第15話:第13ヘッジホッグ隊

 そうした訳で、翌日から空母アルテミスは高度千二百キロの中軌道M E Oの中間付近にまで上昇した。これはヘッジホッグ隊がイントルーダーと戦う空間だ。

 軌道空母は空間戦闘能力をほとんど持たない。一応ミサイル迎撃システム等は装備しているが、今まではイントルーダーがミサイルを発射しなかったためほぼ無用の長物と化している。甲板にはレーダータワーが設置され、今でも複数のレーダーがゆっくりと旋回を続けているが、これはあくまでも周囲を警戒しているにすぎない。

 例えレーダーがあるとはいえ、ファランクス以外の防艦手段を持たない丸裸の状態で軌道空母を運用する訳には行かない。それにタドポールを高軌道で展開されると面倒だ。

 そこでエリス防空軌道打撃群はアルテミスに八隻のヘッジホッグを随伴させることを決定した。

 随伴するヘッジホッグ隊は積極的には戦闘には参加しない。あくまでアルテミスを守るための部隊という位置付けだ。


 OCV56アルテミスはエリス防空軌道戦闘群の旗艦だった。軌道空母打撃群OCSG11の旗艦であるアルテミスはエリス防空軌道打撃群の頭脳として機能する。だからこそアルテミスにはエクレアとトピアを擁するバレンタインの隊が乗艦し、常に最先端の装備が与えられていた。

 幸いにして、アルテミス艦内にはまだそれなりのキャパシティが残されている。八艘のヘッジホッグでは少々心許ないのだが、それ以上の乗員を受け入れるだけのキャパシティはアルテミスにもなかった。

 一隻のヘッジホッグの乗員数は六人。整備中隊を含めると合計二百人近い要員が新たにアルテミスに居を構える。

 次々とドッキングし、ダッフルバッグ片手にアルテミスへ乗艦してくるヘッジホッガーたちをバレンタイン達はクリステル艦長やアラン副長と共にエアロックの出口で出迎えた。

「いよう、ヒュー」

 バレンタインは乗艦してくる隊員達の中に見知った顔を見つけると、気さくに話しかけた。

「やあ。久しぶりだね、ジェームズ」

 ヒューと声をかけられた長身の男性が鷹揚に右手をあげる。バレンタインが白っぽい金髪であることに対し、ヒューは少しくすんだ麦わら色だ。

 ヒューとバレンタインは同じ英系の隊員だった。導入訓練で同じ部隊に所属していたこともあり、話が合う二人はすぐに仲良くなった。

「あの激戦空間でまだ生きていたとはね。驚きだ」

「そういうジェームズだって、軌道降下部隊のエースじゃないか」

「いやいや、俺はただ落ちてるだけだ。ただ、部下達が優秀でね」

 バレンタインが謙遜する。

 バレンタインは乗艦を迎える列から離れると、ヒューと共に無重力空間を浮遊した。

 艦の通路側面にはベルトコンベアのような移動用の装置が備えられている。これに手のひらを当てれば、身体は勝手にベルトコンベアの進む方向に押し出される。

「アルテミスの飯は美味いぞ。まあ、概ねユダヤ風だがな」

「ユダヤ風?」

 不思議そうにヒューがバレンタインを見る。

「うちの厨房長がな、イスラエル出身なんだよ。だからイスラエル風の料理が出ることが多い」

「例えば?」

 興味を引かれてヒューはバレンタインに訊ねた。

「ま、とりあえずサラダはイスラエルサラダ(トマトときゅうりを千切りにして混ぜ合わせたもの)の一択だな。あとはステーキと、スキュア(串焼き)料理、ピタパンにケバブを挟んだサンド、とかかねえ。たまに揚げ物のファラフェルも出るには出るが、こいつは地上で揚げたものを冷凍したものだからお勧めはしない。付け合わせはクスクスかジャスミンライス、それにベーグルだ。イギリス人の俺たちにはハードルが高いかも知れん」

「確かに。あまり美味いようには聞こえないね」

「フムス(ヒヨコマメのペースト)とババガヌーシュ(焦がした焼き茄子とスパイスを効かせた胡麻ペーストを混ぜてペースト状にしたもの)も出るぜ。ま、慣れだ、慣れ。少なくとも空間で食うカロリーブロックよりはマシだろうよ」

 ヘッジホッグは数日間、下手をすれば十日以上も軌道上に滞在する。その間の食事はカロリーと栄養素を凝縮したブロック状の食糧のみ。水分すらが厳密に制限されている。

「なるほど、それは楽しみだね」

 ヒューは久しぶりに心が踊ることを感じた。

 アルテミスにはスターバックスすらあると聞く。軌道防衛遊撃隊のガンシップとは大違いだ。

「そう言えば」

 とヒューは話題を変えた。

「噂の『紫色の悪魔』はどうしている?」

「エクレアたちのことか?」

 バレンタインは驚いたようにヒューを見つめた。

「ああ。特にエクレア大尉は天才だっていうじゃないか。そう言われて見返してみたけど、確かに彼女たちの戦績は抜きんでている。ぜひ一度会ってみたいものだよ」

「判った、紹介しよう。確かに連中との連携は重要かも知れん。これからクリステル艦長がお前らの歓迎パーティを開くだろうからそこで紹介するよ」


+ + +


 バレンタインが予告した通り、クリステル艦長の呼びかけで早速ヘッジホッグ隊(奇しくもこの隊はバレンタインの中隊と同じ、13番を通番号として冠していた)を歓迎するパーティが居住区画の食堂ギャレーで行われることとなった。

 艦を上げての歓迎パーティだ。この日ばかりは下士官だけではなく、整備中隊などの水兵も参加している。

 賑やかに盛り上がるパーティの外で、エクレアは一人ノンアルコールのフローズンマルガリータを舐めていた。

 目の前では違う隊の面々が自己紹介し、そして交流を深めている。

 しかし、エクレアはその渦の中には交われないでいた。

 

 何を話せばいいのか判らない。


 だからエクレアは一人で壁の花と化していた。

 エクレアに愛想がないことはアルテミスの乗員たちも十分に理解していて、彼女の周りには小さな空白が出来ていた。

 誰もエクレアに話しかける乗員はいない。

 頼みの綱のルビアはとっくの昔に違うグループの中で楽しそうに話をしている。


 わたしは、一人だ。

 でも、それでいい。


 特に思うこともなく、減り始めたマルガリータに目を落とす。

 と、目の前が暗くなったことに気づいてエクレアは顔を上げた。

 目の前ではバレンタイン隊長が軽薄な笑みを浮かべている。

 そしてその隣には知らない人。

「いよう、エクレア。お前はあそこには混ざらないのか?」

 バレンタインが親指で背後を示す。

「……いえ、特に興味はありませんから」

「そうか」

 そう言いながらバレンタインが頷く。

「こいつはな、ヒューだ。ヒュー・トンプソン」

 バレンタインはヒューの背中越しに肩を叩いた。

「第13軌道防衛遊撃隊の隊長さんだよ」

 軌道防衛遊撃隊とはヘッジホッグ隊の正式名称だ。

「やあ初めまして。君がマドモワゼル・エクレア・パレンティシスかい?」

 にこやかな笑みを浮かべてヒューと呼ばれた中佐は右手を差し出した。

「はい」

 反射的にその手を握る。

 エクレアはいつものようにぎこちのない笑みを浮かべた。

 笑顔は人を和ませる。この三年で学んだことだ。

 だが、上手には笑えない。どうしても笑顔が不自然になる。

「ところで、あなたのことをなんと呼べば?」

「エクレア、で結構です。TACネームもECLAIRですし」

 ヒューがその答えに笑顔で頷く。

「エクレア、か。フランス語で稲妻の意味だね?」

「そうなのか?」

 バレンタインがびっくりした表情で会話に混ざる。

「ああ。フランス菓子のエクレアな、あれは急いで食べないとクリームが流れちゃうからエクレアって名付けられたんだよ」

「へえ」

「わたしはすごく早く生まれたらしいんです」

 エクレアはヒューに答えて言った。

「わたしのお父さんが稲妻みたいな子供だって、だからエクレアって名付けたんだそうです」

「なるほどねえ。名は体を表すって日本では言うらしいんだが、まんまその通りだな」

「……まあ、両親とももう亡くなりましたが」

 聞かれてもいないのに、エクレアはいつの間にかに身の上話を始めていた。

「うちは、フランスの田舎の農家だったんです。いつもお金がなくて、両親はとても苦労していました。そこにエリス移民の募集が来て、何の気なしに応募したら……」

「運よく当たったのか。あれは一万分の一以下の確率だったからな、運がいい」

「いえ、わたしはそうは思いません」

 エクレアはバレンタインの言葉に反駁した。

「コールドスリープで家財もろともこの星に運ばれて、最初はとても幸せだったんです。助成金もたくさん頂きましたし。でも……」

「ネオ・ジーランド事変か」

 ふと、バレンタインが表情を曇らせる。

「はい。父も、母も、姉も妹も亡くなりました」

 ネオ・ジーランド事変。

 ネオ・ジーランドはエリスの温帯域に最初に開かれた植民地だ。住民は主に農民。彼らが頑張ったからこそ、エリスの今があると言っていい。

 だが、彼らの活性が高まると同時にイントルーダーが現れた。

 当時、防空部隊を持たなかったエリスはあっという間に蹂躙された。ネオ・ジーランドは一夜にして焦土と化し、住民の九十%以上が亡くなった。

「わたしは偶然、友達と旅行に行っていたので助かったんです」

「……大変だったね」

 気がつくと、ヒューの右手がエクレアの肩に乗せられていた。

「だから、君はアルバトロス・ドライバーになったのか」

「そうです。わたしにはもう失うものがありません。だったらせめてエリスを護る軍人になろうと」

 気がつくと、エクレアはバレンタインの胸に抱かれていた。

「……バカだな、お前は。その話は始めて聞いたぞ」

「聞かれませんでしたから」

「バカだな、お前は」

 もう一度、バレンタインは呟いた。

「だから、あんな無茶苦茶な戦い方をするのか」

「でも、わたしは他の方法を知りません」

 辿々しく答える。

「ああ」

 バレンタインはもう一度強くエクレアを抱きしめると両肩に手を置いて彼女の身体を押し出した。

「エクレア・パレンティシス大尉。君は明日ルビア・ブラケット中尉と一緒に一度地上に戻れ。ここからなら、そうだな、コーストガード2がいいだろう。そこからネオ・ジーランドに飛ぶんだ」

 突然の命令にエクレアは混乱した。

「それは、命令ですか?」

「ああ、命令だ。お前は故郷でしばらく人付き合いを学ぶべきだと俺は思う。調整は俺がしておく」

 その言葉にエクレアは思わず俯いた。

 元々友達は多くない。スマートフォンの連絡先だって数えるほどしか登録していなかった。

「……了解しました」

 俯いて答えるエクレアを見ながらバレンタインは言葉を続けた。

「ルビアには俺から言っておく。しばらくは降下ミッションのことを忘れて周囲の人たちと仲良くすることを学んでこい。……そうだな、友達が百人を超えるまでは帰ってこなくていいぞ」

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