第29話

 日本での過ごし方の名残りからか、夜になるとしばしば外へ繰り出したくなった。

 クラーク・キーなどのクラブ街へと出掛けるといった選択肢もある中、余りかっての分からない広木は専らシンガポールナショナルスタジアムの最寄りに位置するMRTのカラン駅エリアのゲイランへとタクシーを拾っては出掛けた。


 夏に最初の渡航の際には、近付いてはならないエリアとしてただ一つゲイランが挙げられた。治安の良いシンガポールで近付いてはならないとされるエリアがどんなものかと、禁じられては余計に気になって仕方がなくなるのは人としての性ではないだろうか。

 入国して現地の学生達と合流した中の同い年のダオとは早速意気投合した。ダオが夜には自分の車で特別に広木に街を案内してくれると切り出してきたので、希望を聞かれてすかさずゲイランを挙げると、ダオは露骨に嫌な顔をして返した。

 聞くところによると、現地の学生も足を踏み入れたことがないのだと言う。それであれば車を降りずに通りがかるだけではどうかと打診してみたところ、仕方の無い様子でダオは了承してくれた。


 初日の夕食をちょっとしたレセプションの形態で済ませると、広木はダオの所有するホンダのシビックの助手席へと乗り込んだ。ダオの運転するシビックがゲイランの通りに入ると、薄暗い通りにピンクや紫色のネオンが灯されており、確かに他の通りとはガラリと雰囲気が違っていた。その雰囲気を変えているのは薄暗い中のネオンののことも確かにあるのだが、大きな要因となっているのは通りにズラリと並ぶ肌の露出の多い女性達によるものであった。

 そのエリアにはくれぐれも近付かないように、と牽制されはしていたものの、こういったことであれば治安云々の問題にはならないと踏んだ広木は、ダオに車を路肩に停めさせて、通りを少し歩いてみないかと打診するとダオがまた露骨に嫌そうな顔をして歩くだけであればと了承した。今日はダオも連ねているため本当に歩くだけで構わなかったのだが、全ての通りを歩いて立っている女性をもう少し間近で眺めながら、この場の雰囲気をもっと楽しみたかった。中には日本語で声を掛けて来る女性もおり、足を止めて会話をしてみると実は大学で日本語を勉強しているのだと教えてくれた。そうやって足を声を掛けて来たり、こちらの好みの女性が目に入る度に広木は足を止めて会話を交わす度にダオが後ろから「お前は。もう…」といった調子で不満をぶつけて来た。ダオも非常に日本語が上手だった。体系的に学んでいる訳ではないので読み書きまでは出来ないのだが、他の日本語を学習しているという学生よりも言葉のニュアンスや流暢さが実用的であった。日本のアニメでそれらを習得したのだとダオは言う。


 ダオとの下見を済ませた広木は、ああいった場所であればその内一人でゆっくりと足を運んでみてやろうとWeb上の情報も漁った。2ちゃんねるにもゲイラン向けのスレッドが立っており、どの通りの誰のサービスがどうだとかそういった情報が溢れていた。誰のサービスがどうだとか、駐在員や旅行者のおっさん達の書き込みは質として当てにならないと広木は思った。出来れば金に物を言わせずに広木のようにストリートでナンパが出来るなど、似たような価値観を持った者の書き込みを求めたがちょうど良い媒体は見当たらず、その他は海外での買いによる女性遊びが綴られたブログ記事が目に止まりはしたものの、シンガポールではゲイラン以外ではオーチャード・タワーでも似たような遊びが出来るらしかったが、ゲイランよりも相場が少し高めの設定のようだった。実際にゲイランでは80-120SGD(シンガポール・ドル)で事足りた。

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