第10話:iPSシリンダー
結局、タナカは死亡した。遺体は回収できたものの、脳が完全に死んでしまっている。これでは蘇生できない。
一方のエクレアたちは健在だった。機体は半分溶けてしまったが、自力でマリンベース11に帰還。二人は即座にストレッチャーに乗せられてiPSタンクへと運ばれて行った。
『あー、こりゃあ一ヶ月コースですなあ』
タンクの向こうから、禿頭の医者が二人に告げる。
『どうします? シリンダータイプにすると治りが早いが、閉所パニックの障害が起きる可能性もある』
「シリンダーでお願いします」
全裸にされてしまったエクレアはシリンダーの中から医師に告げた。
「ルビア、それでいい?」
隣のシリンダーに同じく全裸で寝かされたルビアにエクレアが訊ねる。
『ウィウィ。シリンダーで寝ててもお話はできるんでしょ?』
『はい、それは大丈夫です。ただ……』
医師が口籠る。
『シリンダーは辛いですぞ。一応防水タブレットと通話機能は支給できるが、それ以外は我慢してもらわないと……』
シリンダータイプは一度体験したいと思っていた。これはいいチャンスだ。
「はい。大丈夫です。シリンダーでお願いします」
エクレアは水中で頷いた。
+ + +
シリンダーの中は退屈だ。
エクレアはシリンダーに収められてから三時間で早くも後悔し始めていた。
一応通話機能はある。防水仕様のタブレットでメールも書ける。目の前のスクリーンでは映画も見られるし、テレビも映る。
だが、それだけだ。
食事は鼻から通したパイプで直接胃に届けられる。当然ながら、味はしない。
そして周囲を満たすiPS溶液。ただの透明な溶液なのだが、これが地味に辛い。ずっとプールに浸かっているのと同様、身体がふやけて白くなる。
『ルビア?』
たまらずエクレアは隣のルビアに声をかけた。
『…………』
だが、返事はない。
横を向いてルビアを見る。どうやら寝ているようだ。
そういえば睡眠導入剤と眠剤も限界ギリギリまで投与してくれるんだっけ。無駄に起きていてもいいことは何もない。
エクレアはナースコールボタンを押すと、ナースステーションに睡眠導入剤と眠剤の投与を依頼した。それも最大量で。
………………
結局、一ヶ月のあいだほとんど寝て過ごした。
起きていてもいいことは何もない。身体が修復される過程はとてもかゆい。たまに目覚めてテレビを見たりもしてみたが、すぐに飽きた。映画はそもそも好きではない。
お見舞いがあるわけでもなし。バレンタインが来てくれるとは到底思えない。
負傷したアルバトロス・ドライバーがどれだけ孤独なのか、エクレアは身を持って経験した。
そういう訳で一ヶ月後にシリンダーから解放された時はとても嬉しかった。
だが、筋力が衰えている。この回復にもう一ヶ月のリハビリと筋トレが必要で、結局アルテミスに帰還したのは二ヶ月後だった。
「お帰りなさい」
HLLVでアルテミスにドッキング。ドッキングベイのクルーに迎えられ、エクレアとルビアはようやく元の世界へ戻ってきたと実感した。
「やっぱり、核撃は良くないですね」
歩きながらルビアが言う。
「そう、ね。わたしも少し、反省した」
トリガーハピーという二つ名を頂いているエクレアが頷いて言う。
今後は被曝量が最小になるように戦おう。
方向が少々間違っていたが、それでもエクレアは今までのような戦い方はしないようにと反省した。
「おう、やっと回復したか」
ブリーフィングルームではバレンタインが待っていてくれた。大きな作戦テーブルの片隅に座ってコーヒーキューブを啜っている。
「どうだった? iPSシリンダーは?」
「最悪です。おそらく二度と入りません」
エクレアは向かいに腰を下ろしながら答えて言った。
「あれは閉所恐怖症にもなりますねー」
ルビアが右隣で深く頷く。
「ところでな、タナカは死んだぞ」
「知っています。レポートを見ました」
「レポートと言えば、お前たちのフライトレポートは提出しておいた。感謝しろ」
「ありがとうございます」
「一応加筆できるようにステータスはまだオープンにしてある。あとで読み返して必要なら追記しろ」
「はい」
エクレアはうなづいた。
「で、だ」
バレンタインは身を乗り出した。
「タナカを沈めたあの新しい小型イントルーダーな、あれが今猛威を振るっている。あのあとドロップミッションが十回以上あったんだが、そのうち三回は突破された。おかげさまで地上にも被害が出ている。どうにかしなければならないんだが、なにしろあの数だ。難航している」
言いながらバレンタインは肩をすくめてみせた。
「一応タナカの遺体は回収できている。これを使ってタナカの人格をコンピューターで再現した。脳は破壊されていたが、記憶は回収できたらしい。これを使って情報を集めてくれ。何しろ例の小型イントルーダーと最初に交戦したのはお前たちだからな。再現されたタナカへの聞き取りは終わっているが、二人がタナカと話せば何か新しい発見があるかも知れん」
ドロップミッションのローテーションに組み込まれるまでのあいだ、そうした訳でエクレアとルビアは人工タナカと会話をすることになった。
タナカと会えるのは艦の中心部、情報処理センター内の一室だ。
いつもは使われていない部屋だが、そことCIC(戦闘指揮所)のコンピューターがリンクされ、いつでも人工タナカと会話ができる環境が整えられていた。仮称タナカルーム。艦長の許可がなければ入室することができない、特別な部屋だ。
ルビアを連れ、エクレアは翌日早速タナカルームを訪れていた。メインのパネルを操作し、規定のセキュリティ処理を通過して艦のセントラルコンピューター内からタナカを呼び出す。
しばらくのち、モニターに軍のID写真を使ったタナカの静止画が現れた。
人工的に作られた人格なので話しかけないと答えない。一応AIで表情は作られているが、どうしても人工的だ。人と話している気がしない。
もっとも、もうタナカは死んでいるので人ではないのかも知れないが。
「……こんにちは、タナカさん」
どうして良いかわからず、エクレアはとりあえず挨拶した。
『ごきげんよう、エクレアさん』
コンピューターで再現されたとは思えない自然な声。
ただ、口調が異なる。タナカはどちらかというとよそよそしかったが、この人工タナカはフレンドリーだった。
『今日は何をお話ししましょうか?』
「タナカさんはどうして落とされたんですか?」
前置きを省き、いきなり核心へと迫る。
『それはアルバトロスのエアインテークからイントルーダーが侵入したからです』
「侵入って、狙いすまして入ってきたんですか?」
『いいえ、違います』
タナカは淡々と何が起きたのかを説明した。
・イントルーダーがハッチを開き、無数の小型イントルーダーを散開したこと。
・そのイントルーダーの雲に飛び込んでしまったこと。
・侵入したイントルーダーが次々と自爆してアルバトロスのエンジンを破壊したこと。
『親機のイントルーダーがハッチを開いたらほぼお手上げです。特に目の前で小型イントルーダーが解放されたら確実に吸い込んでしまいます』
「では、親機がハッチを解放する前にイントルーダーを撃墜しなければならないということ?」
ルビアが人工タナカに訊ねる。
『いえ、それも難しいでしょう。どういう仕組みかは分からないですが、イントルーダーは自分が危ないとわかると子機を解放すると考えられます。私が死んだのちにシミュレーションが行われたのですが、その結果は常にネガティブでした。あの子機の雲は脅威です』
「じゃあ、お手上げじゃない? イントルーダーはレーダーには映らない。そうであれば超長距離攻撃はできないわ」
エクレアは冷静に答えて言った。
『はい』
とタナカがモニターの中で頷いて見せる。
「…………」
エクレアはしばらく黙って考えていた。
極超音速飛行を行うアルバトロスはスクラムジェットを行うために大きなエアインテークを備えている。この解放部から侵入されるとすると……
「これはどうですか?」
つと、ルビアはモニターを二つに分割すると左側にアルバトロスの三面図を表示させた。
「このスクラムジェットのインテーク、これが曲者なんじゃないかなあ。ここが素通しだから侵入されちゃうんだと思うの。ここにネットか何かを設置すればあるいは侵入を防げるんじゃ」
『それは、あまり良い考えではありません』
モニターの中で人工タナカが首を横に振った。
『私はそこにネットを設置することを先般提案しました。ただ、裁定はネガティブです。そこにネットを設置すると、中で想定外の衝撃波が発生するのでエンジンが破壊される恐れがあります』
「そう……」
『ただ、そこが唯一の防衛線であることは確かなんです。何らかの手段で侵入を防ぐことができれば、あるいは攻略できるかも知れません』
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