第5話 安心

「ただいまーっと」

「あ、お帰りなさい」

「……」


 何気なく扉を開くと、こちらを見て微笑む和服を着た黒髪美少女がいた。

 その声を聞いて俺は一瞬何事かと思い固まると、少女は不思議そうに首をかしげる。


「一ノ瀬さん?」

「いや、ただいま……」


 そういえば九条さんが家にいるの忘れてた。

 完全に気が抜けた声を出した自分が恥ずかしく思いつつ、買ってきた材料を冷蔵庫にいれる。


「光太の面倒見て貰って、悪いな」

「光太さん、とってもいい子で面倒なんてありませんでしたよ」

「そうか」


 扉の奥ではビーズクッションにすっぽり嵌り、幸せそうに寝ている光太の姿が見えた。

 先ほどは畳で寝ていたので、九条さんが運んでくれたのだろう。


 子どもが寝ている姿は天使みたいで見てて可愛いのだが、もう少ししたら起こさないと夜寝れなくなるなぁ……。


「あの……」

「ん? ああ、大家さんとはちゃんと話が付いたから」

「え? それって……」

「これ、隣の部屋の鍵。前の住人が色々と残してくれてるらしいし、そのまま使ったらいいよ」


 驚いてポカンとしてる九条さん。

 これまであんまり接点のなかったクラスメイトの一面を見て、つい苦笑してしまう。


 クラスでは完璧な大和撫子って感じだったが、こうして見るとどこにでもいる女の子だ。


 ――まあ、どこにでもいるって言うには、美人過ぎるけど。


 俺はクッションごと光太を持ち上げて、少し端の方へずらす。

 薄いブランケットをかけると蹴り飛ばしたので、もう一度。

 二度目は抵抗しなかった。


「ふへへ……にいちゃ、おかしおいしー」

「涎垂らして、なんの夢見てるんだこいつ?」


 まあ幸せそうでなによりだ。


 四角のテーブルに座り、九条さんには正面に座ってもらう。


 ――今まで女子どころか、クラスメイトを部屋に上げたことなんてないし、ちょっと緊張するな。


 九条さんは相変わらず綺麗な姿勢を保ち、正座のまま。

 畳だからか先日のコンクリートよりはずっと違和感がない。


 もっとも、普通のアパートに着物を着た女子がいるということ自体はとんでもない違和感だが……。


「一ノ瀬さん、先ほどのお話なんでけど……」

「ん? ああ……部屋の話か。ここの大家さんって、変な人でさ」

「……ええと?」

「まあ、九条さんの家みたいに色々とコネを持っててお金も持ってる人だから、このアパートも趣味みたいなもんなんだよ」

「はぁ……」


 俺の言葉に九条さんは疑問がありそうな顔をしている。

 まあそれも当然だろう。いきなりやってきた人間に、なんの事情も聞かずに部屋を貸す人間がどこにいるというのか。


 本当に大家さん、いったい何者なんだろうな?


 俺も色々と手助けをしてもらった身としてはあまり追及する気はないが、正直とんでもない人だということだけは分かる。


「で、さっき家を出る前にも言ったけど、このアパートの大家さんが隣の部屋を貸してくれる許可くれたから」

「でも私、お金が……」

「金に関しては気にしなくてもいいって言ったろ? さっき大家さんにちゃんと確認取ったけど、無料でいいって言ってたぞ」

「そ、そんなわけには!」

「本人がいいって言ってるんだし、気にしなくていいんじゃないか?」

 

 黒髪美少女ゲット、とか怪しい笑みを浮かべていたくらいだし、逆に今からやっぱりなしでって言ったら俺の方が追い出されかねない。


 どんなバイトをさせる気かは知らないが、とりあえずあの人の趣味全開なものには間違いないだろう。


 俺も昔、大家さんが趣味でやってるヒーローbarとかいう意味不明なところで働かさせられて、酷い目にあったものだ。

 まあ、光太は喜んでたからいいけど。


「ですが……」


 俺の言葉を聞いてもどこか納得できない雰囲気で言葉を零す。


「後ろめたい気持ちがあるのは分からなくもないけどさ、このまま野宿する気か?」

「……うぅ」

「本人がいいって言ってるんだからいいんだって。ただまあ、バイトはしてもらうって言ってたから――っ⁉」


 突然、九条さんの瞳から涙がぽろぽろと零れだす。

 俺はそれを見てヤバイと思った。どうやら勘違いをさせてしまったらしい。


「ち、違うぞ! バイトって言っても健全な奴だから! 全然エロくもないし危なくもないやつだから――」

「う、うぅぅ……ぁ、その……ごめんさない。ち、違うんです」

「え?」

「ぁ、ぅ……ぇ、えと、その、ただ私、ホッとしちゃって……」


 俯き、涙をこらえるように口を閉じる。

 手で自分の顔を隠し、しかしその隙間から小さな雫が零れ落ちるのが止まらない。


「私、もうダメだって……家から追い出されて、行くあてもなくて……どうしたらいいか全然わからなくて……」

「……」


 思えば、彼女は昨日から怒涛の勢いで人生が変わっていった。

 

 名家と呼ばれる家で育ち、その中でどういう人生を送って来たかはわからないが……少なくとも不自由なく生きることは出来たことだろう。


 それが家同士で繋がった婚約者には婚約破棄され、味方になってくれると思っていた実家には追い出された。


 いったい九条さんの家でなにが起こっているかは俺もわからないが、少なくとも普通の高校生が背負うには、あまりにも重すぎる出来事だったことだろう。


 昨日の屋上のことじゃないが、それこそ自殺を考えたっておかしくはないと思う。


「まあ、今は泣いてもいいと思うぞ」

「――っ! う、う、うぅぅぅぅ……」


 俺の言葉を切っ掛けに、まるでダムが決壊するように彼女は声をあげて泣き出した。

 昨日は彼女を慰めるために、光太にするように落ち着かせたが今は別に、そうする理由がない。


 彼女が泣いている理由は、安心としたからなのだから。

 ただ傍にいる、それだけできっと意味があることなのだ。

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