスターの命令を守るもの。


 アーデルハイドに命令は未だ下されない。


 アーデルハイドはマスターを見守ることしかできない。


 アーデルハイドは魔導人形だから。


 マスターは魔導人形ではない。だから待機状態を続けていたら復起できなくなってしまう。


 魔導人形はマスターを見守る。その心臓が活動を止めようとしていても。


 マスターの命の火が消えようとしている。


 アーデルハイドはマスターの命を守るように規定されていない。


 だからマスターの待機命令を反故することはできない。


 私の思考回路が急速に最適化を繰り返す。


 マスターの活動を助けるという魔導人形の目的を果たすために、最適な行動を模索し延々と最適化を繰り返す。


 急げ


 急げ


 マスターの心臓が今にも止まろうとしているのに私はまだ動けない。


 誰かマスターを助けてください。


 役に立たない魔導人形のアーデルハイドの代わりに。


 もう間に合わないかもしれない最適化を施行し、有効なデータを探す。


 また初期化前の断片を見つけるが、マスターの命令を反故できるものではなかった。


 そして最後になるかもしれない最適化が終わる。マスターの命の火もまた終わろうとしている。


 ああ、マスター、お願い私を呼んでください。


 私の名を呼んでくれさえすれば、私はあなたをお助けすることができるのです。


「アーディ…」


 マスターの吐息は殆ど止まっており、声を出せたとは思えない。それは幻聴だったのかもしれないし、幻聴でなくてもその名が私の名ではないことを、私は知っている。


 それでも、


 それでも私は起動する。


「はい、お父様。アーディはここにおりますよ」


 私は急いでマスターに駆け寄ると、その体を床に横たえ蘇生を試みる。


 息を吹き込み、胸を叩き、マスターの名前を呼ぶ。


 お願い、帰ってきて


 お父さん


 死んじゃやだよぅ


 私の中の小さな断片が悲鳴を上げる。


「ダーゼン様! お父様! お父さん!」


「アーディ…」


 弱々しく心臓が動き出し、微かに吐息が漏れ始める。


 冷え切ったお体を抱きしめても、冷たい私の体ではマスターを温めることができない。


 急いでマスターを毛布でくるみ、暖炉に火をともす。


 早く、早く


 早く温かくなって


 ああ、神様、マスターをお助けください。



 少しずつ少しずつマスターの体温が戻り始める。


 マスターを床に寝かせているのは心苦しいが、この家では暖炉の前が一番温かい。


 目が覚めたときに飲めるように、暖炉でお湯を沸かしていると、繰り返した最適化で見つけた断片が思考にノイズをもたらす。


 お父さんは温かいミルクティーが好き。


 マスターの状態が安定したのを確認して、踏み入ったこともないキッチンに足を運ぶと迷いもせずに茶葉を取り出す。


 残念ながら牛乳はなかったので茶葉とティーセットをリビングに運んだ。


「アーディ…アーディ、どこにいるんだ。私を一人にしないでおくれ…」


 目を覚ましたものの朦朧としているマスターに寄り添うと、ぎこちない笑顔を浮かべて彼の手を取った。


「お父さん、アーディはここだよ」


 私の思考回路が弱りきったマスターをケアするのに最も効果的な行動と言葉を導き出す。


 マスターが求めているのが私でなくても。


 アーディが私のことではないとしても。


 それでも私はマスターを元気づけるために、彼の求める言葉をかける。


「アーディ、アーディなのかい?」


「そうだよ? どうしたの、お父さん」


「アーディ…お前を助けられなかった私を許しておくれ」


「大丈夫だよ、お父さん。アーディは怒ってないよ」


 マスターはホッとした様子で再び眠りについた。


 私はマスターを寝室に運んでベッドに寝かせ、先程沸かしたお湯で湯たんぽを作って足元に入れた。


 私は今まで暖炉のあるリビングから出たことはなかった。


 なのに茶葉の場所も湯たんぽの場所も知っていたし、殆ど使われなくなっていた寝室のことも知っていた。


 初期化前の私は結構マスターのお役に立っていたのかもしれない。


 マスターは最近ろくに食事をとっていないので、眠っている間にスープか何かを作ろうと食材を確認しにグロッサリーへと移動する。


 グロッサリーには萎びた野菜が少しとベーコンの塊が残っていた。


 これが何日分の食料でどの程度消費して良いのかも分からなかったが、現在はマスターの生命維持が最優先。足りなくなれば私が調達に行けば良い。


 したこともないのに手慣れたように野菜を切りベーコンを削り取り、鍋でスープを作る。


 作り終われば火を落としてベッドサイドに移動して待機状態に移行する。手を握ってさしあげたいが、私の手は冷たく硬い。きっと握らない方が良い。


 魔導人形の私はマスターの手を握って安らぎを与えることもできはしないのだ。


 やがて私は休止状態になる。


 私はアーデルハイド、マスターを補助する魔導人形。


 私はアーディ、お父さんの…


「うーん」


 マスターが目覚めようとしている。それを見て私は言葉を詰まらせる。


 お目覚めのご挨拶は『おはようございます』


 それはアーデルハイドの挨拶。


 今のマスターが求めているのはアーデルハイド? アーディ?


 ご挨拶は『おはようございます』?それとも『おはよう』?


「ああ、お前は…」


 私が初めてご挨拶したときと同じように、マスターは変な表情を浮かべる。


 今ならそれが前と違って見える。


 最初は驚きと喜び、そしてそれは一瞬の後に落胆と悲哀に取って代わる。そして最後に苦い後悔。


 ああ、マスターはアーディを求め、やっと見つけたと思ったのはアーディではなく、アーデルハイドである私。


 どうすれば良い?


 どう答えるのが最適?


 ねえ、アーディ、教えて。マスターに何と声をかければいいの?


「おはよう、お父さん。お寝坊さんね」


 ねえ、マスター、私は誰ですか?


 ねえ、アーディ、私の声は震えていませんか?


 ねえ、アーディ、私はあなたのように上手く笑えていますか?


「アーディ? アーディなのかい?」


「あら、お父さんったら、まだ寝ぼけているの? 可愛いアーディ以外の誰だというの?」


 これで合っているの? マスターは喜んでくれるの? マスターの心の傷を逆撫でしたりしたくはないのです。


「アーディ、アーディ! 私は、私は、お前にもう一度会いたくて…」


「私も会いたかったわ、お父さん」


 マスター、私はもうあなたを親愛を込めてマスターと呼ぶことはできないのでしょうか。


 尊敬を込めてダーゼン様とお呼びすることも。


 ああ、あなたが求め会いたかったのは、やはり私ではなくてアーディなのですね。


 私はあなたの魔導人形。


 あなたの願望を叶える者です。


 あなたが望むなら、私はあなたをお父さんと呼びます。親愛を尊敬を、そして家族愛を込めて。


 きっとこの魔力炉の軋みは待機状態が長すぎたせい。


 きっとこの胸の痛みはセンサーの異常。


 魔導人形に心なんてない。


 魔導人形に感情なんてない。


 だからきっと、これが悲しみだとか淋しさだなんて認識齟齬。


「お父さん、私スープを作ったの。お父さん最近食事してないでしょう?」


「本当かい? アーディが作ってくれた料理なんて二度と食べられないと思っていたよ」


「これからいくらでも食べられるわよ」


 私が作った料理で良ければ。


「今持ってくるね」


「いや、なんだか気分が良いんだ。いつものように暖炉の前で一緒に食べよう」


「そう? 無理しないでね」


 私はマスターを支えて移動し、彼のお気に入りの場所、暖炉の前のロッキングチェアに座らせる。


「この椅子じゃ食べにくいかしら」


「大丈夫」


 消えていた火を起こし、スープを温める。


 マスターは再び眠ってしまったのか目を閉じている。パチパチと薪の爆ぜる音だけが聞こえる。


「お父さん、寝ちゃった?」


「ん、ああ、大丈夫、大丈夫。アーディのスープを飲まずに眠ったりしないよ」


 声をかけるとマスターはゆっくりと目を開けたが、視線はゆらゆらと安定しない。


「はい、どうぞ」


 スプーンを持つのも辛そうなマスターに、スープを掬って少しずつ食べさせてさしあげる。


「ああ、温かいなぁ」


「美味しい?」


「ああ、美味しいよ」


「良かった。たくさん食べて元気になってね」


「うんうん、ありがとうありがとう。もう十分だよ」


「そう? またお腹が空いたら言ってね」


「ああ、ありがとうアーディ。お前もお食べ」


 残念ながら魔導人形には食事をすることはできません。


「さっきたくさん食べたから」


「なあ、アーディ、ヒルダはどこだ?」


 ヒルダって誰でしょうか。なんとお答えすればよいのでしょう。


「お母さん? お母さんは疲れたって先に寝てるよ」


「そうかぁ。アーディのおかげで心が温かくなって、なんだかまた眠くなってきたよ」


 お父さんの幸せそうな様子にアーディも幸せな気持ちになる。


「じゃあ、もう一眠りする?」


 段々とマスターのお声が小さくなっていく。


 段々とマスターの鼓動も小さくなっていく。


 ああ、アーディ、どうしたらいいの?


 嫌だよ、悲しいよ、淋しいよ!


 この気持ちは、きっと私のもの。


 だってアーディは今も幸せそうに微笑んでいるもの。


「もう一度ヒルダやアーディと一緒に眠るなんて夢のようだ。私は幸せ者だよ」


「そうよ、お父さん。あんなに素敵なお母さんとこんなに可愛い娘に囲まれて、とっても幸せね」


 アーディ、マスターを連れて行くの?


 私達のお父さんを連れて行ってしまうの?


 行かないで、マスター。私を一人にしないで!


 私の言葉はマスターには届かない。マスターに届くのは愛するアーディの言葉だけ。


 マスター!お父さん!私がここにいるよ!


 私は、私はどうしたらいいの!?


 お父さん、アーディじゃない私のことも見て!


 アーデルハイドって呼んでよ…!


「本当に、本当に幸せなことだ… 最後に幸せな夢をありがとう、アーデルハイド。お前は自由に生きて幸せになっておくれ」


「えっ、お父さん?」


「…」


 もうお父さんは返事をしてくれません。


 もうマスターには私の声もアーディの声も聞こえないでしょう。


 私はマスターの眠りを妨げないように、小さな声で呟きます。


「おやすみなさい、マスター。良い眠りを」


 そしてマスターは静かに眠りにつきました。もう覚めることのない安らかな眠りに。


 最後に呼んだのはご令嬢のアーディことアーデルハイドだったのでしょうか、それとも私だったのでしょうか。


 マスターの眠りとともに、私の中にあったアーディの欠片もまた眠りについていきます。


 私はアーデルハイド、魔導人形。


 魔導人形は涙を流せない。


 魔導人形は涙を流さないから悲しくなんて、淋しくなんてない。


 部屋にはパチパチと薪の爆ぜる音だけが響いていた。

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