第26話

 駐車場に出ると、広木は自分の車を出来るだけ駐車場の脇の目立たない場所へと移動させた。愛が自分の運転席の助手席へと招こうとするように、車を移動させた広木の方へとぼとぼと出迎えるように歩みを寄せて来る。

 愛の車の助手席へと乗り込んでシートベルトを締めると、愛がそっと車を出した。車内は広木のそれとは違って何か程よい香りが漂い、普段聴かないヒップホップの重低音が鳴り響く。洋楽は聴き方が分からないのだと、Jロックばかり聴いている広木にしてみても、不思議と耳触りの良い心地良さがあった。それは愛の車で愛の自宅へ招かれているという非現実的な空間がそうさせているのかも知れない。これなら自分の車で流しても良いではないかと、誰の何という曲だと聞こうと思いながら聞きそびれてしまった。


 大通りを更に西側に車を走らせ、北側へと右折すると小学校か中学校のような校舎の連なる細い路地へ入った。大きな校舎の立ち並ぶ閉塞感のある通りを抜けると片側には田が広がり、その向かいの敷地に愛は車を入れた。敷地の中には6台ほどの駐車スペースと、それに沿うように築年数の浅い2階建ての建物が並ぶ。

 エンジンを止めた愛が広木を促すように部屋の方へと先へ歩く。つられるように広木はその後へと続き、開錠された入口のドアから1階の中ほどの部屋の中へと入った。

「マンスリーマンションって始めて来たな」

「普通でしょ(笑)」

「もう少し狭くて質素な感じなのかと思った」

「家具もテレビも全部元から備え付けのものだよ。私は着る服と簡単な食器を持ち込んでいるくらい」

「大人が一人で暮らすには十分だな。実家で親いるより良さそう」

「夜出入りするし、親と一緒の暮らしはちょっとね(笑)」

「いつまでここで暮らすか決まっているの?」

「決めていないけど、もうしばらくはいるはずだよ。少なくともシンガポールから帰国する頃にはまだいるよ」

「じゃぁ帰国したらまた遊びに来て良い?」

「もちろん!」


 部屋に通されると、壁際に2人が向き合って座れるように供えられたテーブルの奥側の椅子へと促されたのでそこに腰を下ろした。何か暖かいものでもと愛が飲み物を出そうとするのを気を使わないようにと制止した。6畳の間に家具はこの椅子とテーブルとテレビに、下が収納の構造になった大人の胸元くらいの高さのベッドといったシンプルな間取りだ。

 女性には慣れているはずの広木も、余り女性の部屋に招かれるようなことはなく、何処か落ち着かない。向かいに腰を下ろして携帯電話を眺めている愛との距離が近いようで遠く感じる。手を伸ばせば触れる距離にいるにも関わらず、わざわざ手を伸ばして触れるのは不自然な気がしてしまう。店で隣に並んで腰を下ろす時より遠いテーブル1つ分の微妙な距離に、何か会話を繰り出そうにもしどろもどろしてしまう。

 トイレを借りようと椅子を離れると、愛に入口を入ったところの扉だと促されて一旦そこへと非難する。冷静に考えると、仕事で会うのであれば愛の体に触れることも自然なことに過ぎないのであるが、そうではない場所で体に触れるのは憚られるのではないか。何がしたいという訳では無い広木であるが、密室に愛と2人きりでいるということに対して今になって動揺してしまっている。このまま何もせずに会話を弾ませられる気がしない。

 普段車で他の女性と会う時はどうしているだろうか。そうやって出来るだけ自然にいつも通りに、何か打診を遮られたとしても聞いていないフリをしてボケてやり過ごしてみようではないか。何より愛の方から自宅へ招いてくれているのではないか。考え過ぎても仕方がない。


 部屋に戻った広木は携帯電話でメールを作成している愛の後ろに立ち、肩に触れた。愛が振り返って広木を見上げる。背中のブラジャーの線をなぞるように触れながら、ベッドの方へと促した。

「上へ行こう?」

「うん」

「何かしようってわけじゃないけど慣れなくてソワソワしちゃうから」

「落ち着かない感じ。そういうの伝わって来る(笑)」

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