第4話 大家

 この木造アパート、名前はなでしこ荘と言う。

 一階に四部屋、二階に四部屋の計八部屋あり、一階の端が大家さんの部屋だ。


「……相変わらず恥ずかしい表札だな」


 苗字が書かれているはずの表札には、可愛らしく『おーや』のあとにハートマークが一つ。


 あまりにも可愛すぎるそれを見ると少し恥ずかしいと思う。

 まあそもそも、築年数はそんなに経っていないはずなのに、この人の趣味で作られたであろうドラマでありそうな見た目の方がよほど恥ずかしいのだが。


「恥ずかしいなんてひどいじゃない!」


 などと思っているといきなり扉が開き、筋肉隆々でアフロな男性が清純そうな白のワンピース姿で飛び出してきた。


「瞬くん! 恥ずかしいじゃなくて可愛い! はい、リピートアフタミー可愛い!」

「……いきなりドアップで強烈な顔と体を近づけないでくれません?」

「瞬くんが酷いこと言うからでしょう! というか……強烈!?」


 ドアを挟んでたはずなのになんで聞こえてるんだよ。相変わらずとんでもない地獄耳だ。あと声でかい。


「私はいつも瞬くんになら抱かれてもいいと思うくらい愛してるのに、いつもそっけなくして……酷いわ」

「これでもほんのわずかな親愛は感じてるんですよ。でも絶対抱かれたくないんで……あと光太に悪影響を及ぼしそうなのもちょっと……」

「いつも色々と便宜を図ってあげてるのに……よよよー……」


 蹲ってもデカいんだよなぁこの人。

 それこそスーツでも着ればマフィアとでも間違わられそうだ。


「しょせん私は便利で使い勝手のいい女……」

「そもそも大家さん、男でしょ」

「それを言ったら戦争だろうがよぉぉぉぉぉ!」

「うごごごご⁉」


 恐ろしい速度で背後に回り込まれチョークスリーパーを喰らう。

 凄まじい圧力にタップをしてギブアップをアピールするが――。


「ぬふふ……現役DKと密着……良い匂い……」

「っ――⁉」


 背筋に悪寒が走り、尻に変な物が当たっているのは気のせいだと信じたい。

 

「というより、いつまでも遊ぶつもりはないんです!」


 勢いよく一本背負いをすると、巨体がクルリと回る。

 別に俺が巨体を投げられるような柔道の達人というわけではなく、大家さんが自分で回っただけだ。


 綺麗に着地した大家さんは、顔を赤めて笑っていた。


「はぁ、堪能したわぁ」

「で、本題に入っていいですか?」

「ええ、もちろん。九条家のご令嬢がずいぶんと大変なことになったわねぇ」


 実家から勘当されて帰る当てもなく、お金もないクラスメイトを助けて欲しいと頼んだだけなんだけど……。


 なぜかこの人は事情を全部わかっているかのように振舞う。


 ――いや、実際にわかっているのだろうけど。


 大家さんはそういう人で、あんまり深く考えるとドツボに嵌る。


 このおんぼろアパート『なでしこ荘』に住むのは、俺を含めて訳ありの人間ばかり。

 だから余計な詮索は無用だし、俺も彼らの事情を聞くことはない。


 ただ一つ言えることは、大家さんは人間として尊敬出来るし、頼りになる人だということ。


「見た目と行動は完全に変態だけど」

「ちょっとちょっとちょっと! 瞬くん? 言うべきセリフが心の声と逆じゃないかしら?」

「勝手に人の心を読まないでください」


 本当に読めるわけではないだろうが、この人の場合は出来かねないから怖いのだ。


「なにはともあれ、ありがとうございます」

「いえいえー、なでしこ荘は行く当てのない小鳥ちゃんたちはいつでも大歓迎だから」


 バチンとウィンクをするのだが、筋肉アフロの白ワンピースがそれをするのはちょっと気持ち悪い。


 ――見た目がこれじゃなかったらなぁ。


「さっきライムした通り、家賃の心配はしなくていいわ」

「はい」

「でも瞬くんがどうしても身体で払いたいって言うなら……」

「あと当面のバイトも探してあげて欲しいのと、学校の方なんですが――」

「もう、スループレイなんてレベル上げたわね」

「好きで上がったわけじゃありませんけどね」


 話が進まねぇなこの変態。


「学校の方は、どうにかなりますか?」

「ええ、あそこの理事長は知り合いだから全然大丈夫よぉ」

「さすが、頼りになる」

「うふふー、もっと褒めて褒めて―」


 九条家はこの国の中枢に位置する、名家の一つ。

 そこから本気で圧力をかけられれば、人一人を退学にするなど簡単だろう。


 ましてや九条さんは勘当された身。

 彼らからすれば、出来損ないの恥と思っていてもおかしくない。


「……」

「あらそんなに見つめられたら、照れちゃう」


 ただこの変態、なぜかそういった権力とのコネもあるらしい。

 このなでしこ荘で大家さんに守られている限りは、九条さんも大丈夫だろう。


「まあ学校に関しては、さすがに学費は自分で払ってもらうけどね」

「それは当然ですね」

「バイトはこっちで選ぶわよん」

「未成年なんで、変なバイトさえ紹介しなければ」


 まあ、心配しなくてもこの人に頼ればきっと大丈夫という、不思議な安心感があった。


「うふふふふ……黒髪美人ゲットだわ」


 なんだか悪い笑みを浮かべているような気がするが……。

 

「あ、そうそう。二〇三号室は生活必需品とかが色々と置きっぱなしだけど、そのまま使っていいからね」

「いいんですか?」

「ええ、前に住んでた子がそう言ってたから大丈夫大丈夫よぉん」

「そりゃ助かります」


 聞けば洗濯機やテレビといった家電から、タンスや布団まで置いてあるらしい。

 しかも大家さんが定期的に掃除をしているから、しっかり使える綺麗なものだというし……。


「もしかして、こんな未来が見えてたとか?」

「うふふふふー」


 否定しないあたりが本当に怖いんだがこの人。




 とりあえず大家さんには一通りに事情を説明し、俺は自分の部屋――二〇二号室へと戻る。

 扉を開くと妙に静かで――。


「……こうして見ると、親子みたいだな」


 部屋には布団が敷かれ、光太と九条さんが並んで寝ていた。

 おそらく絵本を読んでいる内にウトウトし始めた光太を、九条さんが寝かしつけてくれたのだろう。


 仲良く手を繋いで寝ている姿は、妙に懐かしい気分になる。

 こう見えて光太は人見知りが結構激しいのだが、ずいぶんと気に入られたようだ。


「今のうちに買い物済ませておくか」


 冷蔵庫の中身を思い出しながら財布を持って外に出る。

 いつもなら光太を連れて一緒に出るところだが――。


「九条さんがいたら、光太が起きても泣かないだろうしな」


 普段とは違う、一人での買い物に出るというのは少し新鮮な気分だ。


「……ふ」


 これからの日常がどう変わるのか、ほんの少しだけ楽しみな自分がいることに気が付き、小さく笑ってしまった。


 願わくば、光太にとって楽しい日々が続きますように。 

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