第2話 勘違い

 屋上で土下座する美女。

 そしてそれを見下ろす俺。

 客観的に見て、あまりにもヤバ過ぎる光景だ。


「とりあえず九条さん、顔を上げてくれ! 誰かに見られたら俺、一生学校でさらし者にされるから⁉」

「取り乱した私を落ち着けるために助けてくださった一ノ瀬さんに悪意を持つ者は、私が斬り伏せます!」

「斬り伏せる⁉ いやそうじゃなくて、とりあえず落ち着いてはい座って!」


 斬り伏せるってこの時代で使わないだろう言葉に驚くが、なんとか九条さんは土下座を止めてくれた。

 ただコンクリートの上に正座をするのは、結構足が痛いんじゃないだろうか?


「普通に座らないのか?」

「え? 普通ですよ?」

「あ、そうですか」


 どうやら正座は彼女の中でデフォルトらしい。

 まあ九条家と言えば、古くから日本を支える名家中の名家だし、そういう教育をされていてもおかしくはないか。

 

 ただ、こうして真正面に正座をされるとスカートがやや上ずりし、健康そうな白い太腿が……。


「……」

「一ノ瀬さん?」

「いや……」


 とりあえず視線を逸らす。

 なぜか烏がこちらを見て馬鹿にしたように鳴いていた。


「とりあえず、さっきはいきなり抱きしめて悪かった」

「いえ、私の方こそ申し訳ございませんでした」


 お互い頭を下げる。

 いくら相手が自殺をしようとしていたとはいえ、もう少し冷静になればやりようはあったはずだ。

 気が動転していたのはお互い様で――。


「……あの、その」

「ん?」

「その短刀、返してもらってもいいですか?」


 俺の手にあるのは、九条さんが首に沿えていた短刀。

 今の彼女が自殺を図るとは思えないが、すぐに返していいものか……。


「あれ?」


 ふと、俺は短刀を見ると、どうにも光が鈍い気がした。

 それに刃の部分も妙に厚みがあり、これで首を切れるものなのか――。


「もしかしてこれ、模造刀?」

「はい。母の形見でいつでも持ち歩けるように刃は潰してあるんです。心が不安になったとき、これをじっと見つめることで心が落ち着くので」

「待ってくれ」


 つまりそれはあれか? まさか――。


「もしかして、さっきその短刀を首に沿えたのって」

「えと……短刀に触れることで母を思い出していました」


 冷たい短刀は心が落ち着くんです、と恥ずかしそうに頬を染めながら言う九条さん。


 ――全部、俺の勘違いじゃねえか!


 うっわなんだそれ! くっそ恥ずかしいぞ⁉

 自殺をしようとしてた同級生を助けたとか内心思ってた俺ダサすぎるだろ!


 すぐに短刀を九条さんに返し、両手を顔に当てて空を仰ぐ。


「ど、どうしましたか⁉」

「……穴があったら入りたい」


 とんだ勘違い野郎だ。

 しかもそれで土下座をさせるとか、男子全員に殺されても仕方ない。


「あの、一ノ瀬さんは私が自殺をすると思ったんですよね?」

「……」


 顔を隠したまま、無言で首だけ縦に振る。


「だとしたら、間違いではありません。あの瞬間、すべてに絶望した私は、心が死のうとしていたのですから」

「……」

「それを助けて頂いたのです。だから、そんな顔はしないでください」


 俺の手に触れて顔を開くと、微笑みを浮かべる九条さんがいた。


 天使かこの人?

 いや本当に、いきなり自殺しようとしたヤバイ人だと思っててすみません。


「それに、恥ずかしかったですけど、嫌じゃなかったので」

「そ、そうか? まあそれなら良かった? のかはわからないけど、うん」


 とりあえずこれ以上この話を深掘りするのは止めよう。俺のダメージが大きくなるだけの気がするし。


「で、九条さんはこれからどうするつもりだ?」

「そう、ですね……」


 おそらく八王子に婚約破棄をされたという事実は、すぐに広まる。

 そうなれば彼女は『許嫁を妹に取られた少女』というレッテルが貼られることだろう。


 それが同情的なものであればまだいい。

 問題なのは、そこを突いて自分の心をの優位を得ようとする悪意の方だ。


 なによりもっと問題なのは彼女の家での立場で――。


「この話を実家にしたうえで、もう一度翔さんと話してみようと思います」

「それは……」

「彼がどういう気持ちで夏姫を選んだのか……九条家の人間として問い詰める必要があるので」

「九条家の人間として、か」


 たしかに名家同士の婚約を、一個人が勝手に破棄することなど出来るとは思えない。

 ただ、だからこそ本当に大丈夫なのか疑問に思った。


「大丈夫です。きちんと話せば、事情はわかるはず」

「まあ九条さんがそうしたいなら、そうすればいいと思うが――」


 決意を固めた彼女を見ていると、少しだけ昔の自分を見ているようで心が騒めいた。

 だからだろう、柄にもないことを言うのは。


「どうしてもしんどいときがきたら、屋上に来たらいい」

「え?」

「普通にクラスで話しかけられても困るけど、俺って昼休みはだいたいここで寝てるから」


 なんとなく危なっかしい雰囲気のある彼女を、放っておけない気がした。


「授業中も寝ていて、不真面目な方かと思っていましたが……」

「そうそう、不良だよ俺は」

「一ノ瀬さんは、優しいのですね」


 微笑む彼女に、つい視線をそらしてしまう。


「でも、せっかく教師の方々が教えてくださっているのですから、授業はちゃんと起きていないと駄目ですよ」

「昼は眠いんだよ」

「もう、そういう生活はよくありません」

「ははっ」


 まるで母のような言葉に、俺は少し笑ってしまう。


「……」

「ん?」

「いえ、なんというか、無邪気な笑いに少し毒気が抜かれてしまいました」

「九条さんってさ、時々言葉が古風だよな」

「え? そんなことないと思いますけど?」


 今時、毒気が抜かれたとか使わないと思うんだよなぁ……。

 まあこれも彼女の個性だと思うことにしよう。


「優等生な九条さんに一つ良いことを教えてやろう」


 俺はスマホの画面を彼女に見せる。


「実はもう、昼の授業は半分以上過ぎている」

「え? あぁぁ!」

「というわけで、俺はもうこのままここでサボるが九条さんは行った方がいいぞ」

「なにを言っているのですか⁉ 一ノ瀬さんも一緒に行かないと」

「それは駄目だって」


 優等生の九条さんが『男と一緒に授業に遅刻した』などという事実は、話題の種として最上のもの。

 ただでさえ今後、八王子の件で色々と噂が流れるである彼女に、余計な噂は邪魔になる。


「俺たちは今日、お互い出会わなかった」

「あ……」


 それだけで、俺の言いたいことを九条さんは理解してくれたらしい。


「ってことで、いってらっしゃい」

「はい……」


 立ち上がり、屋上の扉に向かう。

 その足取りはしっかりしたもので、先ほどの衝撃に比べてだいぶ落ち着いたらしい。


「あの……」

「ん?」


 突然振り向くと、九条さんはとてもきれいなお辞儀をした。


「一ノ瀬さん。本当にありがとうございました。この御恩は決して忘れません」


 扉から消えていく彼女を見送り――。




 その翌日、九条さんは学校に来なかった。


「……」

「にいちゃ、どうしたの?」


 授業が終わり、いつも通り幼稚園に光太を迎えに行った放課後の帰り道。

 昨日のことを頭に浮かべていたからか、小さな弟が心配そうにこちらを見上げていた。


「こんな顔してるよ?」

「……いや、なんでもないぞ」


 目を吊り上げる仕草をする弟の頭を撫で、近所の公園へ。

 小さいが遊具は色々揃っており、遊ぶには最適な場所だった。


「それじゃあかくれんぼ、の前にルール確認!」

「公園からでない!」

「よし、他には?」

「しらない人に声かけられたらにいちゃ呼ぶ!」

「よーし、そしたら兄ちゃんが鬼だ!」

「わーい、隠れるー!」


 そうして木に顔を当て、数を数える。

 見晴らしのいい公園だからすぐに見つけられるのだが、それでも幼い光太はいつも楽しそうだ。


「九、十……もーういいかい?」


 シーン、となるので振り向いた。


 ぱっと見、光太の姿はない。

 とはいえ、小さな公園で隠れられる場所など限られているので、順番に探していく。


「さーて、どこかなー?」


 なんて言いつつ、植木の陰を見たり、木の裏を覗いたりするが……光太の姿はない。

 あと隠れるところは……。


「あそこだな」


 公園の中心にあるドーム型の遊具。

 トンネルがあり、中に入れる仕様になっているそれに近づいていく。


「どこだー? 見つからないなー……」


 わざとらしく声を上げながら、気配を消してゆっくりトンネルの中を覗きこむ。


「光太、みーつけ――」

「――っ⁉」

「……は?」


 トンネルの中にいたのは、人形のように光太を抱きしめながら驚いている、和服姿の九条さん。


「……」

「……」


 見つめ合う俺と彼女。


「見つかっちゃったー」

 

 そして、ニヘラと楽しそうに笑う弟。


 ……とりあえず光太、知らない人に掴まったら兄ちゃん呼びなさい。


 なんて場違いなことを考えてしまうくらい、この謎の状況に俺の脳は思考停止していたのであった。

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