第6話 信用

 しばらくして、目を真っ赤にはらした九条さんは恥ずかしそうに視線を伏せる。


「……落ち着いたか?」

「はい……一ノ瀬さん、色々とありがとうございます」

「俺はなんもしてないけどな」


 やってくれたのは全部大家さんだ。

 あの人、変態だけど頼りになりすぎるんだよなぁ。


 とりあえず、ちょっとこれまでのことも含めて借りが大きすぎるので、なんか一つ仕事を手伝おうと思う。


 ――ただ、あの人の手伝いって、妙に変なのが多いんだよなぁ。


 色々やられたが、やはりBLカフェで執事をやらされたことが一番のトラウマだろう。

 たった一週間だったが、俺は危うく凄まじく深い沼の底に沈められるところだったのだ。


「今こうして顔を上げていられるのは、あのとき見つけてくれた一ノ瀬さんのおかげです」

「それなら、光太に礼を言ってくれ」

「光太さんにも、後でお礼を言いますよ。でも、私が一番感謝しているのは貴方です」

「……」


 彼女が育ってきた環境のおかげか、真っすぐし瞳を合わせて礼を言われる。

 俺が捻くれているせいか、どうにも気恥ずかしい。

 

「昨日も、そして今日も……私が本当に苦しい時に傍にいてくれたのは一ノ瀬さんでした」

「たまたまだって」

「たとえ偶然だとしても……私にとっては……」


 そこで言葉を区切った九条さんは、なにかを決意した顔をする。


「貴方が望むなら、私はなんでもします」

「……あのさ、それで俺が九条さんを抱きたいとでも言ったらどうするつもりなんだよ?」

「っ――」


 俺の一言に、九条さんの顔が真っ赤に染まった。

 ちらちらと、何度か光太と俺を交互に見て、口をもごもごさせる。

 おそらく無意識だろうが、両手で身体を守るようにしているのは、心が拒否をしているからだろう。


「それは……ですが……」

「いや、迷わなくてもいいって。そんなこと言わないから。ただ、なんでもするなんて女子が言うんじゃねえよ」

「うぅ……でもそれくらい感謝をしていて……」


 ――自分が男にとってどれだけ魅力的なのか、さては全然わかってないな……。


 俺が少し声を低くして、少しだけ彼女を睨む。

 正直、今の彼女は危ういと思ったのだ。


「もし九条さんを拾ったのが俺じゃなくて、それこそ性的に見るおっさんだったらどうするつもりだったんだ」

「え? そんな人には付いて行きませんよ?」 

「……」

「……?」

「九条さんって、意外とポンコツって言われないか?」

「い、言われたことありませんよ⁉」


 ……そうかなぁ?


「まあ、今日だけだったらまだ公園で寝るのも耐えられたかもしれないけど、それが何日も続いていたらを想像してみて」

「……」

「空腹で、帰る家もなく、頼れる人もいない」


 俺の言葉に、真剣な表情を作る。

 すると徐々に身体が震え、怯えた顔を見せるようになった。


「そんなとき、優しい声と笑顔で家においでって言われたら? きっとそんな状態の九条さんから見たら、その男は神様に見えるかもしれない」

「それは……」

「なんでもするなんて言ったら、そいつは家に泊まらせる代わりに抱かせろっていうかもしれないよな? 外で一人過ごす恐怖を知った九条さんはもう戻りたくないと思うし、もしかしたら率先して感謝の気持ちとして抱かれるかもしれない……」


 そんな想像、彼女はきっとしなかっただろう。

 だが、彼女を追い出した家々は多分、それくらいのことは想像できたはずだ。


「弱った女の子を狙う悪い男なんていくらでもいるんだから、そんな簡単に人を信用しちゃ駄目だ」

「はい……」


 俺の語った未来が決して想像ではなく、現実にあり得た話だと理解したからか、九条さんの顔色は少し悪い。


 脅かし過ぎたか? と思うが、世間知らずな彼女にはこれくらいが丁度いいはず。

 なにせ今後、彼女は生家という誰もが頼るべき場所から離れて自立していかなければならないのだから。

 

「でも、一ノ瀬さんは信用してもいいですよね?」


 ポツリと、小さく呟いた声は当然聞こえてくる。


「だって、本当に悪い人なら、さっき私を抱けばいいだけですもの」

「……光太の教育に悪いものを見せたくないだけだって」

「ふふ……」


 俺の言い訳みたいな言葉を聞いて、九条さんは少しからかうように笑う。


 最近、彼女の暗い顔ばかり見ているせいか、こうして陰のない笑いを見るのは初めてだったが、目が離せなくなって……。


「……」

「一ノ瀬さん?」

「いや、なんでもない。とりあえず、今後のことはまた考えよう。今は衣食住、それをきちんと揃えるのが先だ」

「そうですね……」


 幸い、一番手に入れるのが難しかったはずの住居は手に入った。

 衣類もどうせ、大家さんが適当に揃えてくるだろう。


 あとは食だが……。


「あの、そんなにじっと見つけられると、少し恥ずかしいのですが……」


 ぱっと見、料理は出来そうな見た目をしている。

 しかしそもそも、名家の令嬢として生活してきた彼女に料理を覚えさせるだろうか?


「それに、意外とポンコツっぽいし……」

「ひ、酷いです!」

「ごめんごめん」


 よく考えれば、別に料理が出来なくとも今はコンビニでも弁当屋でもそれなりのクオリティはある。

 俺だって冷凍食品をよく使うし、この時代で無理に料理を作らないといけない理由もないだろう。


「まあとりあえず、今日はうちで食べていけよ」

「それは……いえ。お言葉に甘えさせていただきます」


 世話になり続ける引け目はあるのだろうが、今の自分の状況もようやくわかってきたのだろう。

 そう、九条さんは俺たちに頼るしかないのだから、さっさと頼ればいいのだ。


 その方が、こっちも変に気を使わなくて楽だし。


「じゃあ俺は今からご飯作るから、九条さんは自分の部屋を見てきたら?」

「はい、そうしますね」

 

 そういえば、まだ俺がカギを持ったままだったと思い出す。


「それじゃあカギを――」


 九条さんに渡そうとした瞬間、九条さんが両手で俺の手を包み込む。


「一ノ瀬さん……本当に、ありがとうございます」


 ぎゅっと、か弱い彼女なりに全力で握って来るので、手が妙に熱くなる。


「本当に……本当に……」

「……まあ、うん」


 俺もそれしか言えず、しばらく時計の振り子が揺れる音だけが小さな部屋に響いていた。

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