第8話 紹介

「おねえちゃん! おぉはぁよぉぉぉぉ!」


 九条さんが部屋に来ると、光太がテレビをそっちのけて突撃していく。

 結構人見知りする方だと思っていたのが、懐き具合が半端ないな。


「いやまあ、このアパートの人たちにもそこそこ懐いてるし、あんなもんか?」


 ここの住人たちは教育に悪い人が多いので、あまり懐かないで欲しいところだが……。


「光太さん、おはようございます」

「おはよー!」


 ぎゅっと抱きしめられて満足そうな顔をしているが、この光景をもし俺の学校のやつに見られたら嫉妬が凄そうだ。

 なにせ九条さんは学校一と言ってもいいレベルの美少女。

 そんな彼女で妄想している男もたくさんいることだろう。


 ――冷静になったら、この状況を知られたら俺も学校で凄い睨まれそうだな。


「今日はなにして遊ぶ⁉」

「あ、ええっと……」

「光太、今日は一緒にお買い物だ」

「おかいもの! やぁったぁぁー!」


 朝起きてお気に入りの番組も見終わった後だからか、テンションが高い。

 嬉しくて両腕をパタパタ動かすのは、子ども特有の感情表現か。

 なんにせよ、見ていてちょっと面白い。


「騒がしくて悪いな」

「いえ、とても可愛いですよ」


 多分なんかの教育番組で覚えたのだろう不思議な踊りを踊る光太。

 それを見ながら、買い物に行くにはまだ時間が早いことに気が付いた。


「とりあえず先に大家さんのところ行くか」

「あ、そうですね。昨日は結局挨拶できませんでしたし……」


 本当は紹介しようと思ったのだが、あのあとすぐに出かけるから今日でいいと言われていた。

 それは正直、俺としても良かった。


 昨日の冷静じゃない状態の九条さんに闇鍋みたいなあの人を紹介したら、パニックを起こしていたかもしれない。


 とはいえ、刺激が強いのは間違いない。


「……気を失わないようにな」

「え?」

「いや、なんでもない。この時間ならもう起きてるはずだから」

「おーちゃんのところに行くの?」

「ああ。お姉ちゃんのお礼をしにな」

「こうたも行く!」


 不思議な踊りを踊っていた光太が、聞こえてきた言葉に反応して近寄って来た。

 

 大家さんは光太のお気に入りで、よく二人で遊んでいる。

 それ自体は俺も感謝しているし良いことだと思うが、普通の子どもなら怯えて逃げるだろうに。


 ――変なマスコットが子ども人気になるようなもんか?


 なんにせよ、あの見た目を気に入るのは将来が不安になるので止めて欲しいのだが……。


「おーちゃんなんて、可愛らしい呼び方ですね」

「うん! おーちゃんは可愛い女の子だよぉ!」

「そうなんですか。ふふ、私も親切にして頂いたので会うのが楽しみです」


 ……俺はなにも聞いていない。



 一階に降り、インターホンを鳴らすと大家さんが出てきた。


「あらぁ、なんて可愛らしい女の子かしらぁ」

「……」

「うふふふふ。黒髪和服美少女、いいわねぇ。桜はもう散っちゃったけど、出来ればそのシーンもデザインしたかったわぁ」

「……」

「でも今からサマーシーズン。清楚な黒髪美少女と自然をイメージも悪くはないわねぇん」

「……」


 身体を震わせながら、涙目でこちらを見てくる九条さん。

 その瞳からは「話が違う」という訴えがあったが、俺は大家さんの外見について一度も触れていないので許して欲しい。


 とりあえず鼻息荒く九条さんをねっとり見ている大家さんの視界を遮るように、二人の間に立つ。


「大家さん、それ以上九条さんに近づいたら警察呼びますよ」

「なんでよぉん⁉ 普通に見てただけじゃない!」

「端から見たら変態が美少女に迫っているエグい光景なんで」

「エグいって言葉がエグすぎない⁉」


 アフロの筋肉粒々。まあここまではいいとしよう。

 これでスーツ姿とかだったら裏家業のヤバイ人だと思えるが、それでも一般的な人間だし話せばわかり合える。

 

 だが今日の大家さんは、スーツどころかピンクのレースが付いたワンピースだった。

 肩とか腕とか腰とか、筋肉で服が泣いているようにも見え、いつも以上に余計にエグい。


「酷いわ! ただ着たい物を着て、生きたいように生きてるだけなのに⁉」

「趣味は人それぞれだから文句は言いません。ですがTPOは守りましょう」

「絶妙に正論ぽっくてダメージが大きい! でもここは私の家なの! だからTPOもオッケー!」


 そう言われたらそうかもしれない。

 とはいえ、相手を怯えさせるのはよくないのもまた事実。


「い、一ノ瀬さん……」

「大丈夫。この人見た目はエグいし怪しいけど、悪い人じゃないし風俗に売られるとかそういうのはないから」

「ねえ瞬くん。相手を安心させる言葉の中に私の心をズタボロにするナイフが混ざってる自覚、あるかしら?」

「大家さんはちょっと黙ってて」

「うぅ……瞬くんが酷い……」


 少し離れて座り込む大家さん。

 だから蹲ってもデカいんだよなぁ、この人。


「おーちゃん、おはよー!」

「あぁこーちゃん! 私の天使!」

「元気ないの?」

「ノンノン! こーちゃんが会いに来てくれただけで私の心には白い羽根が生えて空も飛べるほど元気になったわよぉ!」

「わー!」

「うふふふー!」


 大家さんは小さな身体の光太を持ち上げて、クルクル回る。

 それが楽しいのか、キャッキャと騒ぐ二人はいったん置いておこう。


「まああんな感じだから、危害は加えないよ」

「そ、そうですよね……光太さんもあんなに楽しそうですし、色々助けてくれた親切な人ですよね?」

「ああ、それは間違いない。見た目はあれだけど……」

「……」


 九条さんが大家さんに視線を向ける。

 自分に言い聞かせるように何度も良い人だと呟くのだが、瞳の光がちょっと消えてて大変そうだ。

 

 まあ気持ちはわかる。

 光太が純粋過ぎるだけで、どの角度から見てもあれはない。


 いい人なのは間違いないんだけどなぁ……。


「俺も今まで大家さんには色々と助けてもらってきたから――」

「わかりました」

「信用は出来ないと思いうけど……え?」


 九条さんはクルクル回っている二人の方へ歩いていく。

 それに気づいた大家さんは光太を下ろして待ち構え、なぜか両手を上げて筋肉をアピールをし始めた。


 彼女は一瞬それに怯むが、それでも前に進む。


「九条冬華です。この度は色々と便宜を図って頂き、誠にありがとうございます」

「あらあらご丁寧に……フンッ! 私は大家だからおーちゃんでも大家ちゃんでも……フンッ! 好きに呼んでね」


 綺麗なポージングを取り圧力をかけてくる変態に、九条さんが若干涙でこちらに助けを求めてきた。


「大家さんでいいと思うぞ」

「……それでは私も大家さんとお呼びしますね」


 俺の一言で明らかにホッとした様子を見せる九条さんとは対照的に、大家さんはやや不満そうだ。


「もう、もっと親密な呼び方でもいいのに……ねぇー、こーちゃん」

「ねぇー、おーちゃん」


 楽しそうに見つめ合う大家さんと光太。

 弟の将来が不安に思う光景だった。


「とりあえず九条さんの今後について話しておきたいんですけど」

「オッケーよん。それじゃあ一度部屋で話しましょうか」


 そうして部屋に入る大家さんの後を付いていこうとすると、不意に服を引っ張られた。


「ん?」

「あ……す、すみません!」


 見れば九条さんが焦った顔をしている。

 どうやら自分でも無意識の行動だったらしく、すぐ手を放すと、頭の上にクエスチョンをいくつも浮かべていた。


「まあ、取って食われるわけじゃないから」

「……はい」


 見知らぬ男、それも明らかに不審者に家に入るのだから、緊張するのも当然だろう。

 しかも善意を一方的に受けている状態。

 

 昨日の話じゃないが、あまりにも九条さんにとって『都合の良すぎる展開』なのだから。


「まあ、なんかあれば俺がなんとかするし、不安なら掴んでていいぞ」


 そう言うと、彼女は俯きながら小さく頷き、俺の服を少しだけ摘むのであった。

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