第9話 遭遇
「よーうこそぉ、我が
大家さんの部屋は一〇四号室。つまり俺たちと同じようになでしこ荘の一室を使っているだけ。
なので大きさも間取りもそのままなのだが、使う人間が違えばここまで違うのかと思わせるほど異質の部屋だった。
「……目が、チカチカします」
「色多すぎだろ……」
壁一面に並べられた『女性服』。
それも目に優しいナチュラルカラーなどではなく、パステル的な物ばかり。
もはや原則的にある並びなどすべて無視したこの光景に、俺たちは圧倒されていた。
「どうかしらぁん?」
「正直感想を求められても、脳みその感覚が違うとしかいいようがないです」
「……」
「真顔になるのやめてください」
超怖いからマジで。
どうやらエグいのは手前の部屋だけだったらしく、奥の部屋は意外と普通だった。
そこでようやく一息付けたのか、九条さんもホッとした顔を見せる。
「おーちゃん、お菓子食べてもいい?」
「いいわよぉん」
「光太、今食べたらあとでおやつなしだからな」
「えええぇぇぇぇ!」
当然だ。さっき朝ごはん食べたばっかなのに、なんで今おやつ食べようとしてるんだよ。
「おねえちゃん……」
「えと……」
どうやら俺は駄目だと思い、味方を探し始めた。
膝辺りに抱き着かれて少し困った顔をする九条さんは、チラリとこちらを見る。
甘やかすなと視線で伝えると、そっと光太の頭を撫でる。
「一ノ瀬さんは光太さんのことを考えて言ってくれてるので、駄目ですよ」
「う、うううー」
「うねり声を上げても駄目なものは駄目だからな」
俺の言葉にうーうー言い続けるが、まあここで俺が引かないことは十分わかっているから不満をアピールしているだけだ。
どうせ今から大家さんに貰うお菓子を一つでも食べれば機嫌も直る。
「瞬くんは厳しいわねぇ」
「好きなものを好きなだけ出来る生活に慣れさせたくないだけですよ」
「うふふ……そういう、いつもこーちゃんの将来を考えてるとこ、好・き・よ」
「ひっ――⁉」
耳元で息を吹きかけられて死ぬかとも思った。
「さてさて、それじゃあ冬華ちゃんの事情、聞かせてもらおうかしら?」
床でお菓子を食べて大人しくしている光太をおいて、俺たちはテーブルにつく。
事情説明といっても、実は俺も九条さんの事情を詳しく知っているわけじゃない。
あえて言うなら、名家の令嬢である彼女が婚約者から婚約は破棄を受け、その後実家からは勘当。
そして家無し金無しで彷徨うだけの人、というだけだ。
だから説明はすべて九条さんに任せたのだが、おおよそ知っている内容そのままだった。
「……というのが私の事情です」
「そう……大変だったわね」
「大変、だったのでしょうか? 正直すごい勢いで色々と変わってしまって、落ち着く間もなく……感情も追い付いていないのが本音です」
昨日までの九条さんだったら、身体を震わせ顔も俯いていたことだろう。
たった一日でここまで冷静になれるのだから、大したものだと思った。
「さて、それじゃあ事情も聞いたことだし、色々と用意しないとね!」
「用意?」
「もちろん、これから生活するためのお金とか必要でしょ? 実は昨日瞬くんから聞いて色々と妄想……もとい冬華ちゃんにぴったしのアルバイトを考えていたのよぉん!」
ババン、と取り出したのは着物のカタログ。
あんまり馴染みがないもので、これでなにをするのかがわからない。
「これは?」
「……着物、ですか?」
「そうそう。私が出資してる着物メーカーのカ・タ・ロ・グ。冬華ちゃんったらとっても綺麗な黒髪で、スタイルも抜群だからここのモデルをやってもらおうと思ってね」
「……なるほど」
着物のモデルともなれば、普通のモデルとはまた違う人材が必要だろうことは素人の俺にもわかる。
慣れなどもあるだろうし、これならたしかに向いているかもしれない。
「っていっても、そんな頻繁に稼げるものなんですか?」
カタログに載っている着物を九条さんが着れば、間違いなく似合うだろう。
だがモデルなどいつでも仕事があるわけではないだろうし、学校にも通わなければならない。
そうなると、不定期な仕事はあまり向いていないのでは……。
「まあ普通にモデルをするだけなら時給四千円とか、日給一万円とかかしら」
「悪くないように聞こえますが……」
「ただし、それは普通の場合。私が紹介するところは、セレブ御用達の一着数百万からの着物を販売しているところでね。当然ただ着るだけじゃなくて、それに見合った知識を提供することも仕事の一つ。だから……」
わざとらしく声を小さくして呟いた日給は、普通の高校生が稼ぐ額とは大きく異なっていた。
「時間は取らない分、専門知識とか教養が必要になるけど……冬華ちゃんなら大丈夫でしょ?」
「どう?」
「はい、大丈夫だと思います。九条家で色々と学ばされたので、着物に関する知識は一通り納めてますし……」
少しだけ声が暗いのは、自分を追い出した家のことを思い出したからだろう。
とはいえ、いつまでも過去を引き摺ってばかりもいられない。
九条さんだって、これからは自分の力で己の人生を歩んでいかなければならないのだから。
「なら決まりね! とりあえず当面の生活費は私が貸してあげるから、たくさん辛い目に遭った分、これからは笑顔で楽しく過ごしましょ!」
「そ、そんな! 悪いですよ!」
「いいのいいの! だって冬華ちゃん、こんなに素敵な女の子なんだもの! だ・か・ら、たまーに私の服を試着してくれたらそれでいいわぁ」
「試着って……」
俺は隣の部屋に並んでいた服の数々を思い出す。
ぱっと見、結構きつい色かと思ったが、それはあくまでも大家さんが着るのをイメージした場合。
もしこれが九条さんだったら……まあどの服でも似合うだろうなとは思った。
「サイズが合わないでしょ」
「なに言ってるのよ。自分の服とは別のものに決まってるじゃない。冬華ちゃんが来てくれたらきっと、インスピレーションもガンガン湧いてくるはずよぉん!」
すでに自分が作る服を想像しているのか、大家さんの視線がどこか遠くの方に行く。
「大家さんって、もしかしてデザイナーさんなんですか?」
「さあ? 多分デザイナーもやってる人ってのが正解だと思うけど」
さっきもちらっと、着物メーカーに出資してるって言ってたし、投資みたいなこともしてるのだろう。
というか、一着数百万以上するような着物を売っているところに出資してる時点で、どう考えても只者じゃない。
「とりあえず、おめでとう」
「え?」
「仕事、決まっただろ。これで住むところと仕事も決まって、生活に不安はなくなったわけだ」
「あ……」
これまで彼女は家の庇護のもとに生活をしてきた。
それがこれからは自分自身の力でなんとかしていかなければならない。
きっと大変なことの方が多いが、それでも……。
「九条さんはこれから自由だ」
家に縛られることもなく、ただ一人の九条冬華として生きていける。
それは決して悪いことじゃない。
「俺も困ったことがあれば多少手助けはするけど、これからは自分で頑張れ」
「……はい。頑張ります」
そう微笑む九条さんを見る限り、もう大丈夫だろう。
もう彼女は、俯いていないのだから。
九条さんのアルバイトが夕方からだというので、彼女の着替えや今後の必需品を買うためショッピングセンターにやってきた。
「おかいものだぁぁぁ!」
「おい光太、走ったらこけるぞ」
「……ふふ」
「まあ、痛い目あったら次は覚えるか……覚えるか?」
三人で買い物することに興奮した光太のテンションが高い。
小さな身体を全力で使いながら先頭を進む弟を見て苦笑していると、見覚えのある二人組の男女――。
「冬華……」
「あれれー? どうしてお姉ちゃんがここにいるのかなぁ?」
九条さんの元婚約者の八王子、そして妹の九条夏姫と遭遇した。
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