第12話

 週が明けて新田との会話をしたのちに、晴れて日々の業務と改めて向き合う広木であったが、目の前に積み上がるタスクは億劫なものばかりで、こんな毎日がいつまで続くのだろうと思う。相変わらず周囲の同世代は優秀で、手に取るように自分を置いて先へとステップアップしていくのが傍から見ても分かる。上長達からの各々の扱いや情報を渡す際の棲み分けがはっきりとされていく様子は、流石は外資系企業といったところか年功序列の概念など皆無で、徹底した合理主義の下に必要に応じて必要な情報連携や、適材適所な人員のローテーションがなされる様から、プロジェクトのフェーズの進捗も顕著に見て取れる。

 そういった変化に広木は手応えを感じられるというよりは、まだまだ脇役だということを自覚せずにはいられなかった。だが新田との対談を終えてからは、やはり育ちも良さそうで学歴なんかも華やかなスタートラインの違う周囲の皆に追いつくためには、こうした時期も自分に取って必要な時間をなのだと、現状への動機付けが出来るようになっただけでも非常に前向きになれた。

 もしかしたらこれも学歴コンプレックスのようなものなのかも知れない。そのように、ありふれたキーワードで自分がカテゴライズされることを考えると、これまで自分が通って来た道など、やはり取るに足らないものだったのだと現実を突きつけられるような失望感を伴う。だが、この逆境は恵まれているのだ。こんな優秀な人々に囲まれて5年、10年と過ごせばきっと今抱いているコンプレックスのようなものも自分の中で消化出来るような気はする。自分にとっては周囲から遅れを取ったところで、そのようなステージまで到達出来れば御の字だろう。元々田舎の小さな街で育ったなんてことのない一人の人間なのだ。

 阿達との向き合い方も変わるかと思ったが、相変わらず口を発すること全てに神経を逆撫でされるようで吐き気がした。彼は自分の現状やこの先の将来をどのように考えてそのような立ち振る舞いをしているのだろう。思慮深くしての結果がこうなはずは無かった。そう思うと浅はかで自由な日々の阿達の立ち振る舞いに対しても、やはりその器量の小ささが見て取れて滑稽に思えた。


 杏子と約束した金曜日。定時を少し回ったところで手仕舞いして、渋谷駅から東急東横線の急行へと飛び乗った。この時間だとラッシュのさなかで、身を潜めて存在を消すようにひっそりとドアの脇のポジションを押さえた。自由が丘を過ぎた辺りからちらほらと空席が現れるのを目でやりながら、それでも椅子取りゲームのさながらにそれを追うのもどうだろうと考えていると、そのまま立った状態で最寄り駅まで辿り着いていた。

 就職をして最初に住んだ戸塚の寮を出てから、最初に住んだのも横浜のこの街であった。転職して現職に就く時に、先々では大阪の彼女との同棲も視野に入れて、独り暮らしには少し広めの2LDKの部屋を、やはり知った街の方が望ましいと、再びこの街に移り住むこととなった。

 駅の西側が放射線状に5つの通りが伸びるように商店街を形成している。独り暮らしの広木にとってはそれらを開拓するような価値観はそれほどなく、出入りするのは家系ラーメンの店やファストフード、いくつかの牛丼屋チェーンに限られていた。

 そんな中、杏子から指定されたのはよく足を運ぶ家系ラーメン店に並ぶ一角の串焼きの居酒屋だったが、それまでまったく意に止めることもなかった。杏子にとっては流石は地元で、もしかしたら杏子と駅前を散策すればもう少しこの街での暮らしをもう少し充実したものに出来るのかも知れない。


 駅前で杏子と合流し、その串焼きの店に入るとカウンターの席へと通された。

「レバー食べられる?」

「普通に好きだけど」

「この店ね、安いのにレバーが凄く美味しいの。タレも塩もおすすめだよ」

「そうなんだ、よく来るの?」

「そうでもないけど、この店結構使えるんだよね」

「カウンターで独りでも飲めそうだね。入りやすそう」

「そうそう。あ、リカちゃんね用事終わって来るみたいだから、その頃座敷に移してもらえるように予約してあるの」

「そうか、準備がいいな」


 杏子が言うように、その店のレバーは火が通っているにもかかわらずパサつきもせず、舌の上で蕩けるような食感が癖になりそうだった。きっとこの店には一人でも来るなと思いながら、広木はタレと塩のレバーの串を一本ずつ追加で注文した。杏子は一度食べれはもう結構と言いながら、喜んでもらえて嬉しいと返した。

 座敷へ移動する時間が訪れた頃には泡盛を何杯か飲んでいた。少し酔いが回って来たところでリカが合流した。

「はじめましてー」と言いながら杏子の横に腰を下ろし、女性二人と広木が向き合う恰好となる。華やかそうな杏子に対して、リカは着ているものもメイクも地味なタイプだった。だが意志の主張は強そうな、そんな様子が窺える。

「ヒロッキーはさぁ」と登場したのっけからリカにそう声を掛けられた広木は、生まれてからこれまで苗字をそのようなあだ名で呼ばれたことは皆無だ、と思いながら先行きに不安を感じた。

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