小山内秀和「物語世界への没入体験」

西村洋平

小山内秀和「物語世界への没入体験」没入体験とは?物語世界って何?

こんにちは。gabigonといいます。初めましての人は初めまして!!!





物語を夢中で読む、登場人物になったように感情移入する…物語好きなら経験のある「没入体験」には、いったいどんな意味があるのだろうか。とても個人的で主観的なものであるがゆえに、これまで研究されることの少なかった「没入体験」。この本は、その没入体験に正面から取り組んだとても面白い研究の本だ。自分用に簡単にまとめておこう。


リーディング・ワークショップの実践者ナンシー・アトウェルは、物語の世界に読み浸ることを「リーディング・ゾーンに入る」と呼んで、とても重視している。同じリーディング・ワークショップでも「方略を教え、そのスキルを使う」ことを重視する実践もあるので、「物語への没入」は彼女のリーディング・ワークショップの一つの核になっている。





僕としては、アトウェルの立場に共感する点もあるものの「読書に没頭することでどんな効果があるの?」という点はやはり問われるだろうから、その意味で「物語世界への没入体験」を研究対象にした本書はとても興味深い。




この本は、「物語への没入体験」を巡ってこれまでの先行研究を整理し、「没入体験」を測定する尺度を開発し、それをもとに、没入体験がどのような体験なのかモデル化し、この没入体験にどのような役割があるのかを論じている。まず面白かったのは、これまでの先行研究をベースにして、没入体験を6つの下位概念を含む体験として次のように定義し直すところ。


物語への注意の集中

自己や外部への注意の減退

物語世界へのイメージ

登場人物への共感

感情移入

物語への現実感

上記の要素のうち、「共感」と「感情移入」はともに物語を読む時に生じる情動的衝動だが、前者は登場人物の心情を読者がそのまま感じること(主人公が感じるように自分もつらい)であるのに対して、後者は出来事や登場人物に対する読者自身の感情反応(主人公を助けてあげたい)という点で区別されているようだ。


こうして定義される「没入体験」を、筆者はMiall and Kuiken(1995)の作成した尺度LRQ(Literary Response Questionnaire)をもとにした日本版LRQ(LRQ-J)を作成して、測定するのである(この尺度は、今後も同様のアプローチをとる研究者に活用されるかも)。同時に、没入の程度を測定する尺度も開発して計測していく。


没入体験と読書の関係とは、因果関係筆者たちの研究の結果、明らかになったことを簡単にまとめていこう。まず、物語を読むことにどのような効果があるのかという点については、LRQを開発したMiallらの研究を下敷きにしなくてはいけない。



Miallらの先行研究


Miallらは、物語を読むことで読者が体験する感情を「評価感情」(→物語を読む動機付けとして機能)「物語感情」(→登場人物に抱く共感や感情移入)、「審美感情」(物語的文章の文体表現によって生起する感情)、「自己変容感情」(自己理解や自己意識の変容)の4つにわけ、「自己変容感情」を中心に、物語を読むことの意味をそれらの関係を次のように整理している。


文学作品を読むとき、読者は登場人物に共感し感情移入する。このとき、文体表現の技巧に対する意識が加わると、読者はおのずと物語内の出来事から自分自身へと思考の対象を変化させ、自己に対する新たな洞察や自己観の変化、つまり、「自己への見方が変わった」といった体験が生じやすくなるというのである。(p69)


つまり、「共感や感情移入(没入体験)が、作者や文体への関心(審美感情)と相互作用することで、自己理解や自己観の変化(自己変容感情)を促す」(p70)というのだ。これを、「自己変容感情仮説」と呼ぶ。


没入体験についての様々な発見


そして、結論から言えば、この本での研究の結果から、筆者はこの「自己変容感情仮説」をおおむね支持している(p81)。また、読解活動への没頭の得点と読書頻度にも相関が見られたことから、物語に没頭することが読書の動機付けの一部になっていることも考えられる(p82)。ただ同時に、没入体験には個人差があり、没入しやすい人とそうでない人がいるようで、没入傾向の高い人の場合には、没入が物語理解を促進することも指摘されている(p144)。


その他、興味深かった研究結果を箇条書きで掲げておこう。


女性は男性よりもLRQの得点が高い。→女性のほうがより共感的に読む?(p90-91)

批判的思考態度の得点とLRQの得点には正の相関がある。→批判的思考と没入体験は矛盾しない可能性がある(p91)

物語の主人公が安心を得る場合と不安を得る場合を比較すると、安心条件のほうが没入し、動機付けでも高い得点を示す。→読みによる楽しみは読むことへの没入と関連する。不安な物語ではカタルシスが得られず、動機づけにつながりにくい?(p127)

没入傾向の高い読者のほうが読む時間は短い(物語理解にともなう認知的負荷が低い)(p132)

没入するように事前に指示をすると、没入傾向の高い読者は物語内容の処理が促進され、物語内容に一致した感情の喚起が促される。傾向の低い読者にはそのような効果はない(p133-134)

没入するように事前に指示をすると、没入傾向の高い読者は物語内容の処理が促進され、物語内容に一致した感情の喚起が促される。傾向の低い読者にはそのような効果はない(p133-134)

没入傾向の高さは、「没入性」「空想傾向」「解離傾向」「イメージ鮮明性」「共感性」「開放性」「自我の回復力」といった心理特性と関わる(p140)

物語に読み浸ることの「効果」とは何か?


こうした研究をふまえて、筆者は没入体験を読むことの中に位置づけるモデル「物語没入-読解モデル」を提出している(p147)。そこでは、物語の理解と没入が相互に影響を与えているのだ。登場人物への共感や情景のイメージ化などを伴う没入体験が、人物や空間・因果関係などの物語全体の情報の精緻化にもつながって物語の理解を促して状況モデルを構築し、精緻化された状況モデルがさらに没入をうながし…という好循環が見られる。さらに、こうして没入しながら読むことが読後の満足感や楽しみを促進して読書頻度を高め、同時に自己変容をもうながす。没入が、物語の読解にどのように影響するのかがモデル化されていて、非常に面白い仮説となっている。


では、「物語ではない場合」はどうなるのか?


個人的には、ナンシー・アトウェルの言う「リーディング・ゾーン」の効果への関心があったので、とても面白い研究だった。これからどんどん進展していく分野だと思うので楽しみ。同時に、気になるのが「これ、物語ではなくて、評論や説明文の場合ではどうなるのかな?」ということ。登場人物への「共感」や「感情移入」はしないけれども、評論を読む時にも、たとえばミステリを読むようなストーリー運びのうまさなど、書き手は色々な手段で読み手の没入を誘おうとしている。実際、評論が面白くて夢中になって読んでしまった、という体験は僕にもある。しかし一方、多くの生徒は物語を読むことを好み、評論での「没入体験」というのはあまり聞かない。小説を読む時と評論を読む時では、何が同じで、何が違うのか。このへんまで統合したモデルが構築できるのかどうか。そこはすごく気になってしまったし、今後の研究を楽しみに待ちたい。


 

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