第3話 帰宅
「……」
「……」
九条さんが俺の三歩分ほど後ろを付いて来るように歩いている。
公園で泣いている彼女と出会った俺は、憔悴しきった表情を見て一先ず家に来るよう提案したからだ。
――さすがに、あの状態ではいさようならって言うのは後味が悪すぎたしな……。
「さて、着いた」
「ここが光太のおうちだよー!」
「ここが……一ノ瀬さんの?」
俺たちの家――まるで平成初期のアニメにでも出てきそうな古びた二階建てアパートの二階。
そこが俺と光太の住んでいる家だった。
九条さんが少し驚いた顔をしているが、まあそれも仕方ないと苦笑する。
きっと名家で育ってきた彼女にとって、こんなボロいアパートは別世界の物だろう。
「外からの見てくれは悪いけど、中はそこそこ綺麗だから」
「……」
そうして中に入ると、すぐにフローリングのダイニングキッチンがあり、その奥には六畳ほどのリビング。
リビングの床は畳で和風レトロな感じだが、最近リフォームしたてで意外と壁などは綺麗だし、トイレと風呂はセパレート。
洗濯機を置けるバルコニーもあるので、外から見るよりずっと広い家だ。
「ただいまー!」
「光太、お姉ちゃんを洗面所に案内してあげて」
「はーい、こっちだよ!」
「ぁ……」
光太に引っ張られる九条さんを見送り、俺はキッチンの水で手洗いとうがいを済ませておく。
時計を見ると時刻は四時。
冷蔵庫の中が心もとないので、出来れば買い物に行きたかったが……。
「まあ、仕方ないか」
来客用のテーブルを出し、冷蔵庫からパックで出汁を取ったお茶を取り出す。
洗面所から光太の楽しそうな声が聞こえてくるので、またなにかで遊んでいるのだろう。
九条さんも一人で悶々と考えるより、無邪気に笑う光太と一緒で良い影響を受けてくれればいいんだが……。
「で、この後どうするかなぁ」
クラスメイトが公園の遊具の中で泣いてるという、漫画でしか見たことないシチュエーション。
あんまりにも驚きすぎて、つい家に誘ってしまったのだが、これからどうするかなにも考えていなかった。
「にいちゃ、手あらったよ!」
「うがいは?」
「したー!」
「よし、偉いぞ」
小さな頭をグリグリしてから、子ども用のビーズクッションに軽く投げる。
すぐにお気に入りの絵本を渡してセット完了。
これでしばらくは大人しくなるだろう。
「あ、あの……一ノ瀬さん」
「九条さんもそう畏まらないでいいから、そこ座って」
「は、はい」
チョコンと、畳に正座をして座ると妙に様になる。
なんというか、大正時代とかに生きててもおかしくない雰囲気が彼女にはあった。
「さて……正直なにがどうなればあんな場所で九条さんと出会うのかわからないが……」
「うっ」
「事情、話す気はあるか?」
話す気があるなら聞くし、なければ聞かない。
無理に彼女を助ける義理だって俺にはないし、なにより彼女のような家の人間と関わると面倒になる可能性もある。
もし九条さんがクラスメイトじゃなかったら、放置したところだ。
「……まあ、無理には聞かないが」
「実は――」
――勘当されてしまいました。
彼女の一言目に、俺は最大級の厄介ごとに関わってしまったのではないかと天井を仰いだ。
聞くと言った手前、面倒だからはい解散、というわけにはいかないだろう。
ポツリポツリと話す九条さんの言葉を黙って聞きながら、冷静に状況を把握しようとする。
「という経緯でした」
「なるほど……」
昨日実家に帰り、九条家の重鎮たちに八王子とのやりとりを報告。
婚約破棄など認められないと言われるかと思いきや、まさかの出来損ない呼ばわりされたうえで勘当されたという。
「いや、いくらなんでも滅茶苦茶すぎるだろ」
マンガじゃないんだから、と言いかけて思い返す。
そんな滅茶苦茶がまかり通るのが九条家、ひいては日本を代表する名家なのだ。
「……うっ」
「おねえちゃん、どこかいたいのー?」
話すごとに感情が高ぶるのか、九条さんが涙をこぼす。
それを見た光太がビーズクッションから立ち上がり、近づくと――。
「いたいのいたいの……飛んでいけー」
「……光太さん?」
「にいちゃにこれやってもらったら、いたいのなくなるんだー」
「っ――⁉」
にへらと笑う光太を、九条さんが正面から抱きしめる。
「ありがとうございます……痛いの、どこかへ飛んで行っちゃいました」
「ほんとう?」
「はい……本当です」
ポロポロと涙を流し続ける九条さんだが、光太の優しさに触れて少し落ち着いてきたらしい。
たしかに光太を抱きしめると、子ども特有の温かさがあって落ち着くんだよな。
「で、これからどうするつもりだ?」
「……」
「まさか公園に戻ってホームレスにでもなるつもりじゃないよな?」
「ですが、九条家から勘当された以上、今後は学校にも通えませんし……」
「両親は?」
と聞いたところで、先日『母の形見』である短刀を持っていることを思い出した。
「ともに他界してます」
「悪い」
「いえ、当然の疑問ですから」
「……」
しかし、本当にどうしたもんか。
四月も後半でだいぶ温かくなってきたとはいえ、公園で野宿生活など耐えられるはずがないし、なにより女子高生が一人で夜を過ごすには色んな意味で危険すぎる。
というか、身一つで放り投げるとか本当に九条家はなにを考えてるんだ?
いくら名家とはいえ、こんなことが表沙汰になったら……。
「表沙汰にならないから、名家か……」
彼らの手はマスコミや警察、ひいては政治の中枢にも伸びている。
身内の不祥事一つもみ消すくらい、わけないということだろう。
「おねえちゃん、おうちないの?」
「……」
「にいちゃ……」
ど光太は九条さんの事情を雰囲気だけで感じ取ったらしい。
どうにかして、とその小さな目が言っていた。
……俺、弟に甘すぎるかなぁ?
「はぁ……ちょっと待ってろ」
俺はスマホを取り出すと、メッセージアプリ『Lime《ライム》』を起動。
手早く打つと、すぐに返事が返ってくる。
俺が送った内容よりやたら詳細な事情を知ってそうなんだけど、この人本当になんなんだ?
もしかして盗聴器でも仕掛けられてるんじゃないだろうな……。
「まあ、それは今度考えるとして……これでよしっと」
スマホの画面を落とし、九条さんの方を見る。
「とりあえず大家さんに聞いたら、隣の部屋を使ってもいいってことになったぞ」
「え?」
「あと金に関しては気にしなくてもいいって。とはいえ当面の生活費が必要だろうから、バイトはしてもらうが」
まああの大家さんの紹介するバイトなら、危ないことはないだろう。
見た目はともかく、中身は聖人君子みたいな人だし。
「ってことで、これからはお隣さんだから、よろしく」
「え?」
「おねえちゃんと遊べるの?」
「おう、いつでも遊べるぞ」
「やったー!」
「……え?」
一人状況を理解出来ずに取り残された九条さんは、呆けた様子でこちらを見ている。
本人になんの相談もしなかったのは悪いと思うが、このままホームレスになるよりはいいだろう。
世間知らずとまでは言わないが、これまで家に守られて育ってきた彼女のことだ。
卑怯な人間というのはいくらでもいるし、悪意に身を堕として取り返し付かないところまで行ってしまいかねない。
「おねえちゃん、よかったね!」
「あ、はい……えと、ええっと……」
「まあ、あんまり深く考えず、ゆっくり休みな」
どうせ明日からゴールデンウイークだ。
しかも色々重なっての超大型連休。
昨日の今日でいきなり退学になってるわけでもないだろうし、少し落ち着く時間があってもいいだろう。
その間に、今後の身の振り方も決めたらいい。
「とりあえず俺は大家さんのところに行ってくるから、光太と遊んで待ってて」
「あ、はい……」
「あのね、こうた、これ読んで欲しいの」
「……ええ、いいですよ」
光太が九条さんにもたれかかると、彼女が絵本を読み始める。
もうあれくらいの絵本なら読めるはずだが、どうやら甘えているらしい。
それを見て苦笑しつつ、俺は家からでて一階に住んでいる大家さんのところに向かうのであった。
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