第29話



「うっス。兄貴」


 まだ登校完了時間の40分前。

 俺は机の上で野垂れ死んでるように顔を突っ伏してる兄貴の前にいき、椅子に座った。


「おう。今日は……早いんだな」


「うっス。たまには早く来てみたいなって思いまして……。そういえば、兄貴っえいつもこんな早く登校して何してるんスか? まさかずっと寝てるとか?」


「いや、いやいやいや。そんなことはしないわ。と、否定できない俺が悔しい」


 兄貴は悔しいと言いつつも、びろーんと腕を伸ばしながら体を机に預けた。


 体育祭が終わってから朝早く来てるっていうのは知ってたけど、紗千と結梨関係のことじゃなかったのは驚き。

 兄貴が二人以外のことで力を入れるのを見るなんて、これが初めてかも。


「いやぁ〜朝早くの学校は静かっスね」


「それな。いつもならガヤガヤうっせぇのに、こんな真逆な朝があるなんて一体誰が想像したんだろう……」


 なんか兄貴がおかしい。

 朝早くて寝不足なのだろうか?


 このボケェーっとした時間。もしかしたら、今なら兄貴が抱えていることを聞き出せるかもしれない。


 寝そうになっている兄貴を見据え、満を持して口を開いた。


「そういえば兄貴ってなんか悩んでることとかあるんスか?」


「なんだその質問。聞きたいことがあるんなら、そんな遠回しに聞かないで直接言ってくれ。空気を読むとか面倒くさいし」


 兄貴はしゃきっと背筋を伸ばし、来るならこいと言う顔をしている。


 直接聞くのは多分嫌な気持ちにさせてしまうかもしれない。まぁけどもし逆鱗に触れ、殴られたとしても、その覚悟はできている。


「兄貴。兄貴って一体何を心の内に抱えてるスか?」


「というと?」


「そうっスね……。兄貴、この前体育祭のとき午後の部が始まるっていうとき突然消えたじゃないですか?」


「あぁ。そんこともあったな」


 兄貴の顔が曇り、声が低くなった。


 もしかしてこれは兄貴にとってデリケートな話だったのだろうか。もしそうだとしても引き返しできない。


 緊張でブルブル震えている手を抑え、心を落ち着かせる。


「それで、俺思ったんス。兄貴は何か俺達に隠し事があって、それのせいで精神的に追い詰められてたんじゃないかって」


「……ほう」


「あの別に、俺と一緒にそれを解決しましょう! だとか言わないんですけど、ただ苦しんでるなら相談くらいしてほしいなって」


 兄貴は何か難しそうに眉をひそめ、考えている。


 やっぱり俺が思っていたことはあっていたんだろう。兄貴の言葉を待っている沈黙が空気をひりつかせる。


「なるほど」


 数秒悩み、ようやく口を開いた。


「たしかに俺は藤原が言う通り、隠し事がある。それも藤原が想像できないような物凄く壮大な隠し事が。……それを相談したところで、何も変わらないんだよ。知識がないって言ったほうがいいのかな?」


 悲しげな眼差しが、余計俺の心を燻ぶらせてしまう。


「たしかに俺なんかに話したところで、なんの解決にならないかもしれません……。でも、話すことで気持ちを楽にしてほしいっス。一人で抱え込むにも限度があると思うんで」


「そう、か。たしかに藤原の言うとおりかもしれない」


「じゃあ……」


「話そう。まぁ、藤原からしたら何を言ってるのかちんぷんかんぷんで信じられないことかもしれないけど」


 正直信じられないことだった。


 兄貴が本物の兄貴ではないということ。

 ここは兄貴にとって、アニメの世界であるということ。

 兄貴は俺達とは歳が離れていて、そのせいで高校生活を送ることに負い目を感じていたこと。


 その話の終始を兄貴はグッと奥歯を噛み締め、少しづつ言葉を紡ぎ話してくれた。


 決して人に相談できない話。 

 兄貴が言っていた通り話が壮大すぎて、俺の脳内でうまく処理することができず、一緒になって悩むことなんてできない。


 むむむ……と考えていると、突然兄貴から笑い声が聞こえてきた。


「どしたんスか?」


「いやぁ〜。なんかお前の真面目に考えてる姿がアホ丸出しで笑っちゃった」


「それってただの悪口じゃないですか……」


「たしかにそうだ。はっはっはっ!」


 考えている姿を笑われたのなんて初めてだ。


 びっくりしたけど、兄貴が笑顔でいてくれるのなら笑われても不快には思わない。


「なんか、ありがとうな。バカみたいな話聞いてくれて。もう忘れていいぞ。藤原にとったら、俺のほうがどうかしてるって思うだろうし」


「忘れません」


「お、おう。そうか」


 兄貴が少し気まずい顔をしたところで、教室に人が入ってきた。


「じゃあ、俺は行きます。実はまだ宿題終わってないんで」


「あぁ。また」


「うっス」


 兄貴の教室を去る。  


 この朝の時間は濃かった。普段通り過ごしていたら、絶対聞くことのないことを聞けた。

 正直、まだ兄貴が言っていたことがわからない。けど言ったことすべてが事実だと思ってる。あの、話してくれていた時の兄貴を思い出すと自然とそう思える。


 俺はこれから兄貴のために兄貴がうちに抱えていることを全力で解決に向けてサポートする。 


 それが唯一、言いたくない事を言わせた俺の責任だ。

 

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