第5話 ゆりかとのばら、卒業旅行をする【前編】
「この部屋とも、もうすぐさよならだね。」
ゆりかは二人の寮の部屋を見渡しながら言う。
先日、二人は無事に高等部を卒業した。
卒業式自体は何も悲しくはなかったし、二人とも大学もこのまま上がるので、どうせまた同じ部屋にされるのだろう。
しかし、色々あったこの部屋と別れるのは寂しい。
「そうね。別に何の未練も私はないけれど。」
「未練って言うか、思い出はたくさんあるじゃない。」
「嫌な思い出が大半よ。」
「また、のばらは夢のないことを言う。」
「私は、ゆりかと違っていつも起きているの。」
のばらは通常運転だ。
だが、きっと少なからず彼女も同じ思いだろうとゆりかは感じていた。
いつも素直になれないのがのばらだから。
「色々あったよ。のばらが嫌いでむかついたし、のばらに汚いって言われて落ち込んだし、のばらに散々無視されて辛かったし。」
「よく言うわね。私だってそうよ。ゆりかの鈍くささには腹が立ったし、他人のゆりかといてずっと気持ち悪い思いをしてきたし、ゆりかに勝手に自慰行為は見られるし。最悪よ。」
「のばら・・・最後は、いただけない。あの時、のばらは気にしていないから気にするなって言ってたけど、未だにずっとそのこと根に持っているでしょ。」
「普通、根に持つわよ。私の本心的には本当に最悪最低だったわよ。大誤算もいいところ。あんな失態。他人に言ったならゆりかを殺そうと本気で思ってた。」
それを聞いてゆりかは大笑いした。
クールぶっていたくせに、それがのばらの本心だったなんて。
馬鹿みたい、笑っちゃう。
それと・・・本心を言ってくれて嬉しいという笑いだ。
のばらが「何よ。」と睨んだが、ゆりかは笑いながら言う。
「でもさ、のばら。それ以上にこの部屋は楽しいこともあったよ?幸せだったと思う。忘れられない大切な思い出ばかりよ。」
「・・・そうね。そうかもしれないわ。」
のばらも少し微笑んだ。これも本当の微笑み。
「だけどやっぱり、自慰のことは忘れて。金輪際、口にしないで。分かった!?」
「わ、分かった・・・。気を付ける。」
折角のばらを好きになったきっかけだったのに。
だが、その思い出はゆりかの心奥底に仕舞っておこうと思った。
「それは、そうと!!のばら!!」
ゆりかは目を輝かせて言う。
のばらは知っていた。こういう時、ゆりかはとんでもないことを考えてるということを。
「な、何よ・・・また変なことを言うんじゃないでしょうね。」
「変なことじゃないわよ!!旅行!!行きましょうよ!!」
「は・・・?」
「卒業旅行!!行こ!!」
「何ですって・・・?ゆりか、私を殺す気?」
「私は殺す気もないし、もう旅館はとってあるの。」
「・・・・・・!?」
のばらは、また口を開けたまま棒立ちをする。
「のばら?のばら?どうしたの?」
ゆりかがのぞき込んで尋ねると、のばらはようやく意識を取り戻した。そして封印から解き放たれたように叫びだす。
「ゆりか!!貴女の愚行は今まで見てきたし従ってきた。でも今回ばかりは無理!!私がどこかに泊まるということがどれだけ嫌か分かってるの!?前の合宿で懲りたんじゃないの!?見知らぬ辺境の地で!!しかも旅館ですって!?ふざけるのもいい加減にして!!私は修学旅行も行くのを辞めた!学院長に殴り込みをかけて辞めさせた!!ゆりか!!貴女は今までで一番愚かなことをしようとしている!!」
だが、どれだけ怒鳴られたところでゆりかは動じない。
「うん。のばらが修学旅行に急病で来なかったことは知ってる。だからこそ、私は一緒に旅行したい。あと、辺境の地じゃない。京都。すぐそこよ。」
「京都ですって!?新幹線に乗らないといけないじゃないの!!」
「うん。当たり前よ。海外に行くとでも言わないだけ感謝してよ。」
「ひぃっ!!やめて!!そんな恐ろしいこと言わないで!!」
「だから京都に行くっていているじゃないの。ねぇ、行こうよ。」
「嫌よ!!」
「ねぇ、行こうよ。」
のばらは無言で首を振り続ける。だが、ゆりかも引かない。
「一緒に行こうよ。私は一緒に行きたいの。」
「~~~~!!」
「のばら?」
「行くわよ!!行けばいいんでしょ!?清水寺でも金閣寺でも豆腐でも食べてやるわよ!!勝手にしなさいよ!!」
「よかった!ありがとう!!のばら!!」
「あああああーーー!!!」
「・・・・・・。」
「のばら?大丈夫?」
「・・・・・・。」
新幹線。
のばらは目を瞑りながら、椅子のひじ掛けを人差し指でトントントントン叩き続ける。
見かねたゆりかが、のばらの手を繋いであげた。
「のばら、もう少しだから。ちょっとの間、我慢してて。ずっと手を繋いでおくから。」
「・・・・・・。」
密室の鉄の塊に閉じ込められてのばらはかなり限界だったが、それでもゆりかが横で手をずっと繋いでいてくれるなら落ち着く。
しばらくたってのばらの肩に、とんっと重みがかかった。
隣を見てみるとゆりかが寝ているようだ。
「人に恐怖を与えておいて、呑気に寝るなんて。覚えておきなさいよ。」
そう言ってのばらは微笑む。多分、今まで一番優しい笑み。
そして自分もゆりかにもたれかかると目を閉じたのだった。
「着いた・・・やっと着いた。」
のばらは肩で息をしながら新幹線を降りた。
「のばら!疲れてる暇はないわよ!早く観光しましょうよ。」
「ゆりか、どこに行くか決めているの?人が多いところはやめて。ベタな清水寺とかも言わないで。」
「うん。清水寺に行こうと思って。」
「・・・!?」
「のばらとベタのとこに行ってベタなことしたい。人が沢山いるけれど、私は大丈夫。のばらがいるから。のばらも私がいるからきっと大丈夫。」
そこまで言われては、のばらも何も言えなくなってしまった。
ゆりかが信頼してくれるのは嬉しいし、確かに自分だってゆりかといれば心強い。
しかしだ。
「やっぱり、人・・・多すぎじゃない?人と触れ合わない?」
「人が多いから触れるのは当たり前だよ、のばら。」
ゆりかはいつから自分に対してこのような物言いになったのだとのばらは思った。
だが、本来の二人の関係はこうなのかもしれない。それはのばらにとって、腹立たしいものの嫌な気はしなかった。
仕方ないと、のばらはゆりかの手を取る。
「のばら?」
「忘れたの?私は王子様なの。ゆりかだけのね。」
「うん!行こう、のばら!」
そう言い合って二人は微笑み合う。
こんなことになるなんて一年前まで、誰が考えていただろう。ずっと嘘の微笑みが続くと思っていた。
でも、これからはずっと。
「ねぇ、のばら。アイス。」
「ええ!?まだ目的地にも着いてないのよ?しかもアイスなんて、私は。」
ゆりかは参道の店に売っているアイスを指差した。
「のばら、覚えている?文化祭のこと。のばらは、一緒にアイスを食べてくれたけど。あれはきっと本心じゃなかったのよね。今、もう一度したい。今ののばらともう一度したい。」
「ゆりか・・・。」
文化祭の時、のばらはゆりかと一つのアイスを食べようと言い出した。
無理矢理ゆりかのことを好きだと思おうとして。触ろうとして。
結果、彼女は倒れてしまったのだが。
「いいわ。じゃあ、一つだけ買ってきて。」
しばらくして、ゆりかはアイスを一つだけ買ってくる。
「買い食いは嫌いなのだけど。今日は暑いからいいわ。」
「素直じゃないんだから、のばらは。」
二人はコーンを一緒に持つ。お互いの薬指に同じ指輪を輝かせながら。
そして両側から食べ始めた。
側から見ればどういうふうに映るのか。仲の良い友達?幸せな恋人?
むしろ誰の目にも止まってないのかもしれない。
でも、二人だけが正解を知っていればいいとゆりかは思った。
「どうしたの?ゆりか。」
ゆりかがじっとのばらを見るものだから不思議に思ってのばらはそう言った。
「今まで黙ってたけれど、のばらが髪を耳にかけながら舌を出すのが好き。なんだか、色っぽいから。」
「はぁ!?貴女、私のこといつもそんないやらしい目で見てたの?」
「でも、のばらもいつも私のこと、そういう目で見てるでしょ?」
「失礼ね。そんな発情期の犬じゃあるまいし。」
「違うの?」
「・・・犬ではないわ。そんな畜生と一緒にしないで。どうしてもそう言いたいなら、発情期の王子にして。」
「変なの。笑っちゃうわ、のばら。」
「五月蝿い。」
そんな馬鹿げた幸せな会話を二人はする。
なんてことはない二人の日常会話だが、その日常がゆりかにとって幸せだった。
二人はまた歩き出す。
手を繋ぎながら。
お揃いの指輪とピアスをつけて。
二人でいればどこへでも行ける。
「でもやっぱり、ずっとこんな人ごみにいたら気持ち悪いわね。そこのトイレで手を洗ってくる。ゆりか、ごめんなさい。ちょっと待っていて。」
「うん、早くしてね。」
のばらは手を洗いながら考えていた。
気がつくといつもずっと手を洗っている。
ずっと全て汚いと思って何もできなかった。
でも、少しずつできることは増えてきた。きっとそれはゆりかがいたからだろう。あんなにゆりかのことが気持ち悪かったのに。
じゃあ、そのうち全部綺麗に思える日が来るのかもしれない。ゆりかといれば。自分の世界が全て綺麗で輝きに満ちたものになるかもしれない。
「まぁ、もうしばらくかかるだろうけど。」
のばらはハンカチで手を拭きながら元いた場所に戻る。
「ゆりか、お待たせ。」
のばらはあたりを見渡した。
が、それらしい少女などどこにもいない。
人混みだらけ。
ゆりかがいない。
「あの馬鹿、そんな歳になって迷子になる?普通。」
ずっと二人一緒にいようと思った矢先に離れるとは。
「最悪っ!!」
卒業旅行。
始まりからなかなか厄介なものになってしまった。
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